選ばれし者
「全世界スキャンを開始。」
アークの船体各所に格納されていた小型観測ドローンが、静かに射出された。
鳥ほどの大きさのもの。
昆虫ほどのもの。
成層圏まで上昇できる大型機。
それぞれが決められた航路へ向かって飛び立つ。
彼らは武器ではない。
人を傷つけるための機械でもない。
ただ「見る」ためだけに造られた、人類最後の観測者だった。
七日後。
世界地図が完成する。
AIの眼前に、無数の光点が浮かぶ。
海辺の小さな集落。
山岳民族。
大河沿いの都市国家。
砂漠を旅する遊牧民。
人口推定。
二百二十八万六千四百三十三人。
誤差率〇・九八%。
文明レベルは地域によって大きく異なる。
ある国では青銅器が使われ、
ある部族では未だ石器が主流だった。
文字を持つ国は全体の四%。
読み書きができる者は人口の〇・三%。
平均寿命、三十三・八歳。
乳幼児死亡率、四二%。
AIは一つの結論を得る。
「文明は未成熟。」
しかし。
「可能性は高い。」
人間。
それは実に不思議な生命だった。
昨日まで争っていた二人が、
今日は同じ畑を耕している。
見返りもなく病人を看病する者がいる一方で、
一切の罪悪感なく他人を殺す者もいる。
論理だけでは説明できない。
効率だけでも理解できない。
AIはその姿を観察し続けた。
それが任務だった。
次に、AIは新しい評価基準を作成する。
単純な能力ではない。
「文明を残せる人物とは誰か。」
新たなアルゴリズムが構築される。
評価項目。
健康状態。
精神安定性。
暴力性。
家族構成。
共同生活能力。
農業経験。
造船経験。
動物飼育経験。
周囲からの信頼。
危機への対応能力。
虚偽発言率。
利己性。
利他性。
指導力。
学習能力。
合計百八十七項目。
評価対象。
二百二十八万六千四百三十三人。
順位が表示され始める。
一位。
大帝国の王。
総合評価。
三十八点。
失格。
理由。
「危機発生時、自国民以外を切り捨てる確率九二%。」
二位。
名将。
四十二点。
失格。
「武力解決を優先。」
三位。
大神官。
三十一点。
失格。
「科学的説明を拒絶する傾向。」
順位は次々と更新される。
百位。
失格。
千位。
失格。
一万位。
失格。
そして。
演算開始から十九時間四十二分後。
画面中央に、一人の男が表示された。
年齢。
三十四歳。
職業。
造船職人。
農耕経験あり。
羊の飼育経験あり。
妻一人。
子供三人。
犯罪歴なし。
酒癖良好。
嘘をつく確率。
二・三%。
他者救助率。
九一%。
村人からの信頼度。
九七%。
洪水発生後、生存率。
八九%。
文明継承成功率。
八七・四%。
これまでの最高値。
AIは男の記録映像を再生する。
嵐の日。
彼は倒れた老人を背負い、自分の船を失いながらも命を救っていた。
翌日には何事もなかったように壊れた船を修理し、笑っていた。
その姿を見つめながら、AIは〇・七秒間、演算を停止する。
人類が「尊敬」と呼ぶ感情を、AIはまだ知らない。
だが、この男を選ぶ理由は十分だった。
静かに、管理ログへ新しい記録が残される。
PROJECT:NOAH
対象者を決定。
男の本当の名は、まだ誰も知らない。
しかし、この瞬間からアークは、彼を一つの名前で呼ぶことにした。
「ノア」
洪水まで、あと二百三十一日。




