第235話「毛利の計算書」
西国、吉田郡山城。毛利元就は、越後から戻った商人が持参した一枚の紙を見つめていた。
それは、前回の交易における物品の往来と価格の推移を詳細に書き連ねた、越後側が作成した記録の写しであった。元就の傍らに立つ小早川隆景が、これを検分して驚嘆の声を漏らした。
「我が方の商人が誤魔化そうとした端数まで、正確に記されております。これでは嘘がつけませぬ」
元就は細い指でその紙をなぞった。
「嘘をつけなくすることが目的ではない。次の取引を円滑にするための道具だ」
商いにおいて最も銭がかかるのは、相手を疑うことである。信頼の確認に費やす時間を、この一枚の紙が省いている。
「越後は戦をせずとも、我が方の流通を自国に引き寄せている」
毛利は経済と海上流通の支配によって構造を維持する軸である。その毛利から見ても、上杉のやり方は極めて合理的であった。隆景が、越後との交易をさらに拡大すべきかと問うと、元就は頷いた。
「ただし、深く入り込みすぎるな。あの国は巨大な蟻地獄のようなものだ。一度その構造に組み込まれれば、毛利の船も上杉の維持装置の一部にされてしまう」
戦わずに勝つのではない。戦う必要のない信頼の連鎖を構築していく越後の手法は、毛利の老将にとっても、未知の不気味さを孕んだ国家運用に見えていた。




