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2 オルゴール①

『お久しぶりです。元気にしていましたか――』


 そんな一文から始まる手紙は、重日時季子、あきらの祖母が主催する魔法の研究会への参加を求める手紙だった。

 参加に当たって時季子から提示された条件は一つ。それはあきらを時季子に引き合わせることだった。


 両親は喜んでその条件を呑み、時季子の住む町へ向かうことになった。



「あ――」


 窓の外では、目まぐるしく変わる風景が流れている。色鮮やかで、瑞々しい。世界は目が焼けるほどに明るい。ひっくり返るほどの驚きだった。

 低いエンジンの音が耳に響く。座ったシートから体を揺らす振動が響いてくる。


 あきらは生まれて初めて、あの狭い部屋から出ていた。


 部屋の外に世界が広がっていることも、世界は揺れるものであることも、あきらにとっては初めての経験だった。

 何より。


「きれい」

 口の中で、小さく、小さくつぶやいた。


 後部座席に座らされたあきらは、締め切られた窓の外の光景に夢中になっていた。

 シートベルトの拘束がなければ、きっとあきらは車の窓に顔を張り付けていた。

 車がトンネルに入った。


「そうだ、日日日(あきら)

「はい」


 母親に声をかけられ、あきらはどきりとして肩を震わせる。冷たい声。高鳴っていた心臓がきゅっと縮むように感じた。


「あなたはこれからお母様、あなたから見ておばあ様になる人に会います。日本の中でも指折りの、大変すばらしい魔法使いです」

「はい」


 窓の外の風景に視線を奪われそうになりながら、あきらはどうにか前を向く。見えるのは、無機質な車の背もたれ。母親はあきらを見ようともせずに続ける。


「当然粗相があってはいけません。今から私が言う言葉、態度を覚えなさい」

「はい」

「おそらくお母様はあなたと話したがるはずです。失礼のないやり取りをするように」

「はい」


 車の音が消える。体を伝わる振動が消える。トンネルを抜けて、明るい光が窓から差し込んでいる。にもかかわらず、あれだけ魅力的だった窓の外が真っ暗に見えた。

 母親の言葉を聞いていくうちに、あきらは心が深く沈んでいくことを感じた。だんだんとあきらの視線は下に落ちていく。


「--と言われたら、--と答えて」

「はい」


「それで、次に――」

「はい」


 早口で、覚えさせるつもりのない母親の言葉。人形のように、あきらは淡々と返事をしていく。一度言われた言葉はすぐ覚えられる。空っぽになったあきらの心に、母親の言葉が投げ込まれていく。

 両親が魔法の研究会に参加するために、あきらは連れてこられたのだ。その目的を邪魔してはいけない。あきらの心はより冷たく、固くなっていく。


「期待していますよ」


 その時、ほんのわずかに、母親の言葉にぬくもりが混じった声が聞こえた。あきらは顔を上げた。


「お母様に気に入られれば、あなたの魔法使いとしての未来は開けるはずですから」

 魔法使いとして。


 黒いもやもやを消すために、あきらは音を立てないように、静かに息を吸いこんだ。

「……はい」

 いつもと同じ返事を、あきらはした。


「最後に、お母様とお話するときは笑顔でいるように」

「……えと」


「返事は」

「はい」


 笑顔って、なんだろう。


 ぼんやりと、あきらは思った。

 話が終わっても、あきらは窓の外を見ようとしなかった。


 *


 あきらを乗せた車はとある邸宅で止まった。

 閑静な住宅地の中にある西洋建築の大きな建物。周囲は高い塀で囲まれていた。車が近づくと、門扉はゆっくりと開いた。


「ついた、な」

 どこかためらいをにじませる声で、父親がつぶやいた。


 広い庭には季節の花が植えられ、豊かな色彩が広がっていた。その端を車はゆっくりと通り、大きな車庫の中で停車した。音もなくシャッターが閉まり、暖色のライトがつく。車庫の中には、案内役の老執事が控えており、車の扉を開けてくれた。車の中にひんやりとした空気と、草花の香りが流れこんできた。


