第104話 火の前
夜。
山村。
囲炉裏。
火が、小さく鳴っていた。
薪の匂い。
味噌の湯気。
薄い粥。
木椀。
去年より少しだけ多い飯。
それだけで。
空気は少し違った。
子どもが眠そうに欠伸をする。
女が鍋を混ぜる。
老人が火を見る。
若い男が戻ってきた。
肩に泥。
足袋は濡れ。
手は赤く冷えている。
今日も橋場だった。
女が椀を差し出す。
男は小さく息を吐く。
湯気が顔へ当たった。
「……生き返る」
誰かが少し笑う。
去年なら。
笑えなかった。
寒さ。
腹。
病。
近かった。
静かに。
少しずつ。
死が近かった。
火の前で。
誰も口にしないまま。
皆、知っていた。
老人が男を見る。
「橋、どうだ」
男は椀を持ちながら言う。
「もう少しだ」
「春前に届く」
短い言葉。
だが。
囲炉裏の空気が少しだけ緩んだ。
女が火へ薪を入れる。
ぱちり。
火花。
老人が長く息を吐く。
「……今年は、生きれるかもしれんな」
誰も、すぐ返さない。
重い言葉だった。
戦国では。
生きる、が重い。
外では風。
寒さはまだ残る。
それでも。
火の前だけは暖かい。
遠い城。
見たこともない武将。
何をしているかも分からぬ。
だが。
今日。
橋場で泥を踏み。
帳面を見ている誰かがいる。
そんな気がしていた。
火が揺れる。
湯気が揺れる。
春はまだ遠い。
それでも。
去年より少しだけ近かった。
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