3 オルゴール②
「申し訳ありませんでした。今回の研究会に、彼をどうにか参加させることができないかと画策していたのですが、残念ながら無理のようです」
改めて、と時季子はあきらたちに向き直る。
両親が優れた魔法使いだといった時季子は、車いすに座った小柄な女性だった。
あきらたちを見て、穏やかに微笑んでいる。けれどあきらたちを見つめる目は深い海のように底知れず。ただの優しい人ではない。そう思わせる雰囲気をまとっていた。
「10年ぶり……ね。今回は遠くからわざわざありがとう、ね」
「いや、そんな」
時季子の口調はどこかぎこちない。丁寧な口調になりそうなところを、無理やり強制しているようだった。
「こちらこそ、お誘いいただきありがとうございます。俺もお母様と会えてとてもうれしいです」
対する父親は、時季子に深く頭を下げた。その姿に、時季子の表情がくもる。
家族にしては妙な距離があった。その後も世間話のようなものを繰り広げるが、ぎこちなさがぬぐえない。
不思議だとは、あきらは思わなかった。普通の家族の在り方なんて知らなかったから。ただ、大人同士のやり取りをぼんやりと眺めている。
「――ごめんなさい。大人同士のお話はつまらなかったでしょう」
あきらを気遣う声。時季子の視線があきらに向いた。
来た。あきらは一歩前に出て、崎村から学んだ笑顔を作る。
「初めまして。重日あきらといいます」
「はい、初めまして。わたくしは重日時季子といいます。あなたのおばあちゃんにあたります。ごめんなさいね。本当はもっと早く会いたかったのだけれど、魔法使いとしての責務で忙しくて、どうしても会えなかった」
こちらへ、と時季子が手招きする。あきらが近寄ると、時季子はゆっくりとあきらを抱き寄せた。
誰かに抱きしめられる、ということがあまりにも久しぶりで、あきらの体は一瞬こわばる。けれど、時季子から嗅ぎなれた古い本の匂いがして、緊張がほぐれる。
「今日は会えて本当にうれしいわ」
「はい。私もおばあ様に会えてうれしいです」
耳元に聞こえる時季子の言葉に嘘はなく、心からあきらを思っていることが伝わった。
あきらは先ほどまで〈断罪者〉が座っていた椅子に座った。口から出るものは、本当と嘘の混じった言葉の数々だ。言いつけにないことを聞かれたときはアドリブで乗り切る。
やり取りを繰り返す度に、顔は自然な笑顔を作り、口が勝手に動いていく。
「彼――〈断罪者〉は不幸だ、なんて言っていたけれど」
〈断罪者〉、その言葉に、あきらの心が動く。
ぎゅっと、時季子は膝の上に置かれた拳を強く握る。
「わたくしはそんなことはないと思っていますから。魔法使いでも、幸せになれるはずだと。あなたが本当の幸せをつかめることを祈っていますから」
その言葉は、あきらに言っているようで、まるで自分自身に言い聞かせているようでもあった。
幸せって、なんだろう。
小さな胸が、ちくりと痛む。
「しあわ――」
「だからね。あなたはいろんな経験をすべきだと思うの。ほら、幸せになるためにはいろんなものを見て、感じることが大切だというから……あら、ごめんなさい。何か聞きたいことがあった?」
「……いいえ。ありません」
幸せとは何かという問いかけは、時季子の言葉に遮られてしまった。
あきらの言いよどみに、時季子はわずかに眉をひそめる。それからちらりと、両親の方に視線を向けた。
視線を向けていたのは数秒にも満たない。時季子はまた穏やかな顔であきらに話しかける。
「そう。……そうだ。この町ではね、夏の終わりに花火大会があるの。とってもきれいだから、行ってみるといいわ」
「花火、ですか」
初めて聞く言葉だった。
「そう。実はわたくしも見たことはないのだけれどね。なにせ魔法使いとしての責務で町にいること自体が少ないから。そうだわ。崎村ならくわしいでしょう。あとで教えてもらってね」
と時季子は苦笑し、部屋の時計に目を向けた。
「それで、本当はもっとお話ししたいのだけど、もう時間がないの。ごめんなさいね」
「今日はありがとうございました」
やり取りの終わりに、あきらは少しだけほっとする。と同時に寂しさのようなものが胸をよぎった。
時季子は父親に視線を向ける。
「宿泊する場所はどうするつもりですか?」
「近くにホテルを確保しています。お母様に迷惑はかけられませんから」
「そう、なの。そうだ、あきらちゃん。もし何か困ったことがあれば、わたくしに教えてくださいね。力になりますから」
「はい。ありがとうございます」
「あきらちゃんは崎村と少し待っていてもらえるかしら。二人は少し残っていてもらえる?」
「はい」
「お嬢様はこちらに」
いつの間にかに、あきらのそばには崎村が立っていた。彼に連れられて部屋から出る。
