第一章 白い街の異邦人たち
白いローブをまとった少女が街を歩いていた。
「ねぇ、アタノール。本当にここで合ってるのよね?」
『ふむ。ここは錬金術の聖地プラハ。我々の目的地に相違ない』
どこか不安げな少女の声に応えたのは、にぎられた紐の先でちいさくゆれる果実酒の密封瓶だった。
「そう……ここが、プラハ……!」
少女があたりを見渡す。
赤い屋根に白い街並み。
石畳の路地。
ヴルタヴァ川の冷えた風に混じる、どこか懐かしい甘い薫り。
空を突き刺す尖塔に、教会から聞こえる鐘の音。
「話には聞いてたけど、本当にすごい人ね……酔っちゃいそう」
ティーン教会の影が落ちる旧市街広場に、少女の姿はあった。
瞳に映るのは人、人、人。
洪水のように街中を埋め尽くす人混みを前に、少女はすこし疲れた様子だった。
『ふむ。たしかにこれまでの道中、ここまで活気に満ち溢れた場所はなかったな』
ホムンクルスがうなずき、あらたまって言う。
『ティアよ』
「そうね。ようやく……ようやく、ここまでたどり着いた……!」
少女の碧眼には強い意志と覚悟。それと、ほんのすこしの達成感が浮かんだ。
「ダメダメ。本番はこれからなんだから」
『そうだな。まずは――』
と、
あたりを埋め尽くしていた人混みが、なにかを避けるように割れていく。
「なにかしら……?」
少女も周囲に合わせて歩き、聞こえた声に目を向けた。
「なぁ、おあげ。本当にこっちで合ってんだろうな?」
『晴親もしつこいね。こっちからにおう、ってずっと言ってるでしょ』
「そうは言ってもよ……これだけ人が多いんじゃ、探すのだってひと苦労だぜ」
『ぼくだってそう思うよ』
人混みは東洋人と思しき青年と、ペットらしき小動物を避けるように道端に寄っていく。
少女は吸い寄せられるように、小動物へ目を向けた。
「犬……? いえ、狐……?」
「おっ」
流れるように飼い主の青年と目が合った。目つきはするどく、人相が悪い。
「すんませーん」
青年の声。
「は、はい」
「嬢ちゃん、この辺の人?」
「むっ」
失礼な男だと思った。開口一番、初対面の――同じような年ごろの淑女に向ける言葉、態度ではない。
「違うけど」
「あ、そうなの……まぁ、いいや。あのさ、シナ、ゴーグ……? って、どこにあんのか知らねぇ?」
少女のまとう空気が、スッと冷えた。
「……シナゴーグになんの用?」
「あぁ? ……あぁ、いやいや観光だよ、観光」
取ってつけたような言葉。うそだと思った。
「……シナゴーグなら旧市街じゃなくて、マラー・ストラナ地区よ」
「げぇ! マジかよ! ほら見ろ、おあげ。やっぱり違ったじゃねぇか! 嬢ちゃん、あんがとな!」
『えー? ホントにー? においはこっちのほうが濃いんだけど……』
言うやいなや、青年と子狐は自分たちに背を向けた。そのまま人混みをかき分け、カレル橋――西へと向かっていった。
「ふんっ」
その後ろ姿を見て、少女は鼻を鳴らした。
『ティアよ』
「あんな失礼な男に親切に教えてやる義理なんてないわよ」
『最低限の礼儀はあったように思えたが』
「初対面の淑女に嬢ちゃん、は失礼極まりないわ」
ホムンクルスが瓶の中でため息をついた。
「それより、わたしたちも急ぎましょ。旧新シナゴーグは……あっちね」
少女は北へ足を向けた。
●
旧市街から北へ進み、ユダヤ人地区へ入った少女たちは石畳の路地を進む。
「こっちも人だらけね……」
ふたりの目には、世界中から訪れた観光客の姿が映っていた。
『ふむ。ロシュ・ハシャナが近いようだ』
「ロシュ・ハシャナ……あの角笛を吹くお祭りね! どうりで甘い薫りがあちこちから漂ってくるわけだわ!」
街を彩る観光客の手には、とろりとした蜂蜜のかかったリンゴやザクロがあった。みな思い思いに甘露を楽しんでいる様子だった。
「あっ」