 いい匂い。どこからの匂いだろうかと、あきらは両親に気付かれないように車庫の中を見回す。

「すごい。真夏なのに、魔法で気温が制御されている」

 父親は冷たい空気に驚いていた。


「俺には、できない」

 続く言葉は低く、あきらは肩をすくませて下を向いた。


「お久しぶりです」

 父親の言葉に割り込むように、老執事が両親に深く頭を下げた。


「はい。崎村さんもお代わりないようで」

 少しほっとしたような顔で父親が答えた。父の顔を見て、老執事――崎村もまた、固い表情をゆるめた。


「坊ちゃま。少し、老けましたかな?」

「10年ぶりですから、それに坊ちゃまはやめてくれませんか。俺はもう小さな子どもじゃないんだ」

「それは失礼いたしました。ですが、私にとって、坊ちゃまはいつまでも坊ちゃまですから」

「まいったな」


 父親と崎村の会話は非常に穏やかなものだった。二人に浮かぶ表情も同じで、見覚えのない表情を、あきらはこっそり見ていた。

「――では、時季子さまはすでに応接間でお待ちになっておりますので。ご案内します」

 話を切り上げ、崎村は邸宅への入口を指し示した。



 邸宅は広く、ろうかはふかふかとしたじゅうたんが敷かれていた。

 固い床に慣れたあきらにとって、柔らかい床は何となく落ち着かない。


 時季子の部屋へ向かう道中も、崎村と父親はぽつぽつと話をしていた。

 崎村の歩みはとてもゆったりとしている。小さなあきらの足でも簡単についていける。

 そのときふと、崎村は足を止め、あきらへ向き直った。


「お嬢様は、とてもおとなしい方なのですね」

「……そうかもしれませんね」

 一瞬、父親はあきらの方に目を向けた。わずかに、父親の声に固さがまじる。


「ちょっとお嬢様とお話をしても?」

「それは、構いませんが」

「ありがとうございます」

 と言うと、崎村はあきらの前で片膝をついた。


「初めましてお嬢様。私はこの屋敷で執事をしております。崎村と申します。よろしければ、あなたのお名前を聞かせていただいても?」

「わ、私は」


 この状況でどうすればよいかは聞いていない。答えればいいのか、無視すればいいのか。あきらは口を小さく開け閉めする。そんなあきらを前に、崎村はじっと待ってくれていた。

「重日、あきらです」

 混乱しながらも、どうにか言葉を絞り出す。


「あきら様ですね。お会いできて光栄です」

 目の前に見える崎村の顔はあきらがこれまで見たことのない、柔らかい表情だった。さきほど、父親も浮かべていた表情。


 笑顔とは、こういう表情のことをいうのか。


「時季子さまとお会いすることで、緊張しているかもしれませんが安心してください。あの方は強い魔法使いではありますが、とてもとてもお優しい方ですよ」

「あ、ありがとうございます」


 老執事の表情を真似してあきらは答えた。ぎこちない笑みだっただろう。崎村は数秒、考え込むように口を閉じたが、

「えぇ」

 と短く答えた。


 崎村は立ち上がり、奥の部屋の前に立った。

「では、こちらになります。――時季子さま。坊ちゃまが来られました」

 崎村は扉をコンコンとたたいて扉を開け、困ったように眉をひそめた。


「時季子さま。お話が違います……」

「ご、ごめんなさいね」

 部屋の中から、少し慌てた様子の老女の声が聞こえてきた。


 豪奢な装飾がされた立派な部屋の中には、二人の人物がいた。彼らはそれぞれ違った意味を伴った視線をあきらたちに向けた。


 一人は車椅子に座った老女。彼女は両親を見て、申し訳なさそうな顔をした。


 もう一人は椅子にふてぶてしく座っていた。部屋と似つかわしくない、薄汚れた作業着を着た初老の男は、

「あん?」

 と、剣呑な声であきらたちの方をにらみつけた。


 禿頭隻眼の、巨岩のような雰囲気の男だった。男の右目は白濁していて、残る左目で両親とあきらを一人ずつ見回す。全てを見透かすような、恐ろしい目。人ならざる雰囲気をもつ男に、あきらはもちろん、両親すら吞まれていた。


