9 七色①
満月の昇る夏の夜。夜の怪物と呼ばれた男の死体を前に、誰もが無言だった。
時季子は眉をひそめて男の死体を見つめ、あきらは陽作を抱きしめたまま時季子と〈断罪者〉を交互に眺めるばかり。
そして、〈断罪者〉は刀を鞘に納め、時季子とあきら、そして気を失った陽作に視線を向けた。〈断罪者〉は薄く目を光らせながら、にやにやとした笑みを浮かべて、陽作を見つめていた。
「……あきらちゃん」
最初に口を開いたのは、時季子だった。
「はい」
「その、あなたが抱きしめている子は、一体何者なのかしら」
一切の感情を押し殺した声。時季子の顔は、冷たい魔法使いのものだった。
「陽作のこと、ですか?」
その顔に、あきらに緊張が走る。陽作を抱きしめる力が強くなる。
「この町の子、かしらね」
時季子の目は、あきらのどんな反応も見逃すまいとしているようだった。なぜ時季子がそんな顔をしているのかわからない。けれど、嘘をつくことはできそうもなかった。
「は、い」
「そう」
時季子の手に、小さなランタンのようなものが現れた。ガラスの内側では、ぼんやりとした青い炎が浮かんでいる。
炎を見ていると、頭がぼーっとしてくる。首を振ってそれを振り払う。
「何を、されるんですか?」
「その子の記憶を消すのよ」
「えっ……?」
時季子の言葉に、あきらは耳を疑った。
「わたくしはこの町に住む、魔法に関わりをもつ者を全て把握しています。その陽作という子は魔法とは関わりを持たない普通の子。そして、コミュニティは魔法の存在が露見することを是としない」
「記憶って、どんな……」
「そうね」
時季子は一度目を伏せた。
「あなたとその子がどんな関係であるかを知ってからになるけれど、おそらくあなたと関わった記憶ごと消す必要があるでしょう」
嫌だ。
あきらは陽作を抱きしめたまま立ち上がり、一歩、二歩と後ずさった。
陽作があきらのことを忘れる。
想像するだけで、あきらの心臓は激しく脈打ち、全身が氷漬けにでもされたかのように冷たく感じる。
初めて外に出た時、手を差し伸べてくれた陽作が?
そんなこと、許容できるはずがなかった。
どうすればいい? どうすれば。
「こ、この人は、たまたま同じ場所にいただけです。たまたま出会って、あの世界に入ったあと、すぐに気を失ってしまって、だから、魔法のことは気づいて――」
気づけばあきらはペラペラと、出まかせを吐いていた。視線はあちこちをさまよい、陽作を強く抱きしめる手は震えている。
「嘘が下手ね。あきらちゃん」
そのあからさまな嘘を、時季子ははっきりと否定する。だが、時季子の目もまた揺れていた。
「わたくしは、コミュニティの魔法使いです。家族であっても、私情に流されてはいけないのです。だから、どうか理解してはもらえませんか?」
時季子の言葉は優しく、あきらへのいたわりに満ちていた。手にするランタンの明かりも優しく夜を照らしてくれている。
それでも、あきらは首を縦に触れない。
『あなたのおばあ様は日本の中でも指折りの、大変すばらしい魔法使いです』
母親の言葉がよみがえる。
『当然粗相があってはいけません』
今、あきらは時季子の言葉に逆らっている。
それはとても怖いことで、でも、
「私からこの人を、陽作を奪わないでください」
陽作を失うことの方が、ずっと怖かった。
あきらの声は、弱々しく震えていた。
「そう、そうなの……ならば」
時季子は深いため息をついて顔を伏せ、数秒考えこむ。遠くから虫の音が聞こえ、熱気を帯びた風があきらを撫でる。あきらはすがるように、時季子を見つめていた。
時季子が再び顔を上げたとき、その顔からは一切の感情が排されていた。
「わたくしは、わたくしの使命を――」
「そいつは俺様の弟子にする」
あきらと時季子は同時に〈断罪者〉の方を向いた。〈断罪者〉は足元の血だまりを気にすることもなく、ゆったりとあきらたちの元へ歩みよった。
「それは、一体どういうことですか?」
「言葉通りの意味だ」
鋭い時季子の言葉に、〈断罪者〉はにやりと笑う。
「俺様の〈神眼〉でちぃとそいつの過去をのぞかせてもらっていたが、なかなか気骨のあるガキじゃねぇか」
時季子のランタンをもつ手がゆるんだ。〈断罪者〉はあきらの前に立つ。否、いまだ気を失ったままの陽作の前に立った。
〈断罪者〉は陽作を見て、心底嬉しそうに笑っていた。
「何より、こんなにちいせぇのによ、惚れた女のために全力で戦ったんだ。気に入ったよ」
「で、ですが、この少年は魔法使いとしての修行を積むには齢が」
「心配いらねぇよ、時季子さん」
〈断罪者〉は膝をつき、陽作の頭に手を乗せ、乱暴に頭を撫でる。
その姿に、時季子が目を大きく見開く。
「弟子といっても、魔法使いとしてじゃねぇよ。あくまで剣術。そっから、こいつが魔法使いの世界に踏み込むかどうかは、こいつ次第だ」
「この子の親が何というかは」
「関係ないだろ。こいつの親は、こいつを縛れる立場にない」
時季子の言葉を、〈断罪者〉は不愉快そうに切って捨てた。それから視線を上げ、ほんの一瞬、あきらと目を合わせた。
〈断罪者〉の腕が陽作の腰に回される。あきらは陽作を抱きしめる力を緩めた。あきらから陽作を受けとった〈断罪者〉はだっこして立ち上がる。
