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14 七色⑥

 夜空に花が咲いている。


 花火大会も終焉に差し掛かり、残ったものを全て注ぎ込むように打ち上がり続けている。

 いつもの公園で、いつもと違う空模様の下で、あきらは陽作に願う。


「従者契約?」


「うん。魔法使いとただの人間が結ぶ契約。私の命の一部を、陽作にあげるの。それで陽作は私の従者になる」

「それで、どうなるんだよ」


「私が使える魔法が、ほんのちょっとだけ陽作も使えるようになる。それでね。魔法使いと従者は、家族よりも深い絆で結ばれている。命をつなげて、心もつながるから」

 思えば、時季子と彼女の従者も深い絆で結ばれていたのだろう。だからこそ、その関係が破綻して、時季子は強く苦しんでいた。


 たとえあきらと陽作の関係が、時季子と同じものになるとしても。

「陽作が私の従者になってくれるなら、私は、私も、一人ぼっちじゃなくなるの」

 あきらはそこで口ごもる。


 次の言葉は、言い出すのに勇気が必要だった。

「だけど、主になる魔法使いが死んじゃうと、従者になった人も死んじゃうの」

「わかった」


 力強い、迷いのない言葉だった。


「俺は、あきらの従者になる」

「いいの?」

「あきらとなら、いいよ」


 陽作はあきらを安心させるように笑う。

 あぁ、と思う。陽作はこんなに簡単に、あきらのために命を差し出してくれるのか。

 心が、震えた。


「俺の方からお願いしたいくらいだよ。俺は何をすればいい?」

「えっと、従者契約を結ぶためには、従者になる人が、魔法使いの体の一部……血を飲むの」

「なんだそれ。すごい魔法っぽいな」


「うん。それで一緒に詠唱してくれれば、それで私と陽作は主と従者」

「オッケー。ならすぐにやろう。あ、そういえばさ」

 赤くはらした顔のまま、陽作はあきらの唇を指さす。


「敬語」

「え?」

「ようやく俺に敬語使うのやめたな。前から思ってたんだよ。俺のことは呼び捨てするくせに、敬語で話すのおかしいよなって」


「……今言うことじゃないよ。それ」

 泣きはらした顔で、あきらも笑った。



 花火が途切れる。シンとした静寂が、夜の公園を包み込む。


 あきらは自分の指の腹を強く噛む。肉を嚙みちぎり、細い指から赤い血を滴らせる

 陽作はあきらの前でひざまずき、血を流す指をそっとくわえた。生暖かい湿った感覚があきらの指先から伝わってくる。

 ゴクンと、あきらの血を陽作が飲み込んだ。それをあきらは、静かなまなざしで見つめる。


「詠唱はちゃんと覚えた?」

「大丈夫だ」

 陽作の口から指をそっと引き抜き、あきらは陽作の額に手を当てた。


「「〈誓う〉」」


「〈私、重日日日日は魔法使いとして従者にする〉」


「〈俺は重日日日日の従者になる〉」


 互いに視線を合わせて言葉を重ねていく。

 それは世界に対する宣言で、家族以上の何かになろうとする二人のための言葉。


「〈魔法使いとして従者に問う。お前は私のために命を捧げられるか〉」


「〈捧げる。従者として魔法使いに問う。あなたは俺のために何を捧げるか〉」


