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12 七色④

「彼はいつもの公園にいるそうですよ」

 別れ際、時季子が教えてくれた。


「あの後、〈断罪者〉が一晩保護して家に帰したそうです。帰る前に、公園にいることをあなたに伝えてほしいと」

「ありがとうございます」


 崎村の運転する車に乗って、時季子は去っていった。それを見ながら、あきらの頭の中はさっきの選択が正しかったのか、間違っていたのか。これでよかったのかぐるぐる回り続けていた。


 車が角を曲がり、姿が見えなくなる。あきらは手にした紙袋に目を向けた。時季子がお土産にと持たせてくれた喫茶店のタルトだ。

 何が正しいのかはわからない。でも、陽作と一緒ならこのおいしいタルトはもっとおいしく食べられるはずだ。


 崎村の心配そうな顔がよぎる。


「陽作」

 名前を呼ぶ。それだけでいつもは心が安らぐ。


 でも、今日ばかりはそうはいかなかった。

 陽作はきっと〈断罪者〉から魔法のことを聞いている。ならばあきらのことも同じように聞いているはずだ。


 あきらが魔法使いであることも。


 陽作はどんな顔をしているだろう。公園へ向かう足取りが重い。それでも、陽作には会いたい。

「……陽作」

 公園にはすでに陽作が待っていてくれていた。ドームの上に座り、青空に浮かぶ入道雲をぼんやりと眺めていた。


「あきら」

 陽作があきらの名前を呼ぶ。陽作はドームから飛び降りて、あきらの前に立った。


 よかった。


 真新しいシャツを身に着けた陽作は、見たところどこにもけがをしている様子はない。陽作はじっと、真剣な顔であきらを見つめている。立って、あきらの名前を呼んでくれる。

 胸の奥から熱いものがこみあげてくる。


「ひぐっ」

「ちょっ……なんでいきなり泣くんだよ!」

 あきらの目から涙がぼろぼろとこぼれてきた。


「だっで」

 夜の怪物と戦って、傷つき、倒れた陽作をあきらは見ている。陽作が生きている。そばにいる。その事実が、あきらは何よりうれしかった。


「あぁもう!」

 陽作はあきらの頭に手を乗せた。ぐりぐりと痛いくらいに撫で回される。


「い、痛いです」

「あのおっさん、師匠から大体の話は聞いた」

「師匠?」

 〈断罪者〉のことだろうか。


「片目でハゲのおっさん。俺様のことは師匠って呼べってうるさくて。それでさ。魔法使いのこととか。そんな世界があるんだって、驚いたけど。それで、あきらもそうだって聞いた」


