13 七色⑤
「さて、あたしはそろそろ学校にもどるから」
それからまた少し話をして、真子はぐっと伸びをした。
「じゃあね。陽作くん、あきらちゃん」
「はい」
「あ、そうだ。あきらちゃん」
ふと気づいたように真子は言った。
「あきらちゃんはいつ帰るの?」
「え?」
「だってさ、ほら。夏休みって明日までだよ。明後日から、学校」
そうだった。
夏休みと学校。疑問にいつか疑問に思っていたこと。いろんなことがあって、あきらの頭からすっぽり抜け落ちていた。
陽作は学校に通っている。でも、陽作は毎日あきらと遊んでくれていた。
なぜか。
夏休み、だからだ。
夏休みはいつかは終わるもの、なんだ。
さぁ、と全身の血の気が引く感覚。太陽は変わらずあきらを照らしているのに、外はこんなに暑いのに。
冷たくて、暗い。
「……ってごめん。この後会議があるんだった! あたし戻るね! 陽作くんも、明後日学校で!」
あきらの様子には気づかず、真子は足早に去っていった。あきらはこわばった顔で、陽作を見た。
陽作はばつの悪そうな顔をしていた。わかっていたんだ。あきらは気づく。この幸せな日々がずっとは続かないことを。
セミの声が聞こえる。あきらが初めて外に出たときよりも、ずっと小さな声で鳴いている。そういえば最近、少し涼しくなってきた。
「ねぇ、陽作」
声は弱々しく、ふるえていた。
「私たち、ずっと一緒にはいられないんですか?」
遠ざけないと言ってくれたのに。涙が出るほど、うれしかったのに。
否定してほしい。違うと言ってほしい。
「それは」
陽作は言葉を詰まらせる。嘘は嫌いだ。初めて会ったとき言っていた。陽作はあきらに冗談を言っても、嘘を言うことはなかった。
「夏休みは、もうすぐ終わる。明日までは、一緒にいられる」
明日までは。陽作の優しさが、今のあきらにはつらかった。ふらりと、崩れるように一歩、あきらは陽作へ歩み寄る。あきらは陽作の胸に、自分の額をくっつけた。
離れたくない。そんな気持ちを示すように。
「……学校が始まっても、時間が減るだけで、一緒にいられなくなるわけじゃない。それに土日もある。そうだ。学校なんてさぼればいい」
陽作は矢継ぎ早に言葉を重ねる。
いやだ。あきらは首を振る。
「ずっと、一緒にいたいの」
消え入りそうな声で言う。
「……ごめん」
陽作はゆっくりと、あきらの背に腕を回した。幼い腕が、壊れ物を扱うようにあきらを抱きしめる。
「私も、ごめんなさい」
心のどこかで、わかっていた。この日々が永遠には続かないことを。
だってあきらは、両親が魔法の研究会についてくるためにここに来たのだ。
研究会が終われば、またあの狭い部屋に逆戻り。
遠く離れることになるのは、あきらの方だ。
「今日の夜さ。花火大会があるんだ」
耳元で陽作の声がする。
「一緒には見られないかもしれない。でも、明日どんなに綺麗だったか感想を言い合おう」
「はい」
「それに、また会えるから。ほら、俺の師匠って、すごい魔法使いなんだって自分で言ってた。だから」
「うん」
「せめて、一緒にいられるうちは」
「うん」
「一緒にいよう」
返事は涙で濡れていた。
陽が沈むまで陽作と一緒にいたあきらは、沈んだ気持ちでホテルに帰ってきた。テーブルに置かれた資料に目を向ける。資料の中から従者契約に関するものを探す。
「あった」
資料には、従者契約のやり方が書かれてあった。真剣な面持ちでページをめくる。
あきらが従者契約のやり方を覚えて資料をもとの場所に戻すのと、両親が帰ってくるのは同時だった。彼らは部屋に戻るなり、衣類や資料をバッグに詰め始めた。
そして、あきらの方すらろくに見ずに、言ったのだ。
「研究会は終わりだ。今から帰るぞ」
「え……」
目の前が真っ暗になったようだった。夏休みは明日まで。ならせめて明日までは陽作と一緒にいられると思っていたのに。
その明日すら、ないの?
さよならすら、言えないの?
