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『まもなく――駅、――駅です。車内にお忘れ物はございませんか。まもなく――』


 駅の名前を聞いて、心臓が小さくはねた。流れる窓の外の風景をぼんやりと眺めていたあきらは、一度大きく深呼吸をした。


 甲高いブレーキ音とともに、電車が止まる。ボストンバッグを手に、ゆっくりとあきらは立ちあがる。電車から外へと踏み出す足は、なぜだかほんのちょっと震えていて。

 ホームに降り立つ。温かな春の風があきらを撫でた。ざわざわと行き交う人々の声が、あきらを柔らかく包み込んだ。


「あぁ」


 震える声が、あきらの口からもれた。

 ゆっくりとした足取りで改札を通り抜けて、外に出る。

 夕焼けの空が、あきらの上に広がっていた。


 少し古びた三階建てのビル。どこに行っても変わらないコンビニの看板に、穏やかに笑い歩く人々。


 変わらない。


 目の前に広がる懐かしい光景を前に、あきらはぎゅっと胸を抑えた。

「帰って、きちゃったな……」

 もう二度と、ここには来ないと思っていたのに。


 ささやくような小さな本音は、澄んだ春の風に流されて消える。


 少しの間、あきらは歩き出すことができなかった。

「10年ぶり、か」

 あきらの口元には苦いものが浮かんでいた。17歳のあきらにとって、決して短くない時間だ。


「行かなきゃ」

 やるべきことはたくさんある。いつまでも感傷には浸っていられない。今のあきらには使命がある。



 この町に潜む呪術師を殺すという使命が。



「今の私は、あのときみたいな子どもじゃない。……魔法使い、なんだから」

 拳を握りしめる。魔法使い。その言葉は、あきらの心を固くし、冷たくする。



 けれど町を歩いていると、どうしても昔を思い出してしまう。



 春の夕日が、柔らかくあきらを照らしてくれるから。


 温かな春風が、あきらの長い黒髪をたなびかせるから。


 一組の小さな男の子と女の子が、走ってあきらを追い越した。二人は笑い合い、手をつないでいた。

 その姿があきらの思い出と重なって、胸が苦しくなる。


 行くべきじゃない。わかっているのに、止められない。あきらの足は自然とあの場所へと向かっていた。


 ポロン、ポロンポロンと、音が聞こえる。

 昔のことを思い出すと、いつもオルゴールの音色を連想する。

 不思議だな、と思う。


 なにせ、幼い頃あきらはオルゴールなんて聞いたことがなかったから。

 あきらの思い出の中に、オルゴールの音色なんてない。

 けれど、なんとなく理由はわかっている。


 オルゴールのあの、優しくて、ほんの少し悲しい音色が、あきらの思い出の色と同じなのだ。

 今に至るまで、何度も何度も思い出してきたあの思い出が、同じ旋律を何度も奏で続けるオルゴールと同じなのだ。



 だから、あきらの思い出はオルゴールとともにあるのだろう。



 あきらの足が止まる。あきらは小さな公園の前に来ていた。



 ――ゆっくりと、ねじを巻き続ける限り再生され続ける記憶。



 擦り切れるほどに、思い出し続けた過去。



 彼との思い出は、たくさんの優しさと、もっとたくさんの悲しみとともにある。



 これは世界に愛されてしまった、重日日日日(あきら)の過去。



 呪いのように、四つの太陽を背負わされた女の子のお話。



 もはや、彼女の中にしか存在しない、箱の中に大事にしまわれた物語。



 それを、語ろう。











『手をつないだあの夏を、私だけは覚えている』











 幼いあきらにとって、世界とは狭い部屋のことだった。


 幼いあきらにとって、他者とは常に怖い顔をした両親のことだった。


「あなたは、おばあ様のような素晴らしい魔法使いになるの」

 それが母親の口癖。


「はい。私はおばあ様のような素晴らしい魔法使いになります」

 あきらはいつも同じように答えた。そうしなければ、母親があきらをたたくから。


 一体いつから、こうなってしまっただろう。


