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11 七色③

 食べかけのタルトを前に、あきらは〈断罪者〉の選択の理由を考えていた。

 時季子もまた、静かにサンドイッチを咀嚼している。


 魔法使いと、才能と。


 世界の声と、代償と。


 時季子は世界の声を受け入れず、〈断罪者〉は世界の声を受け入れた。

 それで力を手に入れた。

 けれど、彼は世界の声を聞けば必ず後悔すると言った。


 もし、あきらが世界の声を聞いたとしたら、あきらはそれを受け入れるのだろうか。


 ……多分、受け入れない。


 あきらは自分のお腹に手を当てる。食べたタルトはおいしかった。だけどそれはそれだけで、あの満腹感を味わうことは二度とできない。

 代償として世界に捧げたものは、決して取り戻せないのだから。


 でも同時に思うのだ。

「守るための、力がいる」


 夜の怪物と相対したとき、陽作はあの化け物と戦った。あきらは弱くて、陽作も弱くて。もし時季子が助けに入らなかったら、二人とも殺されていた。


「あきらちゃん、あなたはまだ幼いわ」

 考えに沈むあきらに、時季子が声をかける。

「いろいろと話をしたのはわたくしだけれど、すぐ答えを出す必要はないわ。あなたはまだ本来守られるべき立場の人間よ」


「守られる、ですか。でも私は」

 時季子は自分の胸に手を当てる。


「わたくしも、幼い頃は守ってもらっていたんだもの」

「時季子様も?」

「えぇ。そうだ。あきらちゃんは『従者契約』というものを知っているかしら」


「ちょっとだけなら」

 読んだ本の中に、書かれていたことは覚えている。

「確か、魔法使いと魔法使いではない人が結ぶ契約ですよね」


「勤勉ね。正解よ。魔法使いが自分の命の一部を分け与える。そうすることで、主と従者の関係になる。従者になった人間は、主の魔法を借り受けて使うことができるようになる」

 時季子はそっと視線を落とした。


「その、従者契約は、私にもできますか」

 陽作の顔が、あきらの頭に浮かんでいた。もし次に何かがあったとき、あきらが陽作を従者にして、陽作が魔法を使えるようになっていれば。


 あきらは陽作を守ることができる。


 けれど、時季子は眉をひそめる。

「研究会の資料に、従者契約のやり方は載っているわ。あなたなら、やろうと思えばできる。でもね」

 時季子はそっと、自身の手をあきらの手に重ねた。


「もちろんデメリットもあるの。命の一部を分け与えるのだから、魔法使いの寿命はいくらか縮むわ。あるいは、魔法使いが命を落とした場合」

 あきらをじっと見つめ、短く、時季子は息を吸い込んだ。


「従者もまた、命を落とすことになる」


 時季子に触れられた手がビクンとはねた。倒れて動かない陽作を想像する。従者契約を行うことによって、陽作が死んでしまうかもしれない。


 それは、とても嫌だ。


 あきらの反応に、時季子は小さくうなずく。

「なんとなく、あなたの考えていることはわかるわ。けれど従者契約は世界と取引をしないだけで、確かに代償が必要なのよ。あなたは夜の怪物と出会い、危険な目にあった。だから、力が欲しいと思う気持ちもわかる。それでも」


 時季子はあきらの手をぎゅっと握る。

「あなたはまだ両親の元で、魔法の修行を積むべきだわ。大きな代償を支払って一度に強くなるのではなく、時間をかけて一つずつ。あなたに何より必要なのは、たくさんの時間よ」


 時季子の言葉は、じっと胸に染みていくようだった。時季子の言葉が正しいことは理解できる。代償を支払うことへの恐怖もある。

 それでも、と思うのだ。


「おばあ様。私は」

「わたくしにもね。昔従者がいたの」

 あきらの言葉を遮り、時季子は懐の財布から一枚の写真を取り出した。セピア色の古ぼけた写真には、若い時季子と不愛想な男性が映っていた。


 男の顔は写真越しににらんでいるのかと思うほど険しい。しかし、腹の前に両手を添えて()()時季子に寄り添い支えるように、男性は立っていた。

「この人が、わたくしの元従者。いっつも不機嫌で、怒っているみたいで、でもとても優しい人だったわ」

「元?」

「えぇ。とあることで、大きなけんかをしてしまったの」


 時季子は写真に目を向けたまま、痛みをこらえるように笑う。

「わたくしが悪いの。彼はずっとわたくしを守ってくれたのに、わたくしのせいで、離れ離れになってしまった。……主と従者はね、感情や強い思いも少しだけ共有してしまうの。そのせいで、私と彼の気持ちがずれてしまっていることに気付いてしまった。あのとき――」

 沈痛な面持ちで時季子は目を伏せる。


「きっと彼はわたくしの幸せを一番に考えてくれていた。でもわたくしは、魔法使いとしての責務に殉じることを選んだ。どれだけ話し合ってもこのずれは埋まらなかった。とっても大切だったはずなのに、結局主と従者でなくなるどころか、そばにいられなくなってしまったの」


「おばあ様」

「あきらちゃん。あなたはとっても優しいのね」

 あきらは時季子の手をつかみ返していた。時季子の話を聞いて、あきらの胸は痛くなっていた。


 あきらが触れる、しわまみれの節くれだった時季子の手。


 魔法使いとして、戦い続けてきた尊い手だ。


「ありがとう。その気持ちが、とてもうれしいわ。わたくしが言いたいのは」

 時季子はあきらを見て、薄く微笑んだ。

「焦ってはだめと言うこと。あなたにはまだまだたくさんの未来があって、たくさんの選択肢があるの。今はつらいかもしれない。心配かもしれない。でも、未来はきっと明るいから」