そのとき、前を歩いている女の子が持っていたリンゴが路地に落ちた。溢れる人混みにぶつかって落としてしまったらしい。
「うぇえぇええん!」
「もう、だから気をつけてって言ったのに!」
「ははは。アンナ、また買ってあげるから」
泣き出した女の子は、父に抱きかかえられ、母に顔を拭いてもらっている。
「えへへ!」
するとすぐに機嫌を直し、前歯の抜けた可愛らしい笑顔を両親に向けた。
両親も娘に負けずいい笑顔を浮かべ、親子は笑い合いながら雑踏に飲まれていった。
「………………」
そのやりとりを見ていたティアの表情は柔らかい。うっすらと浮かべた笑みは、かつての自分を見ているかのようにも見える。
『ティアよ』
「行きましょう」
瓶の中の声に短く答え、少女はふたたび足を進めた。
●
博物館や市庁舎を抜けたふたりの前に特徴的な建造物が現れる。
「あれが……旧新シナゴーグ……!」
探していなければ通り過ぎてしまいそうなほど、白い街並みに溶け込んだギザギザ屋根の礼拝所。
「あそこに……!」
少女の碧眼は燃え上がるようにゆらめいている。
『ふむ。しかし、いささか人が多いな』
「そうね。やっぱり――」
「もし」
少女は最初、自分のことだと思わなかった。
「もし。そこの淑女」
「? わたし?」
振り向けば、いつの間にか外套をまとった東洋人の男が立っていた。
黒い長髪。目が線のように細い。歳はさして変わりないだろう。
不思議な声色は、年相応のようにも、老父のようにも聞こえた。
「えぇ、あなたですよ。麗しい西洋人の淑女」
「なにか御用かしら、紳士様」
「少々お尋ねしたいのですが……こちらがかの有名な、旧新シナゴーグで間違いないのでしょうか」
「えぇ、そうよ。欧州でもっとも歴史のあるシナゴーグ。有名な観光地だけど、いまも使われている礼拝所でもあるわ」
「これはこれはご丁寧に」
男が慇懃に礼をした。とても慣れた様子だった。
「ときに、貴方は――」
男の視線が少女の手元――瓶の中にいるホムンクルスへ向けられた。
「錬金術師様とお見受けいたしましたが」
「そのとおりよ」
「おぉ! これはなんたる僥倖!」
いちいち大げさな男は、額に手を当て天を仰ぐ。
大勢の通行人の前での芝居がかった仕草に、少女は気まずさを感じる。
「あ、あの」
「これは失礼。少々自分の運の良さに驚いてしまいました」
男はかしこまって頭を下げた。
「はぁ……」
「ところで話は変わりますが、陰陽道という呪術を耳にしたことは?」
「……名前くらいしか……」
符や印を用いて、さまざまな超常現象を具現化する東洋に伝わる学問のひとつ――だったと記憶している。
学問というより、どちらかといえばおとぎ噺に近い印象だった。
「なるほど。海を越えた西洋の地ではその程度の認識なのですね」
「あ、いえ、その……」
「あぁ、いえいえ。気にかける必要はありませんよ」
気を悪くしたふうもなく言う男は、懐から懐中時計を取り出し、
「失礼。美しい淑女をずいぶんと独り占めしてしまっていました。私はこれにて」
「あ、はい」
踵を返し、少女に背を向けた男は振り向きざま、
「私は道摩法師と名乗るもの。もし良ければ優秀な錬金術師様のお名前を聞かせてはもらえないでしょうか」
「……ティア。マグヌス=ティア=ホーエンハイムよ」
「良い名です。それではティア様――またお会いしましょう」
その言葉を最後に、男は群衆にまぎれていった。
「……なんだったのかしら」
少女――ティアの口から漏れた言葉は、ホムンクルスにしか聞こえない。
『ふむ。いささか怪しげな男ではあったな』
「そうね……東洋人が英国紳士の真似事をしたら、あぁなるのかしら……それに」
顎に指を当てたティアの脳裏に、男の発した言葉が思い起こされた。
――またお会いしましょう。
