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8 夜の怪物②

 8 夜の怪物②

 夜の異界の中、あきらと陽作は、夜の怪物と対峙していた。ニタニタ笑う夜の怪物は、自分から動くつもりはないらしい。骨ばった細い指をクイクイと曲げる。


「いらっしゃいナ。勇敢な少年。いいことを教えてあげまショウ。ワタクシが創り出したこの〈夜の街〉、ワタクシ自身が出口となっておりマス。ワタクシを倒せば、無事ゴール。あなたも少女もここから出られますヨ」


 ゴールという言葉に陽作はピクリと反応したが、夜の怪物をにらみつけて動かない。


「もしかして、ワタクシが怖いですか? しょうがありませんね。あなたは、勇敢なだけの、無力なガキ、ですからネェ」

「なめんな!」


 夜の怪物の見え透いた挑発に、陽作は乗った。木の棒で夜の怪物に殴りかかる。

「ヒィィィッ! 怖い! でもよけちゃう!」

 陽作の振り下ろしを、夜の怪物は上半身だけ大きくそらしてかわした。振り下ろした勢いにおされて、陽作は前のめりになってたたらを踏む。


 殺さんばかりの目つきで、夜の怪物をにらみつけた。

「この!」

「フフフッ」

 陽作の連撃を夜の怪物は、ぬるぬると気味の悪い動きで避け続ける。


「無力! 無力! 無力なガキンチョ! かわいいデスねぇ! かわいそうデスねぇ!」


「死ね!」


 歯を食いしばりながら夜の怪物に殴りかかる陽作の様子を、あきらは見ているだけだった。

 助ける手はある。あきらは人差し指と中指を合わせて、夜の怪物に向ける。


 あきらが使える魔法は、基礎魔法と幻惑魔法。その中の基礎魔法は言ってしまえば、魔法のお試しセット。強化や治癒、攻撃など広く浅く色々なことができるのが、基礎魔法の強み。


