第230話「信長の算盤」
尾張の雪は、越後ほど長く留まらない。
熱田の港を見下ろす城の一室で、織田信長は家臣が差し出した帳面を弾いていた。楽市を開いて三ヶ月が経過していた。
「集まった商人の数は」
「旧来の座に属さぬ者が三十人以上、京や堺からの旅の者も混じっております」
家臣の報告に、信長は不敵に笑った。
「旧来の寺社や公家が文句を言ってきているだろう」
「はっ……神罰が下ると、使者が参りました」
信長はそれを一蹴した。
「神罰などではない。奴らの懐が痛むだけの話だ、放っておけ」
それよりも、市で上がる税をすべて鉄砲の買い付けに回すよう命じた。一人から多く取るなと言ったのは、そのためである。集まった銭を一点に集中し、最大の破壊力に変える。それが信長の狙いだった。
尾張の構造は、越後のそれと対極にあった。
越後が民の生活を維持し、内を固めるための循環構造であるならば、尾張は周囲を圧倒する圧力を生成し、外を破壊するための集中構造であった。
「越後の十三歳は、まだ雪に埋もれているか」
信長はふと北の空を見上げた。
「冬眠が長すぎると、春の嵐に巻き込まれるぞ」
呟きは、誰に宛てたものでもなかった。尾張の城下では、新参の商人たちが活発に動き回り、銭の音が絶え間なく響いていた。信長が上から強制的にこじ開けた市場は、旧来の秩序を内側から猛烈な勢いで侵食し始めていた。その循環は、領民の安寧ではなく、ただ純粋な軍事圧力の増大へと直結していく。世界はまだ静かであったが、尾張の心臓部はすでに激しく拍動していた。




