5 オルゴール④
昨日はよく眠れなかった。
また明日。
その言葉を頼りに、あきらは今日もホテルを抜け出し、昨日の公園に来ていた。
道中、あきらは早足になっていた。本当に陽作は来てくれているだろうか。
「あっ」
「……よう」
夏の朝日に公園は照らされている。中にあるドームの上に座って、陽作はあきらを待ってくれていた。
浮いた足をしきりに揺らし、ぶすっとしていた陽作は、あきらを見ると、小さく手を挙げた。
「おはようございます」
「おはよう」
あきらが陽作の元へ駆け寄ると、陽作はドームから飛び降りた。
「本当に来たんだな」
「? はい、もちろん」
あきらの言葉に、陽作はそっと視線をそらす。あきらは首をかしげる。なんとなく昨日と様子が違う。
大事な約束をしたのだ。来るに決まっているのに。
あきらは陽作をじっと見つめる。視線に気づき、陽作もまた、あきらをじっと見つめた。
ジージーと蝉がやかましく、ジリジリと朝日が二人を焼く。黙って見つめ合う二人だったが、先に口を開いたのは陽作だった。
「今日は、何するんだ?」
「へ? 何を、ですか」
何も考えていなかった。というよりも、外で何かをするという経験自体、あきらには存在しなかった。
外に出て、陽作と出会う。それ以上のことなんて、思いつきもしていなかった。
「私は、何をしたらいいんでしょう」
だから、あきらは逆に陽作に聞いた。外の世界に詳しい陽作ならきっと、いろんなことを知っているはずだ。
「あー」
しかし、陽作もまた言葉をつまらせた。目を泳がせ、足元の土をつまさきで掘る。
「とりあえず、遊ぶか」
「遊ぶ、ですか」
「そう。例えば……」
陽作は公園の遊具の一つを指さす。
「あれで遊ぼう」
「どうやって遊ぶんですか?」
板の両端を鎖でつるされた遊具は、風に吹かれてかすかに揺れている。あれを使って一体どんなことをするのだろう。
考えると、胸がどきどきしてくる。
「そっからか。そりゃ、そうだよな」
そんなあきらを横目に、陽作は困ったようにため息をついた。
「あれはブランコって言うんだけど、乗って体を揺らすの。とりあえず、いろいろやってみようぜ」
「わかりました」
「そういや、お前さ」
「なんですか?」
「なんで言葉遣い、そんななの?」
陽作の言葉に、あきらは口元に手を当て、ぽかんとする。
「丁寧すぎるっていうか、敬語になっているっていうか」
「そう……ですね」
あきらにとって、この言葉遣いが当たり前で、それがおかしいだなんて考えてもいなかった。
「ま、別にいいけど」
「あ、陽作」
「名前は呼び捨てなんだ……何?」
あきらは陽作に手を差し出した。
「手を、握ってもらえませんか?」
「なんで?」
「えと……」
あきらは言葉につまる。初めて出会ったとき、陽作はあきらの手を取ってくれた。あのほっとするような感覚をもう一度味わいたかった。
でも、それを口にするのは何となく気恥ずかしかった。
陽作はあきらの顔と、差し出された手を交互に眺め、恐る恐るその手を取った。
「それくらいなら、いいよ」
「ありがとうございます!」
あきらの顔がほころぶ。心臓が、またトクンを跳ねる。
「ほら、行くぞ。ってすぐそこだけどさ」
手をつないで二人は歩き出す。陽作はあきらの一歩先を行く。そんな彼の耳は、赤く色づいていた。
*
「――ザリガニを釣るにはな、スルメを使うといいんだよ!」
「そ、そうですか」
池のほとりで陽作は糸を垂らす。濁った池の水にはスルメが沈み、ついでに陽作の口からもスルメが飛び出ている。あきらはその横で、陽作のザリガニにかける謎の熱量に押されていた。
すでに陽作の隣に置かれたバケツには10匹近いザリガニが釣られ、放りこまれていた。バケツから抜け出そうとうごめく赤色に、あきらは顔を引きつらせている。
真夏の太陽の下、あきらと陽作は二人で遊んでいた。
