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第267話「氏康の検分」
相模国、小田原城。
北条氏康、四十五歳は、自ら馬を駆って国境近くの支城を巡検していた。
北条の構造は、四代にわたり積み上げられた平分と持久の思想に基づいている。
他国がどれほど急激に拡張しようと、この堅牢な防壁は微動だにしない。
しかし、氏康の脳裏には、越後が作り出しつつある「情報の網」が影を落としていた。
「越後の間者ども、銭ではなく木札を配り歩いている模様にございます」
近習の報告に、氏康は手綱を握る手を少し強めた。
「土地を縛る我が方の検地に対し、あやつらは民の『動き』そのものを支配しようとしている」
動かないものは頑強だが、動くものは変化に対応する。
氏康はその本質的な脅威を、誰よりも正確に理解していた。
「各城の兵糧をただ蓄えるな。どこから運び、どこへ抜けるか、その流動を調べ直せ」
氏康は家臣たちに鋭く命じた。
説明過多は不要である。
ただ、現場の機能が落ちなければ、外からの圧力に崩されることはない。
氏康は愛馬の首を撫でながら、静かに遠い北の空を睨みつけた。
崩れない構造体は、いま新しい変数値に対してその強度を再計算していた。