(どういう意味かしら……)
「てめぇ、ようやく見つけたぞ!」
聞き覚えのある声だった。
目を向ければ、そこにはさきほど旧市街広場で会った無礼な青年がいた。
「あら」
青年が額に怒筋を浮かべながら近づいてくる。人相の悪い顔をさらに歪めており、あいかわらず通行人たちが避けるように道を開けていく。
「ごきげんよう、紳士様。いかがしました」
とぼけるように、ローブの裾を持ってカーテシーを披露する。
「なぁにが〝いかがしました〟だ!? てめぇ、適当言いやがったな!」
「いったいなんのことでしょう」
「オレたちが探してたのは、ここだ!」
青年が指さしたのは、まさにティアたちの横にある旧新シナゴーグだった。
「なぁにが〝マラー・ストラナ地区にある〟だ! さっきの場所から目と鼻の先じゃねぇか!」
「それは失礼いたしました。……けれど、わたしは最初にプラハの人間ではない、と申したはずですが?」
「あぁ?」
「それから、わたしも旧新シナゴーグは存じておりました。しかし、プラハの地にシナゴーグは数多く、シナゴーグとだけ言われるとどこのことやら……紳士様も最初から丁寧に、旧新シナゴーグとお訊ねになればよかったのでは?」
「こ、っの……!」
「そもそも、それが人様にものをお訊ねになる態度でしょうか? 東洋の方々は、もうすこし礼儀作法を重んじているものだと思っていたのですが」
『ティアよ』
ホムンクルスの声を無視し、ティアはさらに言葉を重ねる。
「英国紳士のように、とまでは言いませんが、紳士様はもうすこし淑女に対する対応をあらためたほうがよろしいのではありませんか?」
「このアマ……黙って聞いてれば、ぐちぐちぐちぐち……!」
『やめなよ、晴親。お姉さんの言うとおりだよ』
そばに控える子狐が、主人をたしなめるように言った。
『さっきはごめんね。このとおり謝るから』
ぺこり、とお辞儀する。その様子に、
(か、かわいい……!)
ティアの目が輝いた。
真っ白な子狐のもふもふとした毛並みは、見るからにあたたかそうだ。
お月様のような黄色い瞳も愛らしい。ちいさな身体は胸元にすっぽりと収まる、ちょうどいい大きさにも見える。
『こちらこそ、我が主がとんだ無礼をした。謝罪しよう』
ティアの手元の密封瓶から、ホムンクルスが答えた。
「おあげ! こんな性悪女に頭下げる必要なんかねぇ!」
「しょ、性悪……!? ――誰がよ! この野蛮人が!」
ティアは取り繕っていた仮面を豪快に投げ捨てた。
『はじめまして、ぼくは榊。狐の式神だよ』
一方、式神――榊は三本の尾をふわりとゆらしながら、ホムンクルスに挨拶をしていた。
『ふむ。丁寧な挨拶、痛み入る。我はアタノールと申す。見てのとおり、ホムンクルスだ』
密封瓶の中の小人――アタノールが挨拶を返す。
主人たちと違い、彼らはよっぽど大人の対応をしていた。
『ホムンクルス……ってことは、お姉さんは錬金術師さんなんだね』
『そうだ。そういう榊殿は式神……彼は陰陽師殿か』
二体の人ならざるものが言葉を交わしている間も、主人たちは不毛な言い争いを続けている。
「だいたいなんだその真っ白な髪は!? おまけにローブまで白いの着やがって! いまどきはお化けだってもっと彩ってるぞ!」
「なんですって! そういうあなただって全身黒尽くめじゃない! 不審者よ!」
「誰が不審者だ!?」
「きゃ――っ! だれかたすけて――っ! ここにふしんしゃがいます――っ! おそわれる――っ!」
「なっ! てめ、っ――いやっ、ちがっ――!」
ティアの叫び声に、街行く人々が奇異の視線を向ける。
か弱そうな西洋人の少女と人相の悪い東洋人の青年。
どちらの味方が多いかは明らかだった。
「ちょっと、あんた」
「あぁ!? っ!?」
青年の肩に手が置かれた。振り向いた先にいたのは、
「ダ、ダイダラボッチ!?」