 時季子は一度目を閉じる。

「よく考えて、時間をかけて決断しなさい。魔法使いであっても、わたくしたちは幸せになれるの。どうか、あなたは幸せになれる選択を、選んでほしい」

「幸せになれる選択肢を」

 あきらはつぶやき、そしてうなずいた。


「はい」


「わたくしはあなたの幸せを祈っているわ」


 そう言って、優しい手つきで時季子はあきらの髪を撫でた。

 その時、カランと、喫茶店の入口にかけられたベルが鳴った。


「時季子様」

 執事の崎村が、時季子のそばにやってきた。

「あら、もう時間かしら」

「はい。研究会の」


 あきらは壁にかけられた時計を見る。すでに時間は9時になろうとしていた。店内を見回すと、後から来店していた若い魔法使いたちの姿もない。

 長い息を吐いて、時季子は言った。


「わかったわ。わたくしはちょっとお手洗いに行ってきます」

「補助を」

「不要です。少し待っていてくださいな」


 車いすのハンドルに手を添えようとした崎村を制し、時季子は自ら車いすを動かして行ってしまった。

 その後ろ姿を見ながら、崎村が口を開く。


「お父様はお元気ですか?」

「え」

「私は邸宅を守ることが仕事ですから。一月前にお会いして以来、一度も顔を見ていないのです」


 あきらは崎村の顔を見上げる。彼は視線をあきらに合わせぬまま、時季子が向かった先を向いていた。

 なんとなく、らしくない、と思う。あきらが崎村と会話をしたのはほんのわずかな時間だったが、目も合わせないのはあきらのイメージする崎村の姿とずれている。


「それは、はい。私もあまりお父様とお話する時間はありませんが」

「そうですか」

 崎村はふっと頬を緩める。それから数秒の沈黙の後、重々しい口調で言った。


「……あなたのお父様、坊ちゃまはご自身に才能がないことに苦悩していました」

「それはどういう」

「独り言です」

 あきらの問いかけを、崎村はやんわりといなす。


「時季子様は非常に優秀な魔法使いです。それこそ、あの方でなければ果たせない使命があり、守れない命がありました。だからこそ、多くを代償にして、魔法使いとしてこの世界に献身してきた。そして、その姿を、あなたのお父様は短い時間であれど、確かに見てきていたのです」


 世界、という言葉を聞いて、あきらはどきりとする。

「私は魔法使いではありません。あくまで一執事にすぎません。けれど私は多くの魔法使いを見てきました」

 崎村は目を閉じる。


「だからこそ、思うのです。魔法使いたちの生き方は、自らを犠牲に、周囲を犠牲に、世界のために奉仕しているようだと。坊ちゃまは、努力を重ねていました。それこそ死んでしまうのではないかと思うほど必死に。苦しみながら、もがきながら」


 あきらに魔法の修練を押し付ける父親の姿。無表情に、過酷な課題を与えてくる父親はもしかすると、過去の父親自身がやってきたことなのかもしれない。

 あきらは父親の課題を全て受け入れ、魔法として実現することができた。

 でも、父親はどうだったのだろうか。


「至れなかった。坊ちゃまは、時季子様のような魔法使いにはなれなかった」


 そこで初めて、崎村はあきらに視線を向けた。深く、深くあきらを見通すような目であり、何かをこらえるような色があった。


「……無礼を承知でお尋ねします。あなたのお父様は、心身ともにご健康であられますか? あなたに、何か酷なことを強いてはいませんか? ……私には、坊ちゃまがあなたを、時季子様のような魔法使いに、無理やりにしようとしているように感じられて仕方がないのです」


 あきらは、外の世界を知って、自分の置かれた環境が当たり前ではないこと気づいていた。

 狭い部屋に押し込められて、ひたすらに魔法の修行のみをやらされる日々。


 もし。


 もし、あきらが本当のことを言ったらどうなるだろう。


 あの変化のない日々から解放されるのだろうか。


 でも、そうなれば両親は、父と母はどうなるのだろうか。


『あなたは、おばあ様のような素晴らしい魔法使いになるの』

 呪いのような、母の言葉が頭をよぎる。


「私、は、お父様とお母様に」

 舌が上手く回らない。


『あんたの親ってどんだけクズなの? 普通じゃねぇよ。 マジクソじゃん。死んだ方がいいんじゃないか?』

 陽作の言葉を思い出す。


「私は――」

 浅く息を吸いこむ。


 あきらの最も古い記憶。


 父親に抱っこされながら、母親の子守歌を聞いて眠る自分自身の姿。


 あきらは、かつては確かに、父と母に愛されていたはずだった。



 願ってしまう。



 今は冷たくても、いつかは。


『よく考えて、時間をかけて決断しなさい。魔法使いであっても、わたくしたちは幸せになれるの。どうか、あなたは幸せになれる選択を、選んでほしい』

 優秀な魔法使いである、時季子の言葉。


 時間は、まだあるから。だから。


 あきらは、首を横に振った。

「そんなことは、ありません。魔法の修行は大変ですけど、お父様も、お母様も、私のために、いろんなことをしてくださっています」


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