# 第6話 空の話を、された(しんみりすな)
その日は、よく晴れていた。
洗濯物を干そうとベランダへ向かったら、古竜さんが、畳のへりに座っていた。最近、押入れから出ていることが、増えた。べつに理由は聞いていない。出たいから出ているのだろう、と思っている。
古竜さんは、空を見ていた。雲ひとつない、青い空だった。
「いい天気ですね」
声をかけたら、古竜さんは、空を見たまま、ぽつりと言った。
「昔は、あそこにいた」
「空に、ですか」
「うむ。あの高みに、巣を構えていた。雲を踏み、風を枕にして、眠っていた。下界のことなど、何ひとつ、知らずに」
古竜さんの声は、いつもより、すこしだけ低かった。尻尾の先が、ゆっくりと、畳の上を一往復した。
わたしは、洗濯ばさみを持ったまま、続きを待った。けれど、続きは、なかった。古竜さんは、それきり黙って、また空を見ていた。
「帰りたいんですか」
聞いてから、しまった、と思った。古竜さんは、よく知らないが、ねぐらを失ったのだ。聞かないほうがよかったかもしれない。でも、古竜さんは、あっさりと首を振った。
「いや、なんですね」
「あそこは、寒い。それに、ひとりだった」
それだけ言って、古竜さんは、ふあ、と、あくびをした。空の話は、それで終わりらしい。寒くて、ひとりだった場所。三千年ぶんの思い出が、たぶん、そこにあったのだろうけれど、古竜さんは、それを、あくびひとつで畳んでしまった。
わたしも、それ以上は、聞かなかった。聞いたところで、「言うほどのことでもない」と返ってくる気が、した。
「お茶、いれますね」
「うむ」
わたしは、麦茶を二つ、コップに注いだ。ひとつは古竜さんの、ひとつはわたしの。最近は、ちゃんと分けている。古竜さんは、畳に座ったまま、両手でコップを受け取った。小さい手で、大事そうに持った。
「冷たくて、うまい」
「でしょう」
「空に、こういうものは、なかった」
「雨雲、あるじゃないですか、空には」
「空には、麦茶がない」
雨雲は麦茶の味だと、このまえ言ってた気がするけど、麦茶は別らしい。
「ほかに、何が、なかったんですか」
聞いたら、古竜さんは、すこし、考えた。指を、一本ずつ、折る仕草をした。
「畳が、なかった。こたつも、まだ、知らぬ。あと、貴様が、いなかった」
「わたし、ですか」
「うむ。空には、貴様が、いなかった」
さらりと、本人は、麦茶の感想と、同じ温度で言ってきた。それは、わりと、重大なことのような気がした。雲を踏んで、風を枕にできても、麦茶がないのなら、まあ、押入れのほうがいいのかもしれない。少なくとも、古竜さんは、いま、麦茶を飲んでいる。
二人で、しばらく、麦茶を飲んだ。窓の外は、相変わらず、よく晴れていて、雲が流れていた。古竜さんは、もう、空を見ていなくて、コップの底に残った、最後の一口を、名残惜しそうに見ていた。
「おかわり、あるよ」
「もらおう」
空の話は、もう、出なかった。
わたしは、洗濯物を干すのを、すっかり忘れていた。
まあ、いい。明日も、晴れるらしいから。