 それゆえに、威力は弱い。あきらは基礎魔法で〈光の矢尻〉を作って飛ばすことができるが、夜の怪物相手にどれほどの効果を発揮できるのか。


「ちがう」

 それが理由ではない。あきらは陽作の前で魔法を使うのが怖い。夜の怪物の出現で、恐怖を奪われることはなくなっていた。


 もしあきらが陽作の前ではっきりと魔法を使えば、今の関係は壊れてしまうんじゃないか。


 恐怖はあきらを縛り付ける。


『呪術師は殺さなくてはいけません』

 母親の言葉が繰り返される。


『あなたは、そのために生まれてきたのです』

 この状況に及んでなお、あきらは動くことができなかった。


「夜の冒険は楽しかったデスかぁ? かわいい女の子を守れて、気持ちがよかったデスかぁ?」

「だ、だまれ!」


 だんだんと陽作の息が上がり、動きが遅くなっていく。その哀れな姿を、夜の怪物は嗤う。


「安心の冒険が突如として終わりを告げる。絶望し、恐怖し、絶叫し、すり減って、消え去って、そして、死ぬ」

 夜の怪物が語る。


「ワタクシは、それを見たくて見たくてたまらないのデス。だから――そろそろ終幕にしまショウ」

 夜の怪物のまとう雰囲気が変わる。陽作をあざける笑みを消し、長い両手を広げる。


「〈怪物〉」


 陽作の動きが止まった。夜の怪物の両手の先に、2体の影法師がいた。影法師は口をぱっくりと開いてしゃべる。


『お前は、おかしい』


「やめろ」


『お前は、普通じゃない』


「ち、ちがう!」


 その言葉はあきらにも届いていた。聞き覚えのない声。陽作の呼吸が乱れる。木の棒を取り落とし、いやいやと首を振る。

 精神干渉。それも、さっきよりはるかに強力な。


 影法師の声に、陽作は正気を失っていく。


『お前のせいだ』


「そんな」


『お前がいたから』


「そんなこと、言わないで。父さん、母さん。俺、おれは」


 陽作が膝をついた。うつろな顔でぶつぶつと、つぶやいている。それでも、陽作は地面に爪を立て抗おうとしていた。

 けれど、影法師の言葉が冷たく、陽作の心を押しつぶそうとする。


『はぁ』


 影法師のため息。ビクンと、陽作が肩を震わせる。


『お前なんて』


「や、やめっ」


 陽作が耳をふさぐ。目を固く閉じ、続く言葉から逃げようとする。

 怪物の言葉から、逃げられるはずがないのに。


『生まなきゃよか――』


「いや――」


「〈閉ざして〉!」


 あきらは、陽作に向かって魔法を使った。幻惑魔法で直接陽作の五感を閉じる。ビクンと、陽作は体を大きく震わせて倒れた。


「陽作!」

 あきらは陽作に駆け寄った。顔は真っ青だったが、弱々しく呼吸をしていた。生きている。ほっとしたように、あきらは息をつく。


「それは……幻惑魔法、デスか?」

 ぞっとした。顔を上げる。すでに影法師は姿を消していた。


 無表情。夜の怪物はぞっとするような怒気をはらんで、あきらをにらみつけていた。


「確かに才能ありと見ていたが、まさか幻惑魔法? 二つ目の魔法を、その齢で?あ、ありえ、ありえない。あってはならない。これが! これが才能の差とでも言うつもりか!」