そう見まがうほど筋骨隆々の中年女性だった。
「なんだいそりゃ! 人を鬼みたいに! 失礼な若造だね!」
「! い、いっでぇ!?」
女性の指が、みしみしと音を立てながら青年の肩にめり込む。
肉を裂き、骨を砕かんばかりの攻撃から逃れるすべを青年は持っていなかった。
「お嬢ちゃん、あとのことはあたしに任せときな! こんなやつ、警察に突き出してやる!」
「ありがとうございます――っ!」
「あ、ちょ、おい! まだてめぇには――いっだだだ! ギブギブ!」
青年は女性に肩をつかまれたまま、路地を引きずられていった。
『まったく晴親は……アタノール、お姉さん、またね!』
『榊殿、また相まみえようぞ』
「あっ! 待――っ!」
ひと抱きさせて、というティアの思いをよそに、榊は青年を追いかけていった。
当の青年は、周りにいた女性からは獣を見るような目を向けられ、男性からは空き缶やゴミを投げつけられていた。
●
「ったく、ひどい目にあったぜ……」
夜も更けた宿舎の一室で青年がぼやいた。ベッドがひとつに机がひとつあるだけの質素な部屋だ。
『きょうのことは晴親が悪いよ。初対面の女性に対する礼儀がまるでなってなかったんだから』
子狐の小言を無視して、水差しから陶器のコップに水をそそぐ。
「警察に突き出されて身分証明やら事情説明やらで十分絞られたってのに……宿舎に帰ってきたと思ったら――」
『ビックリしたよね。まさか晴親を突き出した女の人が宿舎の女将さんだったなんて』
「予約は電話で済ませてたからな……ったく、こっちは客だぞ。丁寧に接客しやがれ」
受付で再会したダイダラ女将からは、数々の罵詈雑言を浴びせられた。
その挙句、〝変態を泊める部屋はないよ!〟とまで言われ、慌てて頭を下げ続けた。
そうして、ようやく部屋に上がることを許されたのだった。
「こんな異国の地で、いまさら新しい宿なんか探せるか、ってんだよ」
『わかってるならもうすこし人に対する態度をあらためなよ。ただでさえ晴親は人相が悪くて、第一印象が怖がられるんだから』
「うるせぇ」
水に口をつける。
喉を通る冷たさが、血が上った頭に染み渡るようで心地良かった。
「とはいえ、だ」
『……そうだね』
「なんだ、おあげ。不安か」
榊がふるふると首を振る。
『そんなことはないよ。晴親なら……土御門晴親なら、きっとぼくたちの悲願を成し遂げてくれる――そう信じてるよ』
「うるせぇ」
青年――土御門晴親が言った。
そっぽを向き、榊から顔は見えないが耳までほんのり赤くなっていた。
「それにしても……あの性悪女……! 今度会ったら絶対ただじゃおかねぇ……!」
『もういいじゃない。お姉さんだって悪気があったわけじゃないんだろうしさ』
「いいや! あれは悪意の塊だ! あんな性悪女に道を聞いたオレが馬鹿だった!」
『はいはい』
榊はベッドにひょいと上がって身体を丸めた。
だが、すぐに首を上げ、真剣な眼差しを晴親に向ける。
『けど、あのお姉さんはなかなかの錬金術師だと思うよ。一緒にいたアタノールってホムンクルス、まったく創りものっぽさを感じなかったもん』
「むっ……」
そのことは晴親も理解していた。
(あの果実酒の瓶の中にいた人工生命体……ホムンクルス……だったか)
受け答えは淀みなかったし、自我もはっきりしていた。
少女が生み出した生命体なのかはわからない。誰かのホムンクルスを譲り受けたのかもしれないが、もしあの少女が創り上げたものだとしたら、あの歳でたいした腕前だ。
(そもそも錬金術なんざ、名前程度しか知らねぇんだが……不老不死が云々だの、鉄や銅を金や銀に変える云々だの……)
ずいぶん景気のいい話だと思った。そんなことができれば億万長者も夢じゃない。
(いや、そんなことより……! なんだあの女の態度は……!?)
