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愛を捨てし軍神の娘は、魔王に堕つ ―十一歳、上杉兼継 覚醒―  作者: 竜太郎


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第29話「尾張を見る者」

越後。


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雪は、ようやく弱まっていた。


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静かな朝。


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だが。


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上杉の本陣だけは、空気が違う。


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「尾張の商人です」


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部屋に通された男が、深く頭を下げる。


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薄汚れた旅装。


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どこにでもいる商人。


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そう見える。


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だが。


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兼継は、一目で見抜いていた。


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「……違うな」


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静かな声。


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商人の肩が、僅かに揺れる。


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「何が、でございますか」


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兼継は、黙って男を見る。


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「お前」


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短い間。


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「戦を見ている目だ」


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空気が、止まった。


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家臣たちが、一斉に殺気立つ。


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だが。


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男は、笑った。


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「さすがだな」


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口調が変わる。


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商人ではない。


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「織田の者か」


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兼継が、静かに問う。


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男は、否定しない。


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「答える義理はない」


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その返答だけで、十分だった。


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「……信長の命か」


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男は、また笑う。


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「見て来い、と」


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「上杉兼継を」


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沈黙。


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部屋の空気が、冷える。


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だが。


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兼継だけは、静かだった。


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「どうだった」


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男は、一瞬だけ黙る。


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そして。


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初めて。


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真顔になった。


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「……理解不能だ」


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それは、本音だった。


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「戦場が、生き物みたいに動く」


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「人が、誘導されてる」


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「気づいた時には、終わってる」


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男の額に、汗が浮く。


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思い出している。


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武田戦を。


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「アレは、戦じゃない」


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ぽつりと呟く。


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兼継は、何も言わない。


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その時。


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男が、顔を上げた。


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「だが」


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空気が、変わる。


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「信長様は、笑ってた」


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その一言。


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初めて。


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兼継の目が、僅かに細くなる。


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「……笑った?」


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「面白いってな」


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沈黙。


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家臣たちが、顔を見合わせる。


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恐れない?


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違う。


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“楽しんでいる”。


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「……そうか」


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兼継が、静かに立ち上がる。


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窓の外を見る。


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雪。


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白。


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静かな世界。


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だが。


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遠く尾張だけが。


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燃えている気がした。


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「信長は、何を見ている」


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ぽつりと呟く。


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男は、少し考える。


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そして。


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笑った。


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「天下、じゃないな」


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兼継が、振り返る。


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「じゃあ、何だ」


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男の目が、狂気じみた熱を帯びる。


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「“次の時代”だ」


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その瞬間。


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部屋の空気が、完全に変わった。


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兼継は、理解する。


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織田信長は。


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戦国の勝者ではない。


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“戦国を終わらせる側”。


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それは。


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上杉兼継と、同じ場所。


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だからこそ。


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危険。


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「……なるほど」


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兼継が、静かに笑う。


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初めて。


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“会ってみたい”と思った。


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武田信玄は。


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強敵。


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だが。


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織田信長は。


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“同類”。


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その時だった。


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外が、騒がしくなる。


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家臣が、駆け込んできた。


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「兼継様!」


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「尾張より、正式な使者が!」


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空気が、止まる。


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兼継は、静かに目を閉じた。


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早い。


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思ったよりも。


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ずっと。


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そして。


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ゆっくりと。


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目を開く。


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「通せ」


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戦国最悪の会談が。


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今。


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始まろうとしていた。


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(次話へ)


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