嘘つき。
時間なんて、ないじゃない。
「返事は?」
感情のこもっていない母親の言葉。母が無表情にあきらを見つめていた。恐怖で体が震えた。両親の教育は体に刻まれている。
早く返事をしなければ。
「は――」
でも。
陽作の顔が頭に浮かんだ。外の世界の感動を、つないだ手のぬくもりを、あきらの太陽を。
『魔法使いであっても、わたくしたちは幸せになれるの。どうか、あなたは幸せになれる選択を、選んでほしい』
幸せ。
あきらにとっての幸せを、こんな形で失うのは、いやだった。
いつか両親があきらの方を振り向いてくれるかもしれない。
でも、今のあきらにとって一番大切なことは。
あきらは、母親の前で、はっきりと首を、横に振った。
「い、いや、です」
部屋の空気が凍り付いた。
「……ねぇ日日日。あなた今なんて言ったの?」
怖い。あきらは顔を上げられなかった。父が荷物をまとめる音も止まっていた。沈黙。両親の視線があきらに向いている。
「帰るぞ、と言った。だから帰るんだ。返事は?」
父の言葉。顔を下に向けたまま、あきらは首を横に振る。
大きく息を吸い込む音が聞こえた。
「あんたをそういう風に育てた覚えはない!」
母の怒号が部屋に響いた。荒い足音とともに母親があきらに近づく。顔を無理やりつかんで、目を合わせられる。
「返事ははい、でしょ! どうしていやなんて言うの! あなたは私たちのものなの。私たちを照らしてくれるものなの! だから、いやなんて言っちゃいけないの!」
『あなたの名前はね、いっぱいの太陽と言う意味です』
かつて母親が言った言葉がよみがえる。
恐怖で体は凍り付いていた。そばに父親が立つ。当然、あきらを助けてなんてくれない。母親の言葉に、うなずくだけだ。
「返事は、ねぇ日日日。返事は!」
はいと言え。それ以外の返事は存在してはならない。
間近に見る母親の目は、濁って見えた。
それがまるで、夜の怪物のような。
呪術師に、そっくりだった。
でも目の前の母親は、あの化け物ほど恐ろしくない。
恐怖が、あきらの体を縛り付けていた恐れが冷めていく。
「日日日!!」
母親が手を大きく振り上げた。たたかれる。
『コミュニティは99%の平凡な魔法使いと、1%の優秀な魔法使いで成り立っています』
時季子の言葉。
『時季子さんよ。お前のガキと嫁はつまんねぇな。見るものがない。ザコとクズだ』
〈断罪者〉の言葉。
『俺たちはガキだから、どんだけクズな親でも頼んないといけないんだよな。わかる。それは、わかってる』
そうだね。その通りだと思う。
夕焼けの中で言った、陽作の言葉がよみがえる。
あきらはガキだ。親の力を頼らないと生きていけないガキ。だけど。
あきらは魔法使いだ。優秀な、魔法使いだ。
外の世界に出て、あきらは知ったのだ。
あきらは、ただのガキじゃない。
あきらは小さな手を握りしめる。
力はある。代償を支払って、手に入れた力が。
小さく息を吸い込み、唱えた。
「〈欺け〉」
「なっ!」
母の手があきらから離れる。母親はあきらを見失っていた。母親だけではない、父親も同じようにあきらの姿が見えなくなっていた。
「幻惑魔法? ありえない……」
両親は心底驚いていた。無理もない。基礎魔法しか使えないと思っていた自分たちの娘が、幻惑の魔法を使ってみせたのだから。
「逃げなきゃ」
とはいえ、両親は魔法使いだ。いくらあきらが優秀で、両親が平凡だったとしても長くは欺き続けられない。
人形にかけるのとはわけが違う。
部屋を飛び出し、あきらは夢中で走った。階段を駆け下り、ホテルを飛び出す。外はすでに暗くなっている。
藍色の空には、満月が輝いていた。
駅前は、人であふれていた。そしておかしな服装を着ている人があちこちにいた。それが浴衣や甚平と呼ばれるものだと、あきらは知らない。
見慣れない風景。
まるで、知らない場所に来てしまったかのようだった。
捕まったら、あの狭くて暗い部屋に戻される。陽作とも二度と会えなくなる。
ヒュー、と高い音が空から聞こえた。音につられて、あきらは夜空を見上げる。
パァン! 藍色の空に、大きな花が咲いた。
藍を背景に輝く七色の光。それは一瞬で広がり、溶けるように消えていく。
「きれい……」
瞬間、あきらは全てを忘れた。
それは息をのむほどにきれいで、追われているという恐怖もどこかへ行ってしまうほどだった。散って消える姿に胸を締め付けられそうになる。