晴親の脳裏に、少女の顔が思い浮かんだ。
白髪に碧眼。珍しいほどに色素が薄い少女は晴親を見て――意地悪く嗤っていた。
「なーにが不審者だ! そっちのほうがよっぽど性悪だろうが!」
乱暴に椅子に腰かける。水差しの水がはねて、床を濡らした。
「思い出しただけでも胸糞の悪い女だ!」
『もういいでしょ……それより』
――きゃぁぁああああぁぁ。
突如聞こえた悲鳴に、ふたりの目が見開かれる。
「おあげ!」
『いまのは……旧市街広場のほうだよ!』
「ったく! 誰だよこんな時間に! ちゃっちゃと寝とけ!」
『言ってる場合じゃないでしょ!』
ふたりは慌てて部屋を飛び出した。
●
石畳の上を駆ける。
外を出歩く者はひとりもいない。プラハの街は不自然なほどに静まり返っていた。
『晴親、先に行って!』
「おう!」
榊の言葉を受けて、晴親が加速する。
一足で石畳をふたつもみっつも駆け飛ばし、またたく間に旧市街広場へ駆けつけた。
「っ! 土人形か!?」
石畳を滑るように静止した晴親の視線の先。
そこには、土と泥を雑にこねて創られたような式神が五体、蠢いていた。
『――――』
「なにすんのよっ! 離してっ!」
その中心に、土人形に腕をつかまれている少女の姿があった。
『ティアよ! 逃げるのだ!』
他の土人形たちも少女を捕らえようと、それぞれが爛れた腕を伸ばしている。
少女の真っ白なローブが式神たちの汚泥で汚れて――
「あぁ!? なんでてめぇがここにいんだよ!?」
「あ、あなたは!?」
少女の碧眼が晴親を捉えた。昼間の強気な眼差しは失せ、腰が抜けたように石畳に座り込んでいた。
『晴親!』
遅れてやって来た榊のするどい叫び。
「っ、臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!」
一字ずつ区切るように言葉にしながら、両手で複雑な印を結ぶ。
『――――』
すると土人形たちは、耳を塞ぎたくなるような奇声をあげながら崩れ、溶けていった。
あとに残ったのは汚泥と――呪符。
「はぁ……っ! はぁ……っ! い、いったいなんなの、これ……っ?」
「土や泥で創った人形を呪符で使役する簡易的な式神だ」
と、
「まぁ、そう簡単には終わらねぇわな!」
晴親の黒い瞳が、闇に閉ざされた広場を一瞥した。
どんっ!
突然広場のいたるところにあるマンホールの蓋が吹き飛び、地下を流れる水が吹き出した。
吹き上がった水は、まるで意志を持つかのように一か所に集まり出した。かと思えば、土人形と同じように――
「土人形の次は水人形か! 馬鹿のひとつ覚えめ!」
みるみるうちに、そこらの建物と変わらぬ大きさの水の人形が完成していた。
●
『晴親!』
「おう!」
子狐の声に呼応するように、青年が懐に手を入れる。
青年が取り出したのは呪符。それを右手の指に挟み、左手で印を結んで呪文を唱える。
「急急如律令! 護法童子!」
呪文と同時に放たれた呪符は三枚。それらに肉が憑き、姿形を変えていく。
「お、鬼の……子ども……?」
そうして現れた三体の子鬼は、身の丈ほどもある剣、槌、槍をそれぞれ手に持っていた。色も赤、青、黄と鮮やかだ。
「おまえら、頼んだぞ!」
『キャ!』
『キュ!』
『キョ!』
青年の言葉に合わせて、子鬼たちが水人形めがけて駆け出す。ちいさな見た目からは想像もできない俊足だ。
『キャ!』
赤鬼の剣が水人形の腕を斬りつける。
斬りつけられた水人形の腕から、血のように水が吹き出し――
それだけだった。
『――――』
水人形はまったく動じない様子で拳を振り上げた。
天文時計の時計盤ほどもありそうな拳を赤鬼に叩きつける。
どんっ!