今日だけではない。昨日も、おとといも、その前の日も。公園のブランコをこいだ日からずっと、あきらは陽作と遊んでいた。
昨日はかくれんぼ、おとといはガラクタ集め。その前の日は水切り。いろんな遊びをした。
今日はザリガニ釣りだ。
「そんなにザリガニを釣ってどうするんですか?」
「んー、食べる!」
「え、食べられるんですか、これ」
陽作はもう一匹ザリガニをつり上げ、バケツに放り込む。増えたうぞうぞを見て、あきらは顔色を青くする。
焼くのか、それともゆでるのか。まさか生? あきらは陽作がゲラゲラ笑いながら、生きたザリガニを丸かじりする姿を想像して、ぞっとする。
「うーん、これを食べるくらいなら、私は陽作に買ってもらったこれをずっと食べていたいです」
そう言いながらあきらは、細長いグミをもぐもぐさせている。あきらの小さな口から入りきらないグミがぶらぶらと揺れている。陽作がスルメを買うために駄菓子屋に寄った際、ついでに買ってもらったのだ。
菓子パンとも、カップ麺とも違う食感は、あきらの心をたやすく奪ってしまった。
「食べるってのは冗談だけどな。食べるなら、俺もこっちがいい」
とスルメを口からぶらぶらさせる陽作。
あきらと陽作は互いにスルメとグミをぶらぶらさせながら見つめ合い、やがてお腹を抱えて笑い始めた。
「あははっ! バッカみたいなことしてんな! 俺ら!」
「ふふ! はい! 本当に!」
太陽の下、池のほとりでけらけらと笑う二人は、何のしがらみもない、ただの子どものように見えた。
「――それで、結局このザリガニどうするんですか?」
「逃がすしかないだろ。先生は外来種がどうとかで、ダメだって言ってたけど。でもうちザリガニ飼えねぇし」
バケツ一杯にザリガニを捕まえた陽作は、バケツを池にひっくり返す。大きな水を立てながら、ザリガニは池に帰っていった。使ったバケツは近くに落ちていたものだ。適当にバケツを放り捨て、陽作はあきらに手を差し出す。
「ん」
「はい」
あきらは陽作の手を握る。安心する、慣れた感触。二人は田舎道を歩き出した。
少年と少女は夏の太陽の下で、手をつないで歩く。二人の顔には柔らかな笑みが浮かんでいた。
「スルメかじってたら、腹減っちまった。なんか食おうぜ」
ニヤリと、陽作は悪い笑みを浮かべる。陽作がこういう顔をするときは、たいがいろくなことを考えていない。
あきらはこれまでの付き合いで、そのことに気付いていた。
とはいえ。
「今度はどんな悪だくみですか?」
あきらもまた、陽作の「悪さ」を楽しんでいた。あきらはこれまで遊んでこなかった時間を埋めるように、貪欲に陽作から学んでいた。
「知ってるか、とれたての野菜って、めっちゃ美味いらしいんだよ」
「ほう」
「んで、ちょうどそこに畑がある」
陽作が指さした先にはミニトマトが植わった畑があった。緑色の葉の中に、赤々とした実が大量についている。
おいしそう。あきらはごくりと喉を鳴らす。
こそこそと、あきらと陽作は物陰に隠れた。
「あの畑は、ブチ切れるとめっちゃ怖い雷ジジイの畑だ。今から俺たちは、雷ジジイにばれないようにあのミニトマトを……盗む!」
「盗む……! それは犯罪というやつではないんですか」
戦慄したようにあきらは言う。チッチッチと、陽作は指を振る。
「いいことを教えてやる、あきら。ばれなきゃ犯罪じゃないんだぜ」
「おぉ!」
当然、そんなことはない。悪い顔をする陽作に、あきらは感動したとばかりに拍手をする。手はつないだままなので、あきらは陽作の手の甲を打つ形になる。
ペチペチと、間抜けな音が響いた。
「よっしゃ。じゃあ行くぞ。3カウントで突撃だ。いいな」
「了解です」
二人は手をつないだまま、ぐっと腰を落とす。
「3、2、1。ゴー!」
物陰からあきらと陽作は飛び出す。そして同時に、
「聞こえてんぞクソガキども!!」
目の前で待ち構えていた雷ジジイに、二人仲良くつかまった。
