3.令嬢は浮ついた話が好きらしい
まったく信じられない出来事が降りかかったもんだ。特筆すべきことは何もなく、容姿も成績も運動神経も全て並みで平凡極まりないこの僕の人生で初めて訪れた尋常ならざる出来事と言えよう。
過去を振り返っても特別なことなんてそうそうなかった、あえて言えば小学生の頃、男子に泣かされていた幼馴染を助けようとして相手の男子を泣かせてしまったことくらいだろうか。
あの時は、普段威張っていたクラスいちの巨漢が泣くなんて考えたこともなかったから驚いたもんだ。それともうひとつ――
「みーちゃん、おはよう。今日も一緒で嬉しいなぁ。それにしても高校入ってからは全然遅刻して無くて偉いね。別に朝苦手なわけじゃ無かったってわけか」
家を出てすぐのところで待ち構えていたのが、その幼馴染である御幸三重だ。いじめっ子から守ったことがよほど響いたのか、それからというもの僕にべったりになってしまっていた。
小学三年の出来事だったはずだからもうかれこれ七年ほどになるのだが、来るなと言っても朝は待っているし止めろと言っても「みーちゃん」呼びを続けている厄介なやつだ。
つまり今も背中に張り付いているこの金髪縦ロールお嬢様が、僕のことを「みーちゃん」と呼ぶのは三重の真似であることは間違いない。母さんの真似ならば「みーくん」と呼ぶはずだからである。
「もう高校生なんだからちゃん付けとかやめてくれよ。呼び捨てでいいから苗字でも名前でもどちらかそのままで呼んでもらいたいもんだな。うん、そうだよ、今から僕のことは苗字の『井坪』で呼んでくれよな」
「えー、そんなよそよそしいの嫌だよ。せめて名前で呼びたいかな。でも学校でだけだからね。二人の時は昔のままでいたいんだもん。それなら良いでしょ? 深山君?」
「いや、名前呼びはダメだ。中学の頃はそれで散々いじられて嫌だったの知ってるだろ? 父さんも面倒な名前付けてくれたもんだよ」
僕は名付け親である父親のことを恨めしそうに思い浮かべた。親が趣味に関する用語を子供の名にすることは珍しくない話だろうとは思う。
でもよりによってクワガタと同じミヤマは止めてほしかった。実際には野生の蘭にちなんだものだとは聞かされているが、子供の世界でそんな知識を持っている奴はそういない。
「クワガタ呼ばわりされてたことまだ気にしてるの? でもごめんなさい、あれも私のせいだもんね。かばってくれたみーちゃんが目を付けられちゃうなんて思ってもいなかったから……」
「まあアレは僕も悪いんだけどさ。泣き虫とか言って煽っちゃったからなぁ。そのせいでアイツは中学に入ってから一部で陰口言われてたじゃん。イキってるだけで本当は弱虫なんじゃないかってさ。でも言いふらしたのは悪いことしたと思うし、気まずかったから高校が別になってホッとしたよ」
普段は昔話なんてあまりしないのに今朝はなんだか話が弾んでしまった。これもあの金髪縦ロール令嬢が僕をみーちゃんと呼んだせいだろうか。大体あいつは一体なんなんだ? なんで突然僕の背中に張り付いたように現れたんだろう。
そんなことを考えていたら授業にあまり身が入らず、あっという間に放課後になってしまった。朝はどうなることかと思ったが、それでも今日一日何ごともなく過ぎていき、あとはいつも通り帰るだけだ。
もちろん登校時と同じく三重と一緒だが、今のところどこかに寄っていくなんてことはなかった。これでもっと通学に慣れてきたら違ってくるのかもしれないと考えていた僕の耳に飛び込んできたのは、三重からの意外なひとことだった。
「今日もまっすぐ帰る? 私ちょっと寄りたいところがあって一緒に行って欲しいんだけどお願いできないかな?」