 あきらはビクリと肩をすくませる。

 やっぱり、陽作は魔法使いのことを知らなかった。

 あきらと陽作は、住む世界が違う。


「大丈夫だ」


 力強い声が、あきらの浮かびかけた恐怖を消し飛ばした。

「あきらが魔法使いだろうが、何だろうが、俺はあきらのことを遠ざけたりしないよ。あきらが、そうしてくれたみたいに」


「あ――」

 陽作はあきらの頭から手を放す。顔を上げると、にっこりと笑った陽作の顔が見えた。

 ずっと溜まって、よどんでいたものが、洗い流されていくようだった。

 魔法使いとしての責務も、世界の声も、両親のことも、何もかもが今だけはどうでもよかった。


「ありがとう、ございます」


 陽作の胸に額をつける。陽作の心臓の鼓動を感じながら、ただ、あきらは泣き続けた。


 *


「ごめんなさい。服、汚してしまって」

「いいよ。そんくらい」

 ようやく泣き止んだあきらは、陽作と手をつなぎ、ドームのそばに座り込んでいた。


「ほんと、あきらは泣き虫だな」

 柔らかい表情で陽作は笑う。その笑顔と、握った手の感触が、あきらを安心させてくれる。


 ずっとこうしていたい。そう思っていた時だ。


「え!」

 公園の入口から、どこか間の抜けた大きな声が聞こえた。見れば若い女性がいて、震える指で陽作を指さし、陽作とあきらを交互に見比べる。

「げっ!」

 その女性を見て、陽作は顔をひきつらせた。


「まさか、陽作くんの彼女!?」

「ちげぇよ! 相変わらず勘違いがひどいな!」

 陽作の叫びが、公園に響いた。



「初めまして! あたしは小山真子。ここにいる陽作くんの担任の先生です!」


 元気いっぱいに言って真子は、あきらに握手を求めてくる。おずおずと手を握ると、ぶんぶんと力いっぱい握りしめて腕を大きく振った。

「元気元気!」

「へ、あ……ちょ」


 ぐいぐい来る真子に、あきらは目を白黒させる。抵抗もできず、されるがままになる。

「真子先生、あきらが困ってる」


「おっと、ごめんね。あ、名前あきらちゃんって言うんだ。いい名前だね。あ、髪長―い」

 陽作に言われ、真子はすぐさま手を離す。


「そういえば、あなたうちの学校の子じゃないよね。こっちに親戚の人がいるの? 夏休みの間に来た感じ?」


「えと、まず名前はありがとうございます。髪の毛のことも。それで、この町にはおばあ様がいて」

「おばあ様! なんだか素敵な響き!」


「あきら、真子先生の言葉にいちいち答えなくていいから。真子先生もあきらに質問しすぎ。あきら真面目すぎるから、困らせてる」

「は、はい」

「あら、ごめんね」


 三人の中で陽作が一番年上のようだった。そこであきらは時季子からもらったタルトを思い出す。

「そうだ。実はさっきおばあ様とお話してて、それでこれもらいました」

 あきらは手にした紙袋を見せる。


「え、何それ。わー、タルトだぁ! おいしそう!」

「もしよかったら真子、先生も」

「いいの!?」

 あきらの提案に、大人のはずの真子はすぐに乗った。


「……真子先生には遠慮とかないのかよ。あきら、俺ももらっていいの?」

「うん。最初からそのつもりでしたから」


 それから3人でタルトを食べながら、おしゃべりをした。というよりほとんど真子がしゃべって、陽作とあきらは相槌を打ったり、答えたりといった感じだった。

 向日葵のような笑顔の真子に、あきらも陽作もついつい笑わされてしまう。


 真子の口元には、タルトの食べかすがついていた。

 あきらは陽作が以前真子のことを「変な先生」と言っていたことを思い出した。


「先生。口」

「へ? あぁ! はずかし!」

 笑ってしまいそうになるのをあきらはこらえた。


「そうだ。あきらちゃんの名前って、どんな漢字を書くの?」

 何気ない様子で真子が尋ねる。


「漢字で、ですか」

「そう。あきらちゃんのところは違うかもだけど、夏休みの宿題でね。自分の名前の由来を調べてきてって宿題を出したの。例えばあたしだったら、漢字はこう」


 公園に落ちていた木の棒で、『真子』と書く。

「『真』は自然のまま、ありのままって意味で、『子』は一から了、はじめから終わりまでって意味。だから、生まれて死ぬまで自分らしくありのままに生きなさいって意味なの」

「真子先生は、ありのまま過ぎると思う」

 ぼそりと、陽作がつぶやいた。


「あはは。よく言われる。……それで、陽作くんはどう? お父さんかお母さんに、聞けた?」

「聞けると思う?」

「そっかぁ。やっぱり難しかったかぁ」


 ぶすっとした顔で応える陽作。真子は陽作の事情も知っているようだった。困ったなぁと頭を抱えている。


「私の、漢字は」

 あきらは真子から木の棒を受け取り、名前を書いた。『重日日日日』、『日』が4つ連なる名前に、真子は目を丸くした。


「これは……『重日』が苗字で、『日日日』が名前。そっか。日が三つで晶になるからあきらって読ませるんだ。すごい名づけ」

「苗字と合わせて4つの太陽って意味らしいです。たくさんの太陽で、みんなを照らしなさいって。でも、私を照らしてくれる人は、ずっといませんでした」


 暗い表情になったあきらに、真子は「むむ」とうなる。そして陽作を見て、あっと表情を明るくする。

「あきらちゃんの名前は、太陽って意味なんだよね」


「はい」

「なら陽作くんとお似合いだね」

 真子はあきらから木の棒を受け取り、『陽作』と名前を書いた。


「だってほら、陽作くんの名前にも『陽』、つまり太陽の文字がある」

 真子は空にある太陽を指さした。


「二人とも、お日様にちなんだ名前なんだよ。あきらちゃんはたくさん太陽を持っていて、陽作くんはなんと太陽を作っちゃう。太陽いっぱいで素敵だね」

 あきらと陽作は顔を見合わせた。そして、地面に書かれた『日』と『陽』の文字をじっと見る。


 太陽と太陽。二人の名前には、夏を象徴するような同じものを含んでいた。


「名前まで相性ばっちりなんて、すごいじゃん」

 あきらはずっと自分の名前が好きではなかった。


 4つの太陽。父と、母と、祖母と、コミュニティを照らす光。

 ならだれが私を照らしてくれるのと、ずっと思っていた。


 今、このときまでは。


 あきらの『日』と陽作の『陽』を指でなぞる。顔を上げる。そこには陽作がいた。

「目の前に、いたんだ」

 あきらは静かに陽作の手を取った。


「あきら?」

 熱い。この手の熱さがあれば。


 陽作さえいれば、冷たく暗い世界でもあきらは生きていられる。


 あきらを照らしてくれるのは、陽作だ。

「いえ、なんでもありません」


 そっと、あきらは微笑んだ。


 *


 ――夕焼けの公園を前に、10年前のことを思い返していた。


 10年ぶりに見る遊具たちは、記憶よりもずっと小さく見えた。ぴかぴかに見えた塗装も、年月の流れで劣化し、さび付いてしまっている。


 ふと、幼い自分が、目の前を横切っていった気がした。


 それだけじゃない。


 あのブランコも、砂場も、ドームも。


 この公園には、あきらの幸福の全てが詰まっている。


 ずきん、ずきんと胸が痛む。

 今の公園には、もう誰もいない。


「きっとあの瞬間が、私にとって幸せの頂点だった」


 ――オルゴールの音色が聞こえてくる。ピンを弾いて響かせる音色はとても優しい。

 けれどその音色は、泣きたくなるほどの悲しみも帯びている。

 オルゴールの音色を聞いて過去を思い出すのは、思い出が優しいものばかりではないから。


 ヒグラシが鳴く。


 夏が終わる。


 悲しみは、夏の終わりとともにやってくる。



 幸せの終わりはいつも、唐突に訪れる。


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