 夜の怪物は叫んだ。さっきまでの余裕は失せ、歯をぎりぎりと鳴らす。

 突然の変貌に、あきらは陽作を抱き寄せることしかできない。


「ふざけるな!」

 夜の怪物はサングラスを強引につかみとり、握りつぶした。サングラスに隠されていた顔にあきらは悲鳴を上げそうになる。


 顔の半分を占める巨大な丸い眼球。異形の顔だった。どろどろと濁った色の瞳が、あきらを映す。

 静寂に包まれていた夜の街に、暴風が吹く。荒れ狂う冷たい風が、あきらの黒髪をむちゃくちゃにかき乱す。


「許せない、許せない、許せない。よこせ。お前の、その才能を、ワタクシに、オレに!」


 夜の怪物が膨れ上がる。違う。夜の怪物の全身、その周囲の空間からどくどくとどす黒い影があふれてくる。その影は次々に人型の姿をとり、あきらと陽作の周囲を囲んでいく。


 夜の街は影法師の群れに染め上げられ、あきらの視界は前を見ても、後ろを見ても、黒一色になっていく。


「死ね、死ね、死ね。恐怖に支配され、発狂して……死ね!」

 真っ暗な視界の中、夜の怪物の絶叫が響く。


 死。


 その言葉が頭に浮かんだ。確実な死が迫る、その瞬間にあって、

「陽作っ」

 あきらは、気を失った陽作を守るように抱きしめた。


 影法師の群れはあきらの心を壊そうと、一斉に口を開く。


 そして。



「させませんよ」



 老婆の声がして、冷たい暴風が、真夏の熱を帯びた。

「あぁっ!?」

 夜の怪物の悲鳴。黒一色だったあきらの視界が、世界がひび割れていく。


 かすかな土と草の匂いがする。痛いくらいの静かさの奥から、ざわざわとたくさんの音が聞こえてくる。水の底から引っ張り上げられるような、そんな感覚がした。

 ひときわ強い風が吹いて、夜の世界が崩壊した。


 *


「ここ、は」

 やかましい虫の音が耳を打った。夏の熱気に、あきらの全身が汗ばむ。見上げれば、空には満月が昇り始めていた。


 あきらは、元の世界に帰ってきていた。


 あきらと陽作が出会った公園にいた。


「陽作!」

 視線を落とす。陽作はあきらの胸の中で、気を失っていた。陽作も無事だ。安堵があきらを包み込む。


「なぜ……お前がここニ?」

「あなたの〈夜の街〉の揺らぎを感じましたから。今まで全く尻尾を出さなかったのに。失敗しましたね」


 キッと車いすの車輪が鳴る。あきらの隣にはあきらの祖母、重日時季子がいた。時季子はあきらの姿を認めて、驚いたように目を大きく見開く。

「どうして、あなたがここに? ……いえ、それはあとですね」

 時季子は車いすに座ったまま、夜の怪物と向き合う。夜の怪物は忌々しそうに時季子をにらみつけていた。


「お久しぶりですね。随分気持ちの悪い見た目になったではありませんか」

「……お前こそ、随分とババアになったものデスね。とっととくたばっていればよかったものを」

「そうはいきませんよ。魔法使いとして、あなたのような呪術師を殺さねばいけませんから」


 あきらは時季子の顔を見上げた。母親と全く同じ言葉。それなのに、感じる重みがまるで違った。

「魔法使いとして、ネ」

 はっと、夜の怪物は鼻で笑う。怪物の影が蠢く。うぞうぞと影が人型の姿をとり始める。


「コミュニティの使命に縛られた愚かな老人が、ワタクシに勝てるとでも?」

 その言葉に、時季子は穏やかに、だが確かな侮蔑の感情をもって答えた。


「呪術師に身を堕とした平凡な魔法使い風情が、どうしてわたくしに勝てると思っているの?」

「おま――」

 激高した夜の怪物が、影法師を具現化する。


「〈銀糸〉」


「なっ!」


 それより早く、時季子の指が動いた。月明りを反射する銀線が、生まれかけた影法師を真っ二つに切断。影法師は実体を保てず消滅する。

「〈刻め〉」

 続く詠唱が、夜の怪物を狙う。無数の銀線が夜の怪物を襲う。それを夜の怪物は、アクロバットな動きで避けた。銀閃が、時季子の指から延びる細い糸が空を引き裂く。


「影の方を狙うとは、情けでもかけたつもりデスか?」

 怪物は目玉がこぼれるほどに見開いて、時季子をにらみつけた。


「こんなものが二度も通用すると――」

「思っていませんよ」


 時季子を中心に、瞬時に足元の影が広がった。公園の地面を埋め尽くす影。夜の怪物は警戒したのか、とっさに公園の遊具につかまり、影に触れないようにする。


「なんデス? それは」

「これって」

 あきらは地面に広がった影に触れる。薄く平たい影はあきらを飲み込むことはなく、温度も感じさせない。


「あきらちゃん」

 夜の怪物から目を離さないまま、時季子は言った。あきらは時季子の方へ顔を見て、目を離すことができなくなった。


 時季子の横顔は、いつか見た穏やかな祖母のものではない。


 使命に殉じる、冷たい魔法使いのものだった。


 思わず背筋が伸びてしまうような気持ちにさせられる。

「そこを、絶対に動かないでね」

 それなのに、あきらにかける言葉は優しい。


「はい」

「ワタクシを、なめるなよ」

 言葉をかわしながら、時季子とあきらの周囲には、時季子の指から延びる銀糸がまるで結界のように張り巡らされていく。


 夜の怪物の背が大きく膨れ上がる。翼を広がるように影が噴き出てくる。


「〈代償〉〈血〉」


「んべぇ」


 時季子はゆるりと夜の怪物へ手をかざし、夜の怪物は長い舌を伸ばした。舌の上には、爪くらいの大きさの、濁った紫色の結晶があった。


 時季子のかざした手からどろりと血がこぼれ、地に落ちる前に塵となって消える。時季子の顔から血色が失せる。

 夜の怪物が結晶をかみ砕く。まがまがしい気配が増大し、影がより濃いものへと変化する。


 地平に平坦な影を広げる時季子。空を覆うほどの蠢く影を広げる夜の怪物。夜の怪物の影が月明りを覆い隠し、銀糸が光を映さなくなった瞬間、二人は互いに唱えた。


「〈怪物〉」


「〈人形魔法〉」


 影の翼が、絡み合って無数の人型を生み出し、それすら混じりあって半身の、巨大な人型となる。


 おぞましい。息もできず、あきらは両手で口を押える。あきらに向けられたものではないのに、見ているだけでおかしくなってしまいそうになる。


 影の巨人は怨嗟の声をもらしながら時季子へと手を伸ばす。


 時季子の周囲にあった銀糸が影に落ちる。同時に影から、無数の透明な何かが打ち出された。時季子が出した人形。それは魚の形をしていた。銀色につながれたそれは、群れとなって空に広がる怪物の巨人を穿っていく。

