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10 七色②

「あきらちゃん。あなたに一つ問題を出します」

「はい」

 あきらは顔を上げた。


「魔法使いにおける『才能』とは、一体なんだと思いますか?」

 その問いに、あきらは眉をひそめた。才能がある、とはこれまで何度も言われてきたが、その意味が何かなんて考えたことがなかった。


 これまでのやり取りを振り返る。


 あきらの両親は、あきらを優秀だと、才能があると認めた。それはあきらが早く魔法を習得できたからだ。

 時季子は同じ代償を捧げても、あきらと同じように魔法は獲得できないと言っていた。であれば。


「より少ない代償で、魔法を習得、具現化できることでしょうか」

 情報をかき集めて出した結論に、時季子はゆっくりと首を横に振った。


「いいえ。間違ってはいないけれど、本質はついていません。魔法使いにとっての才能とはね。つまり、どれだけ世界に愛されているか、なのよ」

 また世界だ。世界の声、世界に愛される。〈断罪者〉と時季子。二人の口ぶりはまるで。

「世界には、意思がある?」

 そう言っているかのようだった。


 あきらの言葉を肯定するように、時季子は一つうなずいた。


「ごく一部の魔法使いが言っているだけの説ではあるけれど、わたくしは信じています。いえ、そういうと嘘、になりますね」

 時季子は深いため息をつく。コーヒーに視線を移し、ゆっくりと飲む。喫茶店に流れていたジャズの楽曲が終わり、沈黙が流れる。


「コミュニティは99%の平凡な魔法使いと、1%の優秀な魔法使いで成り立っています」


 顔を上げた時季子の表情は冷たいものだった。一切の感情を押し殺した魔法使いとしての顔だ。思わず、あきらの背筋が伸びる。

 あきらを見つめる時季子の目は、深い深淵を含んでいるように見えた。


「その1%の優秀な魔法使いは、大きな代償を支払うとき、何者かの視線を感じると言います」

「あ……」

 短く息を吸い込む。あきらの反応を、時季子はじっと見ていた。


 覚えがあった。幻惑魔法を手に入れるために、満腹感を代償に捧げたとき、あきらは確かに視線を感じた。

 ぞっとした。あのあきらの奥底までなめ回すように見つめていたあの視線の持ち主が。


 あれが、世界?


「そして、その中でも特に優れた魔法使いは皆、ある声を聞くのです。はっきりと、確かな意思をもった声です。それが」

「世界の声、ですか」


「そう考えています」

 怖いと、あきらは素直に思った。時季子の言う声を聞いたことはないが、視線は感じたことがある。

「おばあ様は、その声を聞いたことがあるのですか?」

 あきらの問いに、時季子は微笑みで応えた。


「世界は、何を語るんですか?」

 時季子は微笑むばかりで、あきらの問いには答えない。


「世界のことを、怖いと思う?」

 あきらはうなずく。

「きっとその考えは間違っていない。でもね、もし本当にあなたが魔法使いとして生きていこうと思っているのならば、怖いと思っても、遠ざけてはいけないと思うわ」


「どうしてですか」

「世界を遠ざけて、代償を支払うことを恐れては、呪術師を滅ぼすことができないから」

「呪術師を」


 そこで思い出すのは昨日の呪術師、夜の怪物だ。今のあきらでは、抗うことすらできなかった恐ろしい存在。

 あきらが魔法使いになるのなら、ああいったものと戦わなければならない。


 そのための力を、世界は渡してくれる。


「魔法使いは世界に代償を払って、呪術師を倒す」

「そうね」

「なら呪術師はどうして、呪術師になるのでしょうか」


 子どもの絶望する顔を見たいのだと、夜の怪物は言っていた。でも、それだけのために、人は呪術師になるのだろうか。

 なぜなら呪術師だって元は――

「呪術師は、魔法使いの成れの果てです。彼らは様々な理由で呪術に手を出し、堕落する。例えば……夜の怪物は、あの男はわたくしの昔馴染みでした」


「それって……」

「もう、ずっと昔の話よ」


 時季子は窓の外に視線を向けた。せわしなく行き交う人の群れが見える。透明なガラス越しに、絶え間なく変化する光景を見ながら時季子は続けた。

「あの男は、彼は平凡な魔法使いで、ずっと才能というものに固執していた。才能がなくても、一角の魔法使いになるのだと。まっすぐな瞳でよく口にしていましたよ」


「信じ、られません」

 時季子の語る夜の怪物の過去と、あきらの知る夜の怪物の姿が重ならない。


「お待たせしました」

 そこまで話したところで、マスターがテーブルにコーヒーとカフェオレを置いた。

 透明なグラスに入れられたカフェオレは、かなり白い。時季子は自身のグラスを手に取り、ストローを刺して飲む。それを真似してあきらもストローを使ってカフェオレを飲んだ。


 ぱっとあきらは表情を明るくする。

「おいしいです」

「口にあったのならよかったわ」

 上品な甘さと、それを引き立てるコーヒーの苦み。今まで飲んだ飲み物の中で間違いなく一番おいしかった。


 あきらは惜しむように、ゆっくりとカフェオレを飲む。その姿を、時季子はどこか憐れむように見ていた。


「呪術は、人の心をゆがめるものだから。麻薬と同じです。彼は魔法に純粋過ぎた。だから、一度だけと思って呪術を使い、その力を知って、戻れなくなった。でもそんな魔法使いは少なくないのよ」