「〈命と魔法を。私の命はお前のもの。お前の命は私のもの〉」


「〈俺の命はあなたのもの。あなたの命は俺のもの〉」


 あきらは胸のあたりが熱くなるのを感じた。輪郭を伴わない命という名の熱が、二つに分かれる。あきらから分かたれた命は、糸のように陽作へと伸びていく。


 糸は陽作の心臓へ。取引は成立した。力の抜けるような脱力感と、大事なものが消えたという喪失感があきらを襲う。


 同時に、陽作の心が伝わってくる。喜びと安心と、そしてあきらに対する特別な想い。


 あきらの想いも、きっと陽作に伝わっている。


 あきらは、陽作の主となった。


 ここからの言葉は誓いだ。魔法使いと従者が、互いに向ける誓い。


「〈従者、向井陽作は誓う。主、重日日日日を守ると。たとえ離れ離れになったとしてもそばにいると〉」


 熱い視線があきらを貫く。喪失感を覚えたはずの胸が、焼けるように熱い。


「〈主、重日日日日は誓う。従者、向井陽作を守ると。あなたのことを永久に大切に思い、ずっとそばにいると〉」


 契約は終わった。シン――と公園は静まり返る。

「……主なのに、従者を守るのか?」

 あきらの誓いの言葉に、陽作が首をかしげた。


「主だから、従者を守るの。だって、私の方が強いんだもん」

「俺、情けないなぁ」

 そうやって、魔法使いと従者はくすくすと笑った。


「陽作、見て」

 あきらは自分と陽作につながる『糸』を具現化した。あきらの胸から伸びて、陽作の胸につながっている。


「この糸が、従者契約の証明。どれだけ離れていても、互いに生きている限り、存在を感じられるの」

「これが」

 陽作は糸に手を伸ばす。形のないものだ。陽作の手は空をきる。


 それでも、陽作の顔は幸せそうにほころんだ。

 ずっと、あきらはひとりぼっちで、陽作もひとりぼっちだった。形は違えど、同じ思いを抱えていた。


 そんな二人が今、一本の糸でつながれている。


 もう、一人じゃないんだ。


 目の前の陽作が口を開く。

「あきら、ありが――」


 空気を殴りつける音が聞こえた。あきらの視界から、陽作が消える。



 冷たい暴力が、陽作を襲った。



 陽作は横っ飛びに吹き飛び、公園のフェンスに全身を打ち付けていた。

 ガシャンとひどい音がして、陽作は地面に崩れ落ちる。


「な、んで」


「見つけた」

 公園の入口から声が聞こえた。壊れかけの機械のようにぎこちなく、あきらは声のする方へ視線を向ける。


 そこには顔をゆがめた両親が立っていた。父親は陽作がいた方向に古めかしい杖を向けた姿勢でいた。母親は短杖を手にし、ぶつぶつと呪文を唱えている。

 灰色の濁った膜が公園を覆う。目隠しの魔法。外から中の様子が見えなくなる。


「そのガキが、お前をおかしくしたのか?」

 父親の声が響く。父親はあきらにその杖を向けた。

「日日日、お前もだ。……〈潰せ〉」

「あぐっ」


 衝撃。あきらは上空から降り注ぐ圧力を受け、地面に這いつくばる。

 体が重い。骨がきしむ。内臓が破裂しそう。飛び出そうになる悲鳴を、どうにかかみ殺す。身体強化の魔法で、重さを耐える。その姿すら面白くないのか、父親は大きな舌打ちをした。