「実は、町に〈夜の怪物〉という厄介な呪術師が入り込んでいて――」
扉が閉まる直前、時季子のそんな言葉が聞こえてきた。
「こちらでお待ちください」
「あの」
あきらは応接間のすぐそばの部屋に通された。飲み物でも持ってきましょうと、部屋から出かけた崎村を、あきらは呼び止めた。
「どうされました?」
「その」
聞いていいのか、いけないのか。
崎村は穏やかな笑顔を浮かべて待っていてくれた。その笑顔に背中をおされ、あきらは言った。
「幸せって、何ですか?」
「幸せ、ですか」
ふむ、と崎村は顎に手を当てる。
「お嬢様は難しいことを聞きますな」
「あ、ごめんなさい」
「いえ、怒っているわけではないのですよ。むしろ懐かしい。あなたのお父様も、同じことを私に聞いたことがありますから」
「お父様が?」
今の父親とつながらず、あきらは驚いた。あきらの知る父親は、魔法のことばかり話す人だ。
そんな人が本当に、幸せを問うたのだろうか。
「えぇ、えぇ」
崎村は過去を懐かしむように何度もうなずく。
「あの方は、時季子さまほどの才能を持ち合わせることができませんでしたから。昔はそのことに大層悩んでおいででした」
崎村はあきらの近くにある椅子に腰かけた。
「私はお忙しい時季子さまに代わり、あの方が幼い頃からずっとお育てしていましたから。そんな折に聞かれたのですよ。幸せとは何かと。その真意までは測りかねましたが」
「崎村さんはそのときなんて」
崎村はゆるゆると首をふった。
「執事風情が、坊ちゃまに道を指し示すなどおこがましいことですから。私はただ、私の幸せを語らせていただきました」
「崎村さんの、幸せ……」
「守ること、ですよ」
芯の通った言葉だった。崎村は静かに、だが確かにあきらを見つめていた。
「このお屋敷を守る。そして、お屋敷に住まう方々をお助けすること。それが私の幸せです、と答えさせていただきました」
「守る……」
その言葉はどうもしっくりこなかった。あきらに守りたいと思えるものなんてない。眉を寄せるあきらに、崎村は「ふふ」と笑う。
「これはあくまで私の幸せですから。お嬢様は、お嬢様の幸せを見つければよいのですよ」
その時、カチャリと扉の開く音がした。顔を出したのは父親だった。
「日日日。帰るぞ」
「はい」
父親の言葉に、あきらは立ち上がる。父親はにこにこと笑う崎村を見て、首を傾げていた。
「あなたはここで過ごしなさい」
「はい」
時季子の屋敷を出た後、あきらは再び両親の車に乗せられた。たどり着いたのは駅から少し離れたビジネスホテルだ。
建物自体が古いのか、薄暗い部屋からはすえた匂いがした。
「毎日、この本を読むこと」
「はい」
「それから――」
「はい」
「優秀な魔法使いになれるように、はげみなさい」
母親はあきらにこまごまとした指示を与えていく。父親はその間に研究会に行く準備をしていた。
視界の端で、父親が手にした物が目に留まる。
それは、父親が魔法を使うための杖だった。
「そうだ日日日」
両親が研究会へ行く直前、父親が言った。
「俺たちが帰ってくるのは、夜遅くだ。当然だがこの部屋から出ることは禁じる」
「はい」
そう言い残して、両親は足早に部屋を出ていった。
時計は3時を指していた。部屋に一人残されたあきらは、備えつけの机に積まれた本に視線を向けた。全て魔法に関する本だ。すでに何度も読んでいて、内容はとっくに暗記してしまっていた。
「……やだ、な」
いつもだったら、母親の言いつけ通り暗記した本を読み返しただろう。だが、今日あきらは初めて外の光景を見た。両親以外の人と会って、幸せについて考えて。
あきらの心に、好奇心というものが芽生えていた。
もっと知りたい。外を見てみたいという、子どもらしい欲求。両親の目が離れ、あきらの中の欲求は、もはや抑えきれないほど膨れ上がっていた。
あきらは厚いカーテンに遮られた大きな窓に目を付けた。とことこと歩いて、カーテンを勢いよく開け放つ。
「あ」
せっかくの大窓の向こうは、隣接する建物の壁が見えるだけだった。くすんだ黒色の建物は見ていても、あきらの好奇心を満たしてくれない。
はめ殺しの窓に手を当てる。見えない壁は、あきらと外を無慈悲に遮る。
「外に」
外に、出たい。出てみたい。あきらは部屋の出口に目を向けた。
扉にはあきらの身長の半分ほどの大きさのぬいぐるみが立て掛けられていた。プラスチックで作られた無機質の目が、あきらを見ている。もしあきらが外に出たら、この人形が父親にその事実を知らせてしまうだろう。
「出たい。外に、行きたい」
諦めたくなかった。あきらはホテルの姿見を見る。映っているのは自分自身。
新品の服を着せられた、やせっぽちの少女がそこにはいた。ぼさぼさの長い黒髪が印象的な、青白い顔をした女の子。