 カランカランと喫茶店の扉が開く。数名の男が店の中に入ってきた。彼らは時季子の姿を認めると、慌てた様子で頭を下げる。時季子はそれに軽く手を挙げて応えた。

 男たちは時季子から離れた席に座った。


「わたくしたちは偶然世界に愛された。彼は偶然世界に愛されなかった。愛されない者は力を、あるいは別の何かを求めて呪術に手を出す。愛されなかった分を、別のもので補おうとするのよ。けれどね」

 時季子は自分の足を撫でる。


「あの視線を感じたのならば、あなたは優秀な魔法使いです。優秀な魔法使いの数はとても少ない。だからきっとあなたが大きくなったら、わたくしと同じ、暗くて冷たい魔法使いの世界で生きることになるでしょう。世界に愛されたからこそ、世界に多くの代償を支払うことになる」


 時季子は長年優秀な魔法使いとして活躍していたと、母親は言っていた。けれど、時季子の口ぶりはそれを誇る様子はなく、まるで後悔しているようでもあった。


「おばあ様は何を、代償に捧げてきたのですか?」

「たくさんのものを」

 時季子の手は、自身の動かない足をずっと撫ででいる。


 そこであきらは気づく。あきらが満腹感を捧げたように、時季子も歩く機能を捧げたのだ。


「本当にたくさんのものを捧げてきました。でも、そうね。一番は家族との、時間です」

 いつも怖い顔をした、父親の顔が頭に浮かぶ。


「世界中をめぐって、世界の秩序を守り続けてきた。あなたがこんなに大きくなるまで会えなかったのも、そのため。本当はもっと早く会いたかったの。嘘じゃないのよ」

 ゆっくりとした時季子の言葉は、悲しみに彩られていた。

 時季子の手が足から離れ、あきらの頭に触れる。その手は優しく、あきらの髪を撫ぜる。


 やっぱり、時季子からは古い本の匂いがする。

 魔法使いの匂いだ。


「わたくし自身の時間を捧げ、家族との時間を捧げ、働き続けて気づけば、こんなおばあちゃんになってしまいました。多くの呪術師を滅ぼし、長い間平和を守り続けることができた。魔法使いとしてのわたくしは幸福でした。それは間違いない」


 痛みをこらえるように、時季子は穏やかに微笑む。

 どこか無理をしているような、何かから目をそらしているような、そんな感じがした。その思いを肯定するように、時季子は言う。


「だけどやっぱり、後悔もしているのよ」

 テーブルにタルトと、サンドイッチが届いた。大きなタルトは皿に乗せられ、小さなフォークが一緒に置かれる。


 時季子はサンドイッチを素手でつかんで、小さく一口かじる。

「後悔、ですか?」

「家族との時間を取れなかったこと。あなたのお父さんには、とてもさみしい思いをさせてしまったと思っているの。本当なら、母であるわたくしが支えてあげなければいけなかったのに、できなかった」

 時季子の声は深く沈んでいた。


「あぁ、暗い話ばかりでごめんなさいね。タルト、食べてちょうだい」

「はい」

 あきらは素手でタルトをつかんで、口に運ぶ。シロップのたっぷりかかったフルーツは甘酸っぱくて、温かい。とてもおいしい。


 もしかすると、とあきらは思う。

 血のつながった相手と一緒に食事をとるのは、これが初めてだった。


 これが家族との食事、というものなのだろうか。

 その姿を見て、時季子はくすりと笑う。


「あなたはやんちゃね。こういうタルトは、フォークを使って食べなくちゃ」

 時季子は小さく笑う。あきらは皿にフォークがあることに初めて気づく。あわててタルトを置き、フォークをつかむ。

 どうやって食べるんだろう。素手で食べるのがダメだというのなら、細かく分けて食べればいいのか。


 フォークでタルトを小さく切り分けて口に運ぶ。時季子は何も言わなかった。正解だったらしい。ほっとすると、口の中のタルトがますます甘く感じる。


「わたくしは、きっと中途半端なのよ」


 タルトを食べるあきらを見ながら、笑みをひっこめた時季子はつぶやく。

「たくさんのものを捧げてきたけれど、捧げきることができなかった。……あきらちゃん」

「はい」

「さっきの質問の答え。わたくしは、世界の声を聞いたことがあります」


 タルトを食べる手が止まる。

「『ちょうだい』と、世界の声は言いました」

 何を、とは言わなかった。


「おばあ様は、その声に」

 時季子はゆっくりと首を横に振った。


「わたくしは答えることができなかった。あげるとも、あげないとも。それで、世界の声は消えた。それ以降、聞いていません」

 時季子は口を両手で抑え、目を伏せる。そのせいで、表情が上手くうかがえない。


「ならもし、その声に応えていたら」

「それが、〈断罪者〉です」

 時季子は答える。


「彼も同じように世界の声を聞いて、きっと彼は代償を差し出した。それで彼は〈理界〉と呼ばれる特別な魔法を、〈神刀〉を手に入れた。」

「何を、あの方は差し出したんでしょうか」


「名前を」


 時季子は言った。

「自分の名前を捧げたと、彼は言っていましたよ」


『名乗る名前なんて、俺様にはねぇよ』

 〈断罪者〉の言葉を思い出す。


『あきら』

 陽作が名前を呼んでくれると、あきらの心はそれだけで温かくなる。


 名前。それはとても大切なもののはずなのに。


 それを差し出してまで、あの人は何を成し遂げたかったのだろうか。


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