11.令嬢は笑えない冗談を言うらしい
精密堂から出てきた清田は数回首を動かした後に視線を止めた。どうやら僕か僕らを認識したようで、気味悪くにやりと笑ったように見える。
『ちょっとローズ、逃げたほうがいいんじゃないか? 相手に悪霊? がついているかどうかも分からないし勝てる保証もないだろ?』
『それはわたくしの力を見くびっていると言うことかしら? それとも臆病風に吹かれてしまった? それに運動不足のみーちゃんが逃げ切れるかどうか、それこそ保証できないのではなくて?』
『そうかもしれないけど相手はオジサンなんだからすぐ息切れするさ。確かに運動不足気味ではあるけど、体育の授業で走ったときはクラスで真ん中くらいだよ? つまり決して足が遅いわけじゃないんだからね?』
『それならなおのこと前に出ていくと良いのだわ。危険を感じたら逃げれば済む話なのだから。それにあの髪の毛をごらんなさい。きっと憑りついている霊は老人に違いないのだわ。わたくしが憑りついているみーちゃんは同じように髪の毛がクルクル丸まっているでしょう?』
『これは天パだから生まれつきだよ…… つーか今のわかってて言っただろ? 毎朝セットに苦労してるの見てるんだから知ってるじゃないか』
『うふふ、緊張をほぐして差し上げただけなのだわ。ほら、もたもたしているとあの男が来てしまうわよ? どうするか早くお決めなさい。愛する乙女のため、時には強い決断が必要ではなくて?』
三重のことを出されると心が揺らいでしまう。こうやって動揺を誘ってくるところを考えると、ローズが完全な味方とは思えなくなってくるのだが、これもすべて退屈が悪いのだろう。
まったく身近なところに娯楽を求めないでもらいたい。できればそのくらいは言ってやりたいが、なにせまだ付き合いも浅くわからないことだらけだ。
今のところ彼女が僕に対して何ができて何ができないかもわからないわけで、そんな状態で無茶はできない。最悪体の自由を奪われて勝手な真似ができるなんてことがあれば死活問題と言ってもいい。
そうこうしているうちに清田は繁華街を抜けてきたタクシーをやり過ごし、左右を確認することなくこちらへまっすぐ向かってきている。距離はあと四、五メーターと言ったところだ。
こうなったら腹を決めてこっちから話しかけるしかないのか? でもなんて言えばいいんだ? しかもこんな深夜に……
悩んだままの僕は自販機の陰で息を殺していることしかできない。
だがその時――――
『キキー ジャカン! ガチャガッチャーン!』
「バッキャロー! くそじじい! ふらふら出てくんじゃねえよ! 痛てて……」
「無灯火で走ってきたら危ないじゃないですか。こちらからは全然見えませんでしたよ? けがはないですか?」
どうやらタクシーの後ろを同じくらいのスピードで走ってきていたモペットが、清田にぶつかって派手に転んだのだ。
『ローズ? 今何か見えた? 僕には確かにぶつかったように見えたんだけど、清田は何ともなさそうだ。チャリが勝手にこけた用には見えなかったなぁ』
『特に姿は見えなかったのだわ。でも確かに自転車が走ってきたところにあの男はいたはず。それが何もなかったように、まだ道路の向こう側にいるのはおかしいのではなくて?』
『えっと、つまりどういうこと? 後ろへよけたのかな。そんな俊敏には見えないけど、人は見かけによらないってやつかな』
『ではそれを確かめてみましょうか。みーちゃん、あなた出ていってあの男を殴って差し上げなさい? もちろん本気でやるのよ?』
『えー!? 僕は人を殴ったことなんてないから急に言われてもできないよ。ローズがあの剣でついてやればいいんじゃない? そしたら見えてるかどうかも分かるじゃないか』
『やれやれ、とんだ臆病騎士なのだわ。せっかく見せ場を作ってあげようと考えたと言うのに。これでは彼の前へ出ていくまでが精いっぱいね』
そんな相談をしているうちに、モペットの酔っぱらいは大声で文句を言いながら走り去っていった。それは短い時間だったが、僕の覚悟ができるには十分だった。
自販機の裏から飛び出した僕は清田に向かって声をかける。
「清田さん! こんな時間に何をしてたんです?」
一瞬の間があってから清田は口を開いた。
「いや、それは僕のセリフだと思うんだけど?」