「幻惑魔法がなんだ。あの程度、すぐに解除できる。俺たちが一体何年魔法の研鑽を積んできたと思っている。俺たちの積み重ねた時間が、才能一つで覆されてなるものか!」

 ぎりぎりと、あきらにかかる圧力がますます強くなる。苦しい。肺がつぶれて、呼吸すらままならない。


 父親は激しい怒りを見せていた。これほどまでに怒りを表す父親を見るのは初めてだった。

 あきらは父親の目を見て、ぞっとする。


 母親と同じ、濁った眼だった。


「子が親に逆らうことなど、あってはならない。お前はいずれお母様を超える魔法使いになって、俺たちを幸せに」

 父親は大きく息を吸い込んで絶叫した。


「俺の代わりに! 優秀な! 魔法使いに! 俺は、俺はそれを作らなければ――」

「ふざ、けんな」


 父親の言葉が遮られる。妄執にゆがんだ目があきらから離れる。陽作が、ふらふらと立ち上がっていた。肩で息をしながら、決死の形相で両親をにらみつけている。

 主のために、あきらのために陽作は立ち上がった。


「お前は」

「てめえらが、あきらの親かよ。聞いてた通り、クソだな」


「なんだと」

 父親の声が低くなる。


「あきらはお前らの道具じゃねぇんだよ! ふざけんじゃねぇ!」

 陽作は叫ぶ。

「あきらは、普通の女の子なんだよ! 泣き虫の! よく笑う女の子だ! 道具なんかじゃねぇんだよ!」


 全身に鳥肌が立つ。陽作の激情が、痛いくらいに伝わってくる。


 陽作は小さな拳を握り、両親へと殴りかかる。

 いけない。あきらはとっさに糸を通じて、陽作に身体強化の魔法を渡す。


「――ぁ」

 体の内側から嫌な音がして、あきらの口から血がこぼれる。従者に魔法を渡せば、主はその魔法が使えなくなる。重力があきらを容赦なく襲う。

 陽作の動きが、急に素早くなる。地面を蹴る足が力強くなる。両親が眉をひそめる。


 だが、それだけだった。


「〈撃て〉」


 陽作の拳が二人を間合いにとらえる寸前、母親が短杖を陽作に向けた。こぶし大の岩が生み出され、陽作へ飛んでいった。岩は陽作の胸に直撃した。陽作がその場に崩れ落ちる。


「あ゛、きら」

「しつこいわね」


 陽作はどうにか立ち上がろうとするが、母親がそんな陽作の顔面を蹴り飛ばした。

 うつぶせに倒れた陽作は、指を小刻みに動かす。力を込めて、それでも立ち上がろうとしていた。


 その手を、母親は踏みつぶした。


 骨の砕ける音とともに、陽作はついに動かなくなった。

「あ、あぁ」

 陽作から伝わってきていた感情が途絶える。


「私たちから日日日を奪おうとするから、こうなるのよ」

 倒れた陽作を見て、母親は笑っていた。


 あきらを重力で押しつぶす父親もまた、笑っていた。

 あきらの目にうつる両親の顔は、醜くゆがんでいた。

 魔法使いは呪術師を滅ぼすものだ。そう両親はあきらに教えたはずなのに。


 その両親が何よりも、呪術師そのものであるように思えた。


「ひ、さ」


 押しつぶされ、まともに動かない体で、あきらは陽作に手を伸ばす。糸はまだつながっている。

 陽作はまだ、生きている。でも。


 母親は短杖を陽作へ向けた。とどめを刺すつもりだと、わかった。

「いい加減にしなさい」

 圧力がさらに強まる。目すら開けていられない。視界がゆがむ。あきらは自分の骨が砕ける音を聞いた。肉がちぎれる痛みを感じた。


 痛い。


 だめだ。このままでは殺される。


 陽作が、殺される。


「お前は、俺たちの所有物だ。俺たちの代わりに、優秀な魔法使いになるんだ」

 父親の声が聞こえた。音が消える。その言葉が、あきらの心を縛り付ける


 動かない体は、あきらをあの狭い部屋にいるような感覚に陥らせていた。


 無味無臭の人生。毎日が同じことの繰り返し。終わりのない、冷たくて、暗くて、苦しい日々。


 重日日日日という存在に価値はなく、ただの両親を幸せにするための所有物でしかない。


「――ち、がう」


 違う。違うのだ。あきらは変わった。外の世界の感動が、陽作と過ごしたあの夏の日々が、ともに笑い合った毎日が、あきらを変えてくれた。

 たとえあきらが無価値だったとしても、あきらには大切なものが、決して失いたくないものができたのだ。


 陽作が求めてくれたあきらが、無価値であるはずがない。


 あきらは陽作に向かって手を伸ばす。頭の中では、陽作と過ごした無数の思い出が、一つとして忘れたくないと叫ぶ思い出が、嵐のように駆け巡っていた。


 夕焼けの中で出会い、太陽の下で遊び、夜に影法師と戦って。


 そして、ずっと一緒にいようと契約した。


 ひと夏の、かけがえのない思い出。あきらにとっての幸福の全て。






 それは陽作だった。幸福とは、陽作だった。






 陽作と手をつないで笑い合えるあの日々こそ、あきらにとっての全ての幸福。


 花火大会の終わり。たった一つの花火玉が、空に打ちあがっていく。


「〈撃――〉」

 失いたくない。何を捧げてでも、絶対に。


「ひさ」



 ――本当に?