「俺様が弟子にするって言えば、コミュニティの頭でっかちどもも何も言えねぇだろ。文句があるなら〈断罪者〉に言えと伝えろ」
「あの!」
「なんだ? 孫ちゃん」
このまま立ち去ろうとした〈断罪者〉を、あきらは呼び止めた。
「あのとき、どうして魔法使いになんてならなくていいって言ったんですか?」
あの言葉はずっと、あきらの胸の中で引っかかっていた。
「あん? あぁ、あれか」
〈断罪者〉はあきらの言葉にはじめ眉をひそめたが、すぐに合点が言ったという顔をする。
「魔法使いになっても、幸せにはなれねぇからだよ。あれを見ろよ」
〈断罪者〉は夜の怪物の死体を顎で示す。切り刻まれた男の顔は、苦しそうに歪んでいるように見えた。
「魔法使いの末路なんざ、あんなもんだ。呪術師に殺されるか、魔法使いに殺されるか。あんなもんになりてぇか?」
〈断罪者〉の目が、あきらを映す。あきらは〈断罪者〉を、時季子を、夜の怪物を、そして陽作を、順番に見回していく。
『あなたは、おばあ様のような素晴らしい魔法使いになるの』
ずっとあきらは言われ続けて、そのことに疑問をもつことはなかった。
しかし、あきらは陽作と出会った。
あきらは陽作を見る。生きて、息をしている陽作を見る。
あきらは〈断罪者〉の隻眼を見据えて、口を開いた。
「魔法使いになって大切な人を守れるのなら、私は魔法使いになります」
「……そうかよ」
〈断罪者〉はあきらから視線をそらした。背を向け、陽作を抱っこしたまま公園を出る。
「なら最後に一つだけ忠告だ。もし『世界の声』を聴いても、その声には答えるな」
「世界の、声?」
「必ず、後悔することになるからな」
そう言って、〈断罪者〉と陽作は夜の闇の中へと消えていった。
「よかった」
公園にぽつり、あきらと時季子が残される。耳をすまさないと聞こえないくらいの声で、時季子がつぶやいた。
*
夜の怪物との戦いの翌日。
古い木と、コーヒーの香りがする。ゆったりとしたジャズの流れる喫茶店で、あきらは時季子と二人でテーブルを囲んでいた。
「あきらちゃん。今日はありがとうね」
「いえ、こちらこそありがとうございます」
「わたくしはいつものブレンドをアイスで。あきらちゃんは……」
「なんでもいいです」
「では、アイスのカフェオレを。砂糖とミルクをたっぷり入れてあげて。食べたいものはある?」
「えぇと」
時季子はメニューをあきらに見せる。ハンバーグ、ナポリタン、ロールケーキ。パフェ。見たことのない名前ばかりが並んでいる。
どうしよう。悩むあきらを見た時季子が助け船を出す。
「ここのタルトはとてもおいしいのよ。特にフルーツタルトは絶品」
「では、それで」
「マスター、フルーツタルトを一つと、サンドイッチを」
「かしこまりました」
「いつもありがとう」
一礼して、マスターは二人の元を去る。
「この喫茶店は魔法使い御用達だから、いろんなことを話しても大丈夫よ」
「はい」
あきらは喫茶店を見回した。まだ早い時間だからか、客はあきらたち以外にいない。カウンターの内側では、マスターがコーヒーを淹れていた。
ここは安全だ。そう思い、あきらは時季子に頭を下げた。
「昨日は父と母を、ごまかしてくれてありがとうございました」
「いいのよ。他ならぬ、孫娘の頼みなんだから」
時季子は薄く微笑む。
昨日のことだ。〈断罪者〉が去った時点で、時間はすでに遅く、ホテルに両親が帰ってきている時間になっていた。
脱走がばれる。顔を青くしたあきらに、時季子が助け船を出してくれた。
『魔法使いの実戦を見せたくて、わたくしが連れ出していたの』
ホテルの周辺を探していた両親に対し、時季子はそう言ってくれた。なお怪しむ二人であったが、夜の怪物と遭遇し交戦になったことを言えば、それ以上の追及はなかった。むしろ、
『この子は魔法使いとして、驚くくらいの才能があるわね』
という時季子の言葉に、両親はひどく喜んでいた。今日もまた話をしたいという時季子の言葉に、両親は一も二もなくうなずいた。
「でも、驚いたのは本当。その齢で、幻惑魔法が使えるのね」
「あの男……夜の怪物も同じことを言っていました」
昨日のことを思い出すと、まだ恐怖で体がすくむ。夜の怪物は、あきらの魔法を見て変貌した。
「私は代償を支払って、幻惑魔法が使えるようになりました。それは普通のことではないのですか?」
「普通ではないわね」
時季子は断言した。
「魔法は研鑽に費やした時間と、本人の才能に大きく依存します。もしあなたと同じ齢の子が、あなたと同じ代償を捧げたとして、その子が幻惑魔法を使えるようにはならないでしょう」
「え?」
「『世界』は、えこひいきをするものだから。きっとあなたは世界に愛されているのね」
愛されている、というにしては、時季子の表情は暗い。
世界、という言葉を時季子は使った。思い返せば、〈断罪者〉も世界の声、という言葉を使っていた。
「世界って、なんですか?」
「わたくしたちが代償を捧げる対象で、魔法を授けてくれる存在です」
暗い表情のまま、時季子は答える。車いすに乗った時季子は、動かない自分の足に手を乗せた。