 男とあきらの目があう。

 ほんのわずかに、男の目が光を帯びていることにあきらは気がついた。


「へぇ」

 男はにやりと笑い、あきらから視線を外した。


「時季子さんよ。お前のガキと嫁はつまんねぇな。見るものがない。ザコとクズだ」

「そんな物言いは」

 男の物言いに老女--時季子はとがめる姿を見せるが、男は一向に気にする様子はない。男は続けて、あきらを親指で指さした。


「が、そっちの孫ちゃんは素質あるぜ。あんたと同じ優秀な魔法使いだ。不幸なことにな」

「……それを不幸と取るかどうかは本人次第でしょう」

「不幸だろうがよ」


 男は断言した。


「俺様やあんたは幸福な人生を送ったと言えるのか?」

「……それで、研究会の方には」

 男の問いに、時季子は答えなかった。


「行かねぇっつってんだろ。もちろん、〈夜の怪物〉の件も同じだ。呪術師のことなんざ、知ったことか。俺様は、俺様のためにしか魔法を使わねえ。もう帰る。邪魔したな」

 男はあくびをしながら立ち上がる。あきらの両親は出口の前からどかなかった。


「どけよ」

「あなた、どなたか存じ上げませんが、お母様に対してあまりにも失礼ではないですか」

 男の言葉に、父親が棘のある口調で答える。


 男は父親の言葉を意に介した様子はなく、ただ一言。



「〈騙せ〉」



 と言った。


 世界がグニャリとゆがむ。強いめまいを感じる。

 視界が開ける。あきらの頭に固い手が乗せられた。


「え?」

 両親は男に道を開けるように、両脇にどいていた。離れた場所にいた男はいつの間にかにあきらの目の前にいて、あきらの髪を荒っぽく撫でていた。


「髪、もう少し整えた方がいいぞ。孫ちゃん。その方がきっとかわいい。男にもモテる」

 突然の出来事に、あきらはあっけにとられて何も言えない。


 見下ろす男の顔は、あきらを哀れんでいるようであった。

「お前は魔法使いになんて、ならなくてもいいんだぞ」

 男はあきらを見て、小さく笑った。


 ずっと魔法使いになるよう育てられてきたあきらにとって、男の言葉は理解できなかった。

 男の手が、あきらから離れる。


「あの」

「じゃあな。魔法使いとして、二度と会うことがないといい」

 男はすでに応接間を出ていっていた。男の言葉を聞いて、

「名前は」

 気づけばあきらは、廊下を歩く男の背に声をかけていた。


 魔法使いにならなくてもいい。その言葉の意味をもっとよく知りたかった。


「あなたの、名前は」

 男の足がぴたりと止まる。


「名乗る名前なんて、俺様にはねぇよ」

 振り返らずにそれだけ答えて、男は去っていった。


「送迎いたしますよ。〈断罪者〉様」

「いらねぇよ。歩いて帰る」

 崎村が男を追いかけていった。その時に崎村が口にした〈断罪者〉という言葉に、両親は大きく目を見開く。


「……あの方が、まさか」

「はい。あの有名な〈断罪者〉です」

 と時季子は言った。それが彼の名前なのだろうか。あきらは男の過ぎ去った方向を見つめながら思った。


「日本でも戦いにかけては彼に勝る人物はいないでしょう。〈理界〉の神刀に隠れがちですが、彼は並外れた〈幻惑魔法〉の使い手でもありますから――」


 魔法使いにならなくていい。そんな会話が交わされる横で、あきらは男の言葉を反芻していた。


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