人形の目を、ごまかすための魔法がいる。
「あのときの」
あきらは〈断罪者〉の魔法を思い出した。『幻惑魔法』。人の目をだましたり、暗示をかけたりする魔法だ。
今のあきらは『基礎魔法』を身に着けたばかりで、『幻惑魔法』なんて使えない。使うためには長い時間をかけて勉強するか、大きな代償を支払って即席で身に着けるしか手段はない。
「でも、私なんて」
こんなやせっぽちの女の子の、何を捧げたら代償になるというのだろう。腕を捧げても、足を捧げても価値を示せるとは思えない。
そのとき、ぐー、とあきらのお腹が鳴った。
あきらは脱走方法を考えるのを一度諦め、部屋の隅に置かれたレジ袋をあさる。そこから好物のあんぱんを見つけて食べ始める。小柄なあきらは、あんぱん一個で十分に空腹を満たせる。
あきらの食事はいつもそうだった。母親が適当に用意した菓子パンをかじるか、カップ麺にお湯を入れて食べる。
満腹感にほっと一息つく。そこで気づいた。
「代償、これなら、いいかな」
狭い部屋に閉じ込められていたあきらにとって、食事は唯一の娯楽だった。満腹感から得られる喜びは、あきらが大事と思える数少ないものだった。
「〈代償〉」
言葉が止まる。本で読んだ。代償として捧げてしまったものは、二度と返ってこない。つまり、あきらが『満腹感』を捧げてしまえば、二度とおなか一杯の喜びを味わうことはできなくなる。
迷う。あきらは開けたままの窓を見て、それからぬいぐるみの置かれた出口を見た。車の窓から見た光景。初めて見る色彩、光景、人間。
「見たい。私は」
大きく息を吸い、あきらは宣言した。
「〈代償〉〈この喜びを、幻惑魔法に変えて〉」
その瞬間、
――何者かが、あきらを見た。その視線はじろじろと無遠慮に幼い少女を見る。
知らない。あきらはこれまで代償を支払ったことがなかった。代償を支払うとき、こんな視線があることなんて聞いていなかった。
カチリとどこかで音がして、取引が成立した。
怖気の走るような視線が消えた。同時におなかがいっぱいだという感覚が、あきらの中から消えた。胃の中に咀嚼したあんぱんが入っているという異物感だけ残った。
「これが、代償。それで」
喪失感と同時に、あきらの頭に一つの魔法の使い方が刻まれていた。経験ではない。魔法の使い方が、感覚で理解できる。
あきらはおなかに手を当て、人形に視線を向けた。
「〈黙って〉」
カクンと、人形が首を垂れた。見た目ではわからないが確実に、あきらは人形の監視を無力化した。
「やった」
あきらは満腹感を失ったという喪失感も忘れ、興奮で胸を高鳴らせていた。はやる気持ちに突き動かされるまま、部屋の出口へ向かう。人形の横を通り過ぎ、扉のノブに手をかける。
カチャリと音を立てて扉が開く。扉の向こうは部屋と同じような様子の通路が広がっていた。
外へ、外へ。早く、外へ。あきらは通路を駆けて階段を探した。それはすぐに見つかった。カンカンカンと音を鳴らしながら下へと降りる。小気味よい金属の音は、あきらの期待をさらに膨れ上がらせる。
「〈隠して〉」
1階に降りる。フロントには従業員が立っていた。見つかるとよくないかもしれない。覚えたての魔法を使う。あきらの姿は、従業員の目をすり抜ける。
心臓がどくんどくんと音を鳴らしている。あきらは自動ドアにゆっくりと近づく。透明な扉の前に手をかざす。
音もなく開いた扉の先から、凶器のような熱風が吹き込んできた。
「――っ!」
あきらの全身から、汗が噴き出てきた。
強く、熱い風が、あきらを吹き抜けていった。大きく息を吸い込むと、真夏の空気が肺にたまった濁った空気を一気に押し出してしまった。
外の世界では、風がふいているのだと、あきらは初めて知った。
シャアシャアシャアと、やかましいセミの鳴き声があきらの鼓膜を打つ。
アスファルトの焼ける匂いが、人の発するあらゆる匂いが鼻を刺激する。
見上げると、澄み渡るような青空と、息を呑むような入道雲が見えた。燃えるような太陽の光があきらの目を焼き、初めて触れる熱があきらの肌を焼く。
「――あ、あぁ」
感動のあまり、あきらはその場から動けないでいた。あきらの全身は、五感の全てが、初めての外の感触を余すところなく味わっていた。
まぶしくて、うるさくて、痛くて。
全身を震わせ、突き抜けるような感動と喜びがあきらの体を貫いた。
「私は、生きてる」
外とは、世界とは、こんなにも豊かなものだったのだ。
体が震えた。こみ上げてくるものを、あきらはこらえられなかった。
「あ、あは、あはははははは!」
気づけば、あきらはお腹を押さえて笑っていた。目に涙をにじませ、大きな声で笑っていた。
生きている。今この瞬間、あきらは自分が確かに生きているのだと知った。