 その時、



 ――ちょうだい。



 あきらは、



 ――あなたの大事なもの、ちょうだい?



 世界の声を聞いた。



 全身が総毛立つ。



 あげたら、どうなるの?



 時間が止まったようだった。あきらは問う。



 世界は心底嬉しそうに笑った。



 ――大事なものを守れる、力をあげる。だから、






 ――ちょうだい?






 あきらは、



『なら最後に一つだけ忠告だ。もし『世界の声』を聴いても、その声には答えるな』



 いやだ。



『必ず、後悔することになるからな』



 陽作が、殺されかけている。



「わかった」



 あきらは、世界と、取引をした。



 世界が笑い、代償が、支払われた。



 世界は一つの魔法を、あきらに授ける。それは、あきらの『これまで』を写し取った魔法。



 あきらの大事なもの。それは陽作で、陽作と過ごした夏の日だった。けれど、それは同時にあきらが絶対に失いたくないもので、だからあきらは。






 あきらは――






 大きな音とともに、最後の花火が咲いた。七色の光が、空の暗闇を照らす。


 あきらの体から光の粒子があふれた。


 何よりも純粋で、誰よりも空っぽで、あまねく全てを飲み込む、透き通った心の在り方。


 光の粒子は空の七色を封じ込め、形を成す。あきらの、口が動く。



「〈結晶魔法〉」



 甲高い音と、何かが裂け、砕ける音がした。


 あきらを襲う、重圧が消えた。


 目を開ける。目の前の光景にあきらは、

「あ」

 ぼろぼろの体を震わせた。


 複数の巨大な結晶が、そこにはあった。七色に輝く結晶は、地面から生えたように突き刺さり、そして、あきらの両親の体をめちゃくちゃに貫いていた。


「お父様。お母様」

 返事はない。結晶に貫かれた両親は、すでに息をしていなかった。何が起きたのかすら、理解できなかったのだろう。醜い笑みを虚ろに浮かべて死んでいた。


 ドロリとにごった血が、七色の結晶から滴り落ちた。


 灰色の膜が消える。冷たい夏の風が吹き抜け、虫の音色が公園に響く。陽作とともに笑い合った公園が、血で汚れていく。


「わたし、が」

 殺した。あきらが、殺してしまった。


「ひ、さ」


 あきらはもはや、考えるということをも拒絶していた。何も考えられなかった。考えたくなかった。


「ひさ」


 だから、ただ陽作のもとへ。唯一守れた幸福の元へ。あきらは地面をはいずりながら、陽作の元を目指した。糸はまだつながっている。陽作は生きている。


「ひさ」


 口の中から血の味がして、爪と指の隙間は土で埋まって、痛くて、苦しくて、泣きたくても我慢して。そうやって、あきらは陽作の元へたどり着く。


「ひさ」


 呼びかける。陽作は、ゆっくりと目を開いた。生きてる。あきらの幸福は、まだここにあると。あきらの胸は熱く燃える。


 陽作の目はあきらをとらえる。そして、彼は言った。


「ひ――」






「……だれ?」






 代償。あきらが陽作を守るために支払ったもの。


 それは、陽作の中にあるあきらの記憶。


「きみは、だれ?」


 陽作の目が閉じる。


 陽作の瞳はもう、あきらを映さない。



 夏の日に。


 あきらが陽作とともに歩むことは、もうない。



「さ、あ、あぁぁ。ああああああああああああああああっ!」


 支払った代償の重さに気付いた瞬間、あきらは叫んでいた。もう叫ぶことしかできなかった。涙すら流さずに、ただひたすらに。


 夏の夜、満月昇る空の下。あきらの叫び声が、静かな公園に響く。



 あきらはただ、壊れた機械のように叫び続けた。


次回、最終回。

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