地面が大きく陥没した。激しい振動が広場を襲い、砕けた石畳の破片が四散する。
「きゃぁ!」
『ティア!』
飛び散った破片がティアに襲いかかる。
瓶の中のアタノールが叫び、なにもできないながらも主人を守ろうとし、
『キュ!』
青鬼の振るった槌が、破片を叩き落とした。
『キュ?』
青鬼のつぶらな瞳がティアを見つめる。
言葉はわからないが、なんとなく言いたいことは伝わった。
「だ、大丈夫……ありがとう……」
『キュ!』
青鬼は嬉しそうな声をあげ、大きな槌を抱えたままふたたび駆け出した。
『ティアよ、無事か?』
「えぇ……」
ティアがその背を目で追うと、拳を叩きつけられたかに見えた赤鬼は無傷で広場を駆け回っていた。
あれだけ俊敏な身のこなしだ。威力はあっても、動作の遅い拳を難なく回避したのだろう。
「久しぶりに暴れられてあいつら楽しんでやがるな」
いつの間にか、隣に立っていた青年が声をかけてきた。
子鬼たちに向ける視線には、不安や心配といった感情は見られない。
「た、助けてあげないの……?」
驚くほど声が震えていたことを恥じた。
相手はいけ好かない東洋人だ。弱気なとこなど見せたくはないが、あまりにも理解できない事態に混乱しているのは事実だった。
「助ける? あいつらが楽しんでんのに、か?」
「た、楽しんでる、って……」
視線を三体の子鬼と水人形の戦いに戻す。
子鬼たちは俊敏な身のこなしで水人形からの攻撃をかわし、手に持った武器で攻撃を繰り返している。
だが、いくら剣で斬りつけても、槌で叩いても、槍で突いても、水人形はしぶきをあげるばかりでビクともしていない。
相手は水の人形だ。そうした武器での攻撃など、なにも感じていないのかもしれない。
「だけどまぁ、あいつらじゃ決め手がないのも事実だな」
『ではいかがいたす?』
アタノールの問いかけに、青年はやはり不敵な笑みを浮かべる。
さきほどと同じように懐に手を入れると――今度は赫い呪符を取り出した。
「おあげ!」
青年が呪符を天高く掲げた。月の光を浴びた呪符が怪しく輝き、
『はいはい、っと!』
子狐の式神が跳躍し――それを食べた。
『んー! 晴親の呪力は美味しいねー!』
子狐の黄色かった瞳が――呪符と同様、禍々しい赫に染まっていく。
「馬鹿言ってないで、さっさとやってくれ」
『言われなくて――もっ!』
突進。
ちいさな体躯を砲弾のように飛ばして、子狐が広場を駆け抜ける。
子狐が通った軌跡には赤い雷のようななにかが迸っている。ティアの目にもはっきりと見えた。
「なに……いったい、どういう……けほっ、けほっ」
舞い上がった土煙で咳き込んでいる間にも、子狐はぐんぐんと水人形に迫っていき――
『いっただきー!』
一気に突き抜けた。
『――――』
水人形の身体には、子狐の体躯以上の大穴が空いていた。
「――だけど、あいつの身体は水だから――」
「バーカ。よく見ろ」
青年の声に目を凝らす。見れば子狐は、口になにかを咥えていた。
ちいさな白い紙切れに墨で文字が書かれた――符だ。
『――――』
ティアがそう認識した途端、
ぱしゃん。
水人形はそれまで動いていたのが夢だったかのように身体を失った。
●
『キャ!』
『キュ!』
『キョ!』
子鬼たちが我先にと足早に青年のもとへ集う。まるで親元に駆けつける子どものようだった。
「よくやってくれたな、おまえら!」