群衆が立ち止まる。歓声が響く。また、新たな花火が打ちあがる。はっと気づいたように、あきらは走り出す。
花火大会があるからだろう。人通りは多かった。見知らぬ町の人々は、花火を近くで見ようと動いている。
人の流れに逆らうように、あきらは走る。誰もかれもが笑顔を浮かべる中、必死の表情で走る。
行先は決まっていた。いつもの公園。
公園に近づくにつれて、人通りは少なくなっていく。
公園にたどり着く頃には、人は全くいなくなっていた。当然、陽作の姿は公園にはない。わかっていたことだった。あきらはいつも二人で並んでいたドームの内側に入る。
空気はこもっていて、少し冷たい。あきらはひとりぼっちで体を縮める。
涙がこぼれそうになるのを必死で抑える。荒いあきらの息遣いだけが、ドームの中に響く。
さっきから絶え間なく低い音が響き続けている。ドームの外の夜空には、たくさんの花が咲いては散っていた。陽作と一緒に見たかった花火が、次々と消えていく。薄暗闇の中では、七色の花を見ることすら叶わない。
「考えないと。これから、私は」
両親に逆らって、逃げ出した。それ自体に後悔はないが、そのあとのことを何も考えていなかった。
いいアイデアは浮かんでこない。時季子や〈断罪者〉、真子。頼れそうな人は思い浮かんだが、どこにいるのかわからない。
探しているうちに、両親に見つかってしまうだろう。
「陽作、会いたいよ。離れたくない。陽作」
失いたくないのだ。やっと見つけたあきらを照らしてくれる太陽を。
振り絞るように、何度も陽作の名前を呼ぶ。
ザっと、花火の音に紛れて、公園に誰かが入ってくる足音がした。あきらはビクッと肩を震わせ、口元を手で押さえる。
両親がもう来たのか? 恐怖を必死で押し殺し、息を殺す。足音はあきらのいるドームへと近づいてくる。
軽い足音。それに気づいたとき、あきらの緊張はほぐれ、じわじわと思いがこみ上げてきた。
「――あきら? なんで」
「陽作」
ドームの入口から顔をのぞかせたのは、寝間着姿の陽作だった。
陽作の頬は真っ赤に腫れあがり、痛みをこらえるように顔はしかめられている。
たたかれたんだ。誰に? 決まっている。
陽作の両親にだ。
あきらと、同じ。
「陽作!」
あきらはドームから飛び出し、あきらは陽作に抱き着いていた。
太陽のように熱い陽作のぬくもりを、感じた。
陽作の腕が、あきらの背に回される。
「あきら、何があった」
陽作の声は鋭く、そして怒っていた。
「家に、帰るって。だから、私、逃げて……」
「そっか。俺も」
互いに抱きしめ合った姿勢のまま、陽作も語った。
「離婚するって。もう、家族じゃないって。お前なんていらないって、産まなきゃよかったって、言われた。だから俺、怒って、でも、だけど、ガキの俺じゃ、どうにもできなくて」
声は低く、震えている。あきらを抱きしめる力が、ますます強くなる。
「家族がなくなる。普通の家族が、欲しかっただけなのに。俺は、ひとりぼっちだ」
「違う!」
あきらは叫んだ。陽作の肩が震えた。
「陽作は一人じゃない。私が、いる。私が、いるから」
「あきら」
体をわずかに離し、あきらと陽作は見つめ合う。
「お前さ、いつも俺の代わりに泣いてくれるんだな」
涙を必死にこぼすまいとする陽作の前で、あきらはぼろぼろ泣いている。
「あきらは、泣き虫だ」
無理やり作ったような笑顔を、陽作は見せる。それはあまりに痛々しい笑顔だった。
「ずっと、一緒だから」
すがるようなあきらの言葉。
「無理だろ。ガキの俺たちじゃ、どうにもならない」
「ただのガキじゃない。私は魔法使いだから」
決して失いたくない。
失いたくないから。
「おばあ様、ごめんなさい」
あきらは、決意を固めようとする。
「契約を」
顔を伏せて言う。だめだ、心臓がうるさい。
もし陽作に拒絶されたらどうしよう。怖い。
手が震えて、足が震える。その時。
夜空に連弾の花火が咲いた。これまで以上の振動に、あきらはつい顔を上げてしまう。
「……きれいだな」
「……うん」
陽作とあきらは同じ方向を向いて夜空に咲き誇る花火を見た。導かれるように、お互いに顔を見合わせる。二人の視線が交差する。その瞬間、あきらの中から恐れが消えた。
七色の輝きに背を押され、あきらは言う。
「ねぇ陽作。私と――」
――従者契約を、結んでください。




