第24話「六角の教え」
甲斐。
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雪が、静かに降っていた。
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武田軍は、戻ってきている。
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傷だらけで。
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血に染まり。
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それでも。
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崩れてはいない。
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城門が開く。
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民たちが、道を空ける。
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静かだった。
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歓声はない。
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だが。
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絶望もない。
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理由は、一つ。
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武田信玄が、生きている。
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「信玄様だ……」
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誰かが、呟く。
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それだけで。
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空気が変わる。
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武田信玄は、馬を降りる。
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肩には、包帯。
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血も、まだ止まり切っていない。
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だが。
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目だけは、生きていた。
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「……損害は」
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側近が、答える。
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「大きいかと」
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「兵糧も厳しく」
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「補給線も、ほぼ壊滅」
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普通なら。
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立て直せない。
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だが。
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信玄は、笑った。
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「まだある」
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短い言葉。
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「蔵を開けろ」
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周囲が、凍る。
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「……よろしいのですか」
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当然の反応。
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甲斐は、豊かではない。
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山。
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痩せた土地。
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貧しさ。
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それが、甲斐。
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「構わん」
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信玄は、即答した。
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「兵を飢えさせるな」
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その言葉だけで。
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古参たちの目が、変わる。
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思い出していた。
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若き日の、信玄を。
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まだ。
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武田が弱かった頃。
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飢え。
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凶作。
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離反。
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絶望。
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その時。
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一人の男が、甲斐へ来た。
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六角。
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近江の知。
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商い。
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流通。
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現実。
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「兵は、腹で戦う」
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若き信玄へ。
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その男は、そう教えた。
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「誇りではない」
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「理想でもない」
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「飯だ」
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若き信玄は、怒った。
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武とは。
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誇りではないのか。
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強さではないのか。
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だが。
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現実は、違った。
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飢えた兵は、逃げる。
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飢えた民は、裏切る。
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だから。
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信玄は、学んだ。
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補給。
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流通。
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蓄え。
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“生きる戦”。
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「……あの頃よりは、まだマシだ」
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信玄が、静かに笑う。
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「甲斐は、まだ死んでいない」
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家臣たちの背筋が、伸びる。
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それが。
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武田信玄。
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貧困を知るからこそ。
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極限で、折れない。
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その頃。
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越後。
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兼継は、静かに報を聞いていた。
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「武田、再建開始」
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「蔵開放」
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「民への配給も確認」
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「……そうか」
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短い返答。
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家臣が、眉をひそめる。
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「ここまで損害を受けて、なお立て直しますか」
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普通ではない。
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だが。
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兼継は、否定しない。
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「武田信玄だからな」
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それだけ。
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「飢えを知る者は、強い」
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ぽつりと呟く。
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兼継自身。
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飢えを知らない。
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上杉の知。
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上杉の力。
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全てを継いだ完成体。
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だが。
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武田信玄は違う。
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泥。
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飢え。
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貧困。
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その中で、生き残った。
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「……なるほど」
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兼継の目が、静かに細くなる。
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「だから、折れないか」
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理解。
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そして。
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初めて。
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ほんの少しだけ。
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羨望にも似た感情が、生まれる。
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その時。
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家臣が、新たな報を持ってくる。
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「織田が、動いております」
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空気が、変わる。
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兼継の目が、静かに向く。
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「……織田」
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その名。
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まだ、この時代では。
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そこまで大きくない。
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だが。
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兼継だけは。
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ほんの僅か。
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違和感を覚えた。
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「何をしている」
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「鉄砲を、異常な速度で集めていると」
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沈黙。
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雪が、静かに降っていた。
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そして。
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戦国に。
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もう一人の“魔王”が。
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静かに、生まれ始めていた。
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