魔王の困惑と『絶対無効』の策略
二十万の魔王軍本隊が一瞬にして全滅したという報は、大陸全土を揺るがす戦慄となって駆け巡った。
人間たちの間では『救国の聖王妃』としてマリー・アントワネットへの狂信的な崇拝が爆発的に広がる一方、大陸の北端、常闇の雲に覆われた『魔王城』の謁見の間には、過去一度もなかった重苦しい沈黙と混迷が立ち込めていた。
「……二十万が、一瞬で全滅しただと?」
漆黒の玉座に深く腰掛けた魔王――バアルは、報告に訪れた参謀の魔族を見下ろし、黄金の瞳を怪しく光らせた。
「ハ、はい……! 映像宝珠の記録によれば、人間側の王都の尖塔に現れたドレス姿の女が、扇を一振りした瞬間……上空に現れた巨大な光のギロチンと不可視の空間切断により、先鋒から後陣に至るまで