「くそ! 離せクソジジイ! 死ね! 死んじまえ!」
「ったく、口の悪いガキだな」
襟首をつかまれて、宙ぶらりんにあるあきらと陽作。あきらはしゅんとしておとなしくしていたが、陽作はばたばたと暴れている。
「って、てめぇは向井んとこのガキか」
と雷ジジイは、陽作の顔を確かめて言う。
「あぁっ!?」
陽作の肩が大きくはねる。冗談抜きで人を殺しそうな顔で、陽作は雷ジジイをにらむ。
「だったらなんだよ。あいつらにチクるってか? いいよ、チクれよ。そのかわり、俺はてめぇを絶対許さないからな。絶対ぶっ殺してやる!」
顔を真っ赤にして、陽作は叫ぶ。子どもとは思えない、本気の怒り、殺意がこもっていた。
「言うじゃないか。だったら」
「あ、あの!」
「お、おぉなんだ、嬢ちゃん」
あきらが間に割って入る。いかにも悪ガキ然とした陽作には強く出た雷ジジイも、大人しそうなあきら相手には分が悪いらしい。一気に語気が弱まる。
「逃げないので、離してもらえませんか」
「つってもなぁ……ん?」
そこで雷ジジイはあることに気付く。自分が捕まえている少年少女。彼らはつかまって宙ぶらりんにされてもなお、固く握った手を離さないでいたのだ。
にやりと、雷ジジイは笑った。
「なら――」
「――なんで俺たちがこんなこと」
「でもおかげでミニトマト食べられたじゃないですか」
収穫を手伝え。それが悪戯を見逃す雷ジジイの条件だった。しぶる陽作だったが、手伝ったらミニトマトをくれてやるという雷ジジイの言葉に、あきらは乗った。
かごを持って広い畑に入り、二人はミニトマトやオクラ、ナスなどの野菜を収穫していく。
「暑い~」
「私は楽しいですよ」
「てきぱき体を動かさんか!」
「あいつ、いつか絶対殺す」
「殺さないでください」
そんなことをしながら、夏の時間は流れるように過ぎていく。
「――とれたての野菜っておいしいですね」
「あきらって、本当よく食べるよな」
太陽が沈んでいく。あきらと陽作は公園のドーム状の遊具の中に二人並んで座っていた。ドームの中は暗く、狭い。二人入れば、もう身動きが取れないくらいだ。
二人の遊びの最後はいつもここだった。手をつないでドームの中に入り、一日あったことをだらだらとしゃべる。
お互いの汗の匂いや熱が間近に感じられる距離。子ども二人の体温が、ドームの中をさらに暑くしていく。
暑くて苦しい。それでも二人は、この暗くて狭い場所を好んだ。
ドームの外は夕焼けの差す時間、ヒグラシが鳴いている。茜色に照らされる公園を見ながら、二人の手は固く握りしめられている。
「ちっちゃい体にどんだけ入るんだよ」
「野菜も駄菓子もおいしくって」
たくさん食べるのは代償で満腹感を失ったからだ、とは言わない。
「私、世界が輝いて見えるんです」
「輝いて?」
「はい」
あきらはコクリとうなずく。
「これまでの私の人生には色なんてなくて、同じ毎日の繰り返しだったんです。だけど、陽作と出会ってからずっと楽しくて、幸せなんです」
あきらは自分の頭を、陽作の肩に乗せる。
「こんな日々がずっと続けばいいのに、って思うんです」
心から、そう思う。
「陽作に会えて、よかった」
あきらの言葉に、陽作は小さく笑った。
「それは、俺の方だよ」
陽作は一度ためらうようにうつむく。
「陽作?」
陽作は首を横に振り、つなぐ手の力を強めた。
「明日は何をして遊ぼうか」
「そうですね――」
明日の遊びの計画を立てていると、夕日が落ちきって、夜が近づいてきた。
もう帰る時間だ。名残惜しさを感じながら、あきらと陽作はドームから外に出る。
「夏休みが、終わらなきゃいいのにな」
二人が手を放す直前、陽作がつぶやいた。
知らない言葉。
「夏休みって、なんですか?」
「……なんでもない。また、明日」
「はい! また明日!」
あきらは満面の笑顔を浮かべる。ぎこちなく陽作は笑って、二人は別れた。