 たとえ幼いあきらに初めて与えられたものが、魔法を習得するための書物で、おもちゃや娯楽を一切与えられなかったとしても。きっと昔は違ったはずなのに。


 だって、あきらに残る最も古い記憶は、父親に抱っこされながら母親の子守歌を聞いて眠るものなのだから。


 父親の腕のぬくもりを、母親の静かな歌声を、あきらは覚えている。


 確かに、あきらは愛されていたはずだった。



「この世界には、魔法使いと呪術師がいます」

 狭く閉じた部屋で、母親はあきらに語りかける。


 薄暗い蛍光灯の明かりが、あきらと母親の影を落とす。二人の間には小さなテーブル一つ分の距離がある。幼いあきらが手を伸ばしても、母親には届かない距離だった。


「はい」

 固い椅子に座るあきらは答える。

「魔法使いは自分の大切なものを代償に魔法を使います」


「はい」

「けれど、呪術師は違う。彼らは他人の大切なものを代償にして魔法を使う。それを呪術と呼びます」


「はい」

 冷たいやり取り。あきらは母親の言葉を淡々と飲み込んでいく。幼いあきらの青白い顔には、何の表情も浮かんでいなかった。


「呪術は世界にゆがみを生む。ゆがみは人にとりつき、狂わせます。私たちコミュニティの魔法使いはゆがみを正し、それを生み出す呪術師を殺すために存在しているのです。あなたは」


「はい」

「優秀な魔法使いとして、呪術師を殺すために生まれてきたのです」

 あきらの瞳に映る母親の顔は、狂的な使命感に支配されていた。


「私たち魔法使いは人生すべてを、生きる時間の全てを捧げて、魔法を使います。コミュニティのために、あなたもまた、そうした生き方をするのです。」

「ぁ……」

 のどにものが詰まったように、声を発することができなかった。


「返事は?」

 母親から怒気がにじみでる。手足の先から冷たい恐怖が侵食してくる。


 母親は変わってしまった。あきらにとびぬけた魔法の才能があると分かってから、母親と言葉を交わすのはこんなものばかりだった。

 親子らしい会話をした記憶は、あきらにはなかった。


「はい」

 あきらの返事に、母親は自身の頬を持ち上げた。



 あきらは部屋の外に出たことがない。一切の娯楽を知らない。


 あきらは魔法のことしか知らない。


 両親は一つ、大きなことを見落としていた。


 魔法は代償を支払うことで行使される。代償は自らが大事だと思うものでなければ、意味をなさない。

 無味無臭。平坦な生の中で、あきらは自らに価値など感じられるはずもなかった。


 やせっぽちのこの体に価値などない。


 同じことの繰り返しでしかないこの記憶に価値などない。


 重日日日日という存在に、価値などない。


 あきらはそう、本気で信じていた。


「あなたの名前はね、たくさんの太陽と言う意味です。私にとって、お父さんにとって、おばあ様にとって、そしてコミュニティにとっての太陽に、あなたはならないといけないんです」

 妄執をはらんだ母親の言葉。


「あなたは、必ず私たちを幸せにしてくれる」

 四つの太陽。重日日日日という名前は、あきらにとって何より重い呪いであった。


 あきらは母に問いたかった。

「私がみんなを照らすなら、誰が私を照らしてくれるの」


 問うことなど、できるはずもなかった。


「冷たい」

 いつしか、あきらは自らの生に対してそう思うようになっていた。


「暗い」

 昨日も今日も明日も同じ日々。あきらは未来というものすら、否定しようとしていた。


「苦しい」

 広い世界を知らないあきらですら、この生活に窒息し始めていた。


 誰か、助けて。


 少女の声なき悲鳴は、誰にも届かない。


 ――そんな彼女の人生を変えることになったのは、優秀な魔法使いである祖母、時季子からの、一通の手紙であった。

 その手紙が、少女の運命を動かした。



 ()との出会いが、すぐそこまで来ていた。


全15話の作品になります。

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