二十万の絶望と光の断罪
王都ローゼンヘイムの最天辺に位置する白薔薇館の尖塔。
吹き荒れる強風が、マリー・アントワネットの絢爛豪華なドレスの裾と美しい金髪を激しく揺らしていた。眼下に広がるのは、もはや悲鳴すら途絶え、絶望に破滅を待つだけの王都の街並み。そして外郭防壁の向こう側には、大地を黒く塗りつぶす二十万の魔王軍本隊が地鳴りを立てて迫り来ていた。
「ハハハハ! 愚かな人間どもめ! 我ら魔王軍の総力を前にして、怯えて伏せよ!」
「城壁を撃ち砕け! 一人残らず喰らい尽くし、王都を血の海に変えてやるのだ!」
先頭に立つのは、山のように巨大な体躯を誇る巨獣族、空を埋め尽くす翼竜の群れ、そして漆黒の鎧に身を包んだ数多の魔族兵たち。二十万の欲望と破壊衝動、そして人間という弱者を蹂躙せんとする凄絶な殺意が、黒い影となって王都全体を覆い尽くさんとしていた。
あまりの圧迫感に、王都に残された兵士たちも、逃げ惑う民衆も、ただ死を覚悟して地面に伏せることしかできない。
だが――ただ一人、尖塔の最上階に佇む王妃だけは違っていた。
マリーは優雅に折りたたみ扇を開き、氷点下すら下回る絶対的な冷酷さを湛えた瞳で、二十万の黒い波を見下ろしていた。
(……ふふ。凄まじい悪意ですわね)
マリーの脳内で、固有権能『断頭台の威厳』が静かに覚醒していく。
彼女の魂に直接流れ込んでくるのは、二十万の怪物たちが放つ生々しい害意の波動。普通であればその精神的圧迫だけで狂気に呑み込まれるほどの質量。
しかし、かつて数万の民衆の憎悪と悪意の渦の中で命を奪われた悲劇の王妃にとって、この悪意は恐怖などではなかった。
『敵の数』が増えれば増えるほど、敵の抱く狂気が膨れ上がるほど――その威力が乗数的に跳ね上がる、絶対的な対・軍勢特化の能力。
(私をまた大勢で囲み、力で押し潰せると思っているのかしら? ……愚かな怪物たち。私を誰だと思っていますの?)
二十万の殺意という最高の燃料を注ぎ込まれ、マリーの内に眠る権能が限界を超えて溢れ出す。
「見上げてお聞きなさい、品性を欠いた暴徒たち」
静かな呟き。しかしその声は、広大な戦場全体へ、そして二十万の魔王軍兵士すべての脳内へ、神の宣託のごとく直接響き渡った。
「な……なんだ!? 頭の中に女の声が――」
「上を見ろ! 尖塔のてっぺんに、女が立っているぞ!?」
先頭の魔導将校たちが驚愕して目を剥く。
マリーはどこまでも優雅に、美しく扇を掲げてみせた。
「不躾に人の庭へ足を踏み入れ、私のお茶会を邪魔しようとするその罪……万死に値しますわ。パンがないなら――ギロチンで散らせばいいじゃない」
マリーがパチンと扇を閉じた。
その瞬間、世界から一切の音が消失した。
――ガァァァァァンッ!!!
天が割れた。
王都の上空、暗雲を激しく突き破り、降り注いだのは――太陽すら眩ませるほど眩い、巨大な黄金と白銀の光柱。
一つや二つではない。二十万の軍勢を丸ごと包み込むほどの超巨大な光の断頭台が、空一面を埋め尽くすように展開されたのだ。その高さは天に届き、フレームの放つ神聖なまでの圧迫感は、空間そのものをミシミシと歪ませていく。
「ひ……ひいいいっ!? なんだこれは、空が……天空がギロチンになっている!?」
「逃げろ! 逃げろおぉぉっ!」
二十万の魔王軍本隊が一瞬にして大パニックに陥る。しかし、逃げ場など最初から存在しない。
マリーに向けられた害意をトリガーとして生成された『不可視の断頭刃』は、二十万の怪物すべての首元に、寸分の狂いもなく、すでに配置されていたのだから。
「散りなさい」
マリーの指先が、スッと下へと振り下ろされた。
――ドスッ!!!!!
物理的な衝撃音ではない。概念そのものが世界を切り裂く、絶対的な切断音。
二十万の魔王軍の首が、寸分の狂いもなく、同時に胴体から滑り落ちた。
叫び声すら許されなかった。巨獣も、空を飛ぶ翼竜も、強力な結界を張っていた魔導将校も、漆黒の鎧を纏った魔族兵たちも――そのすべての首が、一瞬にして胴体から離断された。
血飛沫が上がる間すら与えられない。空間ごと切り裂かれた切断面から、二十万の死骸がそのまま沈黙し、ドミノ倒しのように崩れ去っていく。
たった一秒。
いや、呼吸をする僅かな一瞬。
王都を埋め尽くそうとしていた二十万の大軍勢は、誰一人として原形を留めぬ肉塊と化し、大地を濡らす赤黒い海へと変わり果てていた。
後に残されたのは、不気味なほどの静寂と、吹き抜ける乾いた風だけ。
「あ……あ……」
尖塔の下で息をひそめていたアルフレッドたち騎士団、そして城壁から恐る恐る外を覗き込んでいた王都の兵士や民衆は、ただ茫然と目の前の光景を見つめていた。
二十万の魔王軍が、跡形もなく消滅した。
たった一人の貴婦人が、扇をひと振りしただけで。
「か……神よ……」
「救国の……いや、真の絶対者様だ……!」
一人、また一人と、民衆も兵士も、さらには逃亡を図ろうとしていた貴族たちまでもが石畳の上に膝をつき、尖塔の上に立つマリーへ向けて平伏していく。畏怖と崇拝、そして言葉にならぬ感謝の念が、王都全体を包み込んでいく。
尖塔の上。
マリーは遠く赤く染まった地平線を冷ややかに見つめ、呆れたように息を吐いた。
「ふう……少しばかり、数が多いだけの方々でしたわね」
彼女の青と白のドレスには、返り血一滴すら付着していない。
マリーは優雅に扇をパタリと振って風を起こし、そっと自らの胸元に手を当てた。
(これで、少しは静かにお茶を楽しめるようになると良いのですけれど……)
圧倒的な威厳と不可視の刃をもって二十万の絶望を粉砕した悲劇の王妃。彼女の真の恐ろしさと神聖なる威光は、いまや異世界全体へと轟き渡ろうとしていた。