 巨人の、呪術師の手は、時季子には届かない。


 冷たい時季子の目は、〈怪物〉を静かに見据えている。


「ば、かナ」

 影の巨人で身を守りながら、夜の怪物はうめく。


「なぜ、平気でいられる。ワタクシの〈怪物〉はお前の精神を焼き殺すはずなのに」

「わたくしの〈銀糸〉は、触れたものを操ります」

 魚の群れが、〈怪物〉を食いつぶす。隠された空が再び見え、月明りが公園に帰ってくる。


 夜の怪物は時季子の言葉に、眉をひそめ、それから顔を引きつらせた。


「まさか、最初の!」

「あなたの〈怪物〉は、すでにわたくしの支配下にあります」

 時季子から伸びる糸は、夜の怪物の影につながっていた。初めの攻撃で、時季子はすでに仕込んでいた。


「気付かれないように支配するのに時間はかかりましたが、お前がのろまで助かりましたよ」


 時季子がパンと手をたたく。


 夜の怪物の影は、あっけなく姿を消した。後に残るのは、無防備に遊具につかまる夜の怪物のみ。

 夜の怪物は信じられないといった顔で、消えた影と、時季子を見回した。


「さようなら。夜の怪物」


 時季子が手を振り下ろす。


 時季子の人形が夜の怪物を包み込み、一斉に押しつぶす。

 その姿を見て、夜の怪物はあきらめたように肩を落とす。目を閉じ、悔いるように、言った。


「……俺はお前に、ずっとあこがれていたよ」


「――っ」

 時季子の、冷たい魔法使いの顔がゆがんだ。こらえるように、時季子は唇を強く噛む。群れの統制がわずかに乱れる。夜の怪物の包囲に、かすかな隙間が生まれる。


「チィィッ!」

 その隙間に、夜の怪物は目を見開いて、体を強引にねじ込んだ。体にいくつもの穴を開けながら、囲いを抜け、平らな影に着地した。


「ヒ、ふははっ」

 夜の怪物は顔をゆがませ、ふらふらと走り出す。


「ニ、逃げ、ワタ、ワタクシは! 逃げさせてもらう!」

「待ちなさい!」


 夜の怪物は時季子の真横をすり抜け、公園を飛び出し、道路へと向かう。慌てた様子の時季子が魚の群れを追わせるが、夜の怪物の背後が揺らぐ。魚が夜の怪物へたどり着くことはなく、あらぬ方向へと飛んでいく。


 〈夜の街〉だ。夜の怪物は、自身の生み出した異界の中に逃げ込もうとしていた。

 夜の怪物の姿もまた揺らぎ、異界の中へと溶けていく。


「ワタクシは、まだ、まだ生きて、証明ヲ!」


 全身に空いた穴から血をこぼしながら、ニタニタと笑いながら、夜の怪物は叫んだ。


「ワ、俺が! 才能がなくても、魔法を使えるんだと、証明を――ォ?」


 逃げられる。あきらがそう思った瞬間のことだ。

 走る夜の怪物の動きがピタリと止まった。

 腕を振り上げ、足を地面に着けようとする瞬間の姿勢で硬直していた。


「ェ?」


 夜の怪物が困惑の声を上げる。〈夜の街〉も消えた。あとは奇怪な体勢をとった、血を流すだけの夜の怪物がいる。



「うっせぇな」



 違う。不愉快を隠さない声とともに、道路の曲がり角から一人の男が現れる。隻眼禿頭の、まるで巨岩のような雰囲気の男。


 〈断罪者〉が、そこにいた。


 あきらは、〈断罪者〉の手に、鞘に納められた一振りの刀があることに気付いた。

 〈断罪者〉はその場から動けない夜の怪物の前に立ち、ぎょろりとその顔をにらみつけ、「ちっ」と大きな舌打ちをした。


「せっかく人が夜道を気分よく散歩している途中に、気色悪いもん見せやがって」

 〈断罪者〉が刀の柄に手をかける。

「ま、待ってください!」

「あん?」


 それをとめたのは時季子だった。〈断罪者〉は夜の怪物から視線を外し、柄から手を放さないまま、時季子をねめつける。


「みっともない顔してんな。時季子さんよ。昔のあんたなら、とめなかったろ。耄碌したか?」

「そういうわけではありません。ただ――」

「ただ?」


 時季子は固まって動かない夜の怪物に目を向ける。異形の姿を見て、それっきり、時季子は黙り込んでしまった。

「オ、お前ハ」

 そこで夜の怪物が声を上げる。


「お前は、なんだ?」


「てめぇの知ったこっちゃねぇよ」


 〈断罪者〉が刀を抜く。無骨な鋼が、姿を現す。


 世界が、悲鳴を上げた。


 びりびりと、電流が走ったようにあきらは震えが走る。道の電灯がひび割れ、眠っていた鳥たちがぼとぼとと地に落ちる。

「俺様に気色わりぃもんを見せた罰だ。死んどけ」


「お、おれはァ、まだ――」


「〈理界〉」



 〈断罪者〉が世界に宣言する。



「〈神刀・友切〉」



 〈断罪者〉は持った刀を振るうことすらしかなかった。ただ抜いた刀を見せただけ。

 一つの音すら、しなかった。月明りを反射して、刃がきらめく。


 それで終わり。


 たったそれだけで、多くの命を奪い、代償を踏み倒してきた夜の怪物は、細切れに刻まれて死んだ。


 血だまりが広がり、男の体から熱が失われていく。


 あきらはただ、抱きしめた陽作のぬくもりを感じていた。


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