青年も目線を合わせるようにかがみ、頭をなでたり、手を打ち合わせたりして、子鬼たちを労っていた。
これまで見てきた顔からは想像もできないほど、青年はおだやかな表情を浮かべている。
『お姉さん、大丈夫?』
一方、榊はティアのもとへちいさな身体を寄せた。禍々しかった赫い瞳はすでになく、真ん丸な黄色い瞳に戻っていた。
「え、えぇ……」
『榊殿、礼を言う。助かった』
「おあげ、行くぞ」
青年が言った。さっきまでいたはずの子鬼たちの姿はどこにも見当たらない。
「鬼の子どもたちは……?」
「帰した。久しぶりに暴れて、あいつらもスッキリしただろうよ」
そう言って背を向けた青年に、
「待って!」
「あぁ?」
「その……」
緊張が解けた途端、身体の震えが止まらなくなった。
もし青年が駆けつけてくれなかったらと思うと、ぞっとする。
「助けて、くれて……ありがとう」
「……戦う術がねぇなら、こんな時間に出歩くんじゃねぇよ」
「しょ、しょうがないでしょ! いきなり襲われたんだから!」
反射的に強い言葉を返してしまった。助けてもらったのは事実だが、なにも知らないくせに偉そうに言われたくはなかった。
『晴親、そんな言い方しないの』
「正論だろうが……あー、ったく……」
青年が頭を掻いて腕を組む。ティアを見下ろす目は細められていて、子鬼たちに向けていたようなおだやかさは見られない。
「さっさと帰れ。夜は出歩くな。観光だかなんだか知らねぇが、昼にやれ」
「こ、っの――!」
とっさにローブへ手を入れる。
目の前の野蛮人には一発お見舞いしてやらないと気がすまな――
『ティアよ』
「っ!」
寸前で言葉を飲み込んだ。
『お二方、助かった。礼を言おう』
「かまわねぇよ」
『お姉さん、アタノール。気をつけてね』
ふたりは背を向け、ヴルタヴァ川のほうへ歩き出した。
その背がすこし遠ざかると、
「なんなのよ……! あの野蛮人は……!」
ティアは悔しさのあまり、石畳を何度も叩いた。
『ティア』
「人の気も知らないで! 好き勝手言って!」
『落ち着け。大丈夫だ』
アタノールにたしなめられ、ティアはようやく手を止めた。
『怖かったのだろう』
「……そんなことない」
『ふむ』
アタノールが瓶の中で腕を組んだ。思案顔を浮かべ、
『しかし、厄介なことが起こったな。プラハの地で、まさかこのような怪異に見舞われるとは』
「……そうね。わたしたちの、手に負えるかな……」
錬金術にも魔術的な側面があるとはいえ、怪異や面妖な事態は自分たちの専門外だ。
『ふむ。では、専門家に頼るとしようか』
「専門家、って……まさか――っ!」
ティアの目が消えつつある背に向けられた。
アタノールとは長い付き合いだ。彼がなにを言いたいのか、すぐにわかった。
『そのまさか、だ』
「嫌よ! 絶対に嫌!」
『我らの……いや、ティアの目的を忘れたか』
「っ、それは……」
『私情など挟んでいる場合ではないだろう』
たしかに足を止めている場合ではない。
自分たちには、なにものにも代えられない目的があるのだ。
『おそらく彼らもなんらかの事情を抱えているだろう。互いに協力するのはやぶさかではあるまい。まずは彼らの話を聞いてみようではないか』
「………………」
『ティア』
「……わかったわよ」
ようやくティアは立ち上がり、ふたりの背を追いかけて駆け出した。
身体の震えは、いつの間にかすっかり収まっていた。




