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第268話「武田の南下現象」
甲斐国、躑躅ヶ崎館。
武田信玄、三十九歳は、重臣たちを集めて軍議を開いていた。
内の経済循環が貧弱な甲斐は、常に外への軍事圧力を放出せねば国が干上がる。
今年の夏の行動は、北ではなく南へと明確に切り替えられていた。
「越後との国境は、相変わらず手出しができませぬ」
山本勘助、三十九歳が、悔しさを滲ませながら地図の北側を指した。
兵数は必要最小限だが、情報の伝達と物資の配給経路が完璧に連動している。
どこか一箇所を叩いても、即座に全体の統治圧が調整され、泥沼の持久戦に持ち込まれる。
短期決戦を前提とする武田の軍事圧縮構造にとって、最も相性が悪い相手であった。
「今川の統治持続力が落ちている。駿河の海を切り開くぞ」
信玄の決断に、異論を挟む者はなかった。
敵武将を無益に殺さず、その勢力を自らの構造に組み込んでいく。
信玄もまた、戦を単なる勝敗ではなく、構造の再配置として捉えていた。
武田の騎馬隊は、砂煙を上げて南へと旋回を始めた。
越後という固定装置が北に厳然と存在することが、周囲の大名の動きを自動的に規定していく。
これこそが、兼継の狙った「見えざる均衡」の正体であった。




