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化け物は恋を食べられない  作者: 夜唏


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2/7

2話 異形の者た

屋敷には、彼女以外にも数えきれないほどの者たちが暮らしている。


 人の形をかろうじて保っているもの、もはや何であったかもわからないもの、影だけで存在しているようなもの。

 住人らに共通しているのは、この屋敷の主人が彼女であるということ、それだけだった。


 だが彼女は、その誰とも言葉を交わしたことがなかった。

 

 落神が、彼女の隣に座ることがある。

 何をするでもなく、ただ座っているだけだ。

 彼女もまた、何を求められているのかわからないまま、隣にいることを許している。


 幽霊が、彼女の服の裾をそっと引っ張ることもある。

 何かを伝えたいのだろうとは思う。だが、それが何なのかまでは、どうしてもわからない。

 裾を引かれるたびに彼女は立ち止まり、しばらく待ち、やがて幽霊が満足したように離れていくのを見送るだけだった。


 名前もわからない化け物が、両手で何かを差し出してくることもあった。

 木の実のようなものだったり、光る石のようなものだったり、時にはただの土くれだったりする。

 彼女はそれを受け取り、しばらく眺め、結局はどこかに置いておく。

 喜んでいるのか、困っているのか、渡した側にも伝わっているかどうかは怪しい。


 それでも、彼らは彼女のそばを離れなかった。


 彼女が廊下を歩けば、決まって誰かがあとをついてくる。

 振り返れば、その足がぴたりと止まる。

 彼女がまた歩き出せば、また少し遅れてついてくる。

 それだけの繰り返しを、もう何百年も続けている。


 深い夜、彼女がいつもの様にただ座っていると、いつの間にか周りにいくつもの気配が集まっていることがある。

 気が付けば、誰かが彼女の髪にそっと触れている。

 彼女はその手を払いのける。

 少し間を置いて、また手が伸びてくる。

 彼女はため息をつき、そのままにしておく。


 言葉があれば、もっと簡単だっただろう。

 何を思っているのか、何を望んでいるのか、一言尋ねればわかったのかもしれない。

 だが、彼女にはその一言がない。住人らにも、おそらくない。


 それでも、何百年という時間は、言葉のないままでも積み重なっていった。

 誰かが隣に座り、誰かが裾を引き、誰かが手のひらの上に何かを乗せてくる。

 理解できないことばかりのその繰り返しが、いつの間にか、彼女にとっての当たり前になっていた。


 家族と呼べるものかどうかは、彼女自身にもわからない。

 ただ、誰もいない部屋でひとりだけでいる時間は、もう長いこと、なかった。


 ——嵐の夜。

 いつもと同じように、迷い込んできた者がいた。


 男だった。

 屋敷の住人たちが寄せ集まり、廊下の暗がりに目が増えていく。

 男は他の人間と同じように青ざめ、後ずさる。悲鳴はない。


 廊下の闇から現れた彼女は、いつも通り、爪を振り上げる。

 だが、男が逃げなかったから、彼女は停止した。


 男は、怖がっていないわけではない。

 むしろ、他の誰よりも激しく震えていた。

 それでも男は、彼女から逃げない。


 男は震えながら、彼女を見上げた。


 その目に浮かんでいたのは、彼女がこれまで見たどの目とも違っていた。

 恐怖はある。悲願もある。媚も見える。だがそれだけではない。

 彼女が食い入るように男の瞳を覗く。

 

 まるで、何かを、憐れむような色——『かわいそうに』

 男は声に出していない。

 それでも、彼女が瞳の奥で見つけた色は、そう言っていた。


 彼女は戸惑った。

 戸惑うということ自体、彼女にとって経験のないことだった。

 ましてや、食べられる側の人間から、そんな目を向けられたことなど一度もなかった。


 喰らいつこうと進めた足を、一歩後ろに下げる。

 爪は、もう振りあがってすら、いなかった。

 なぜ動きを止めたのか、彼女自身にもわからなかった。

 腹は減っていたし、目の前の男を食べない理由など、どこにも見当たらない。

 それでも足も、指先も、それ以上前へは進まなかった。


 男は、まだ彼女を見つめていた。

 屋敷の住人たちは、いつもと違う気配を察したのか、少しだけ後ろに下がっている。

 静けさだけが、二人のあいだに残った。


 その夜、結局、彼女は男を食べなかった。

 理由はわからないまま。

 屋敷に広がる闇の中で、騒めきは一晩中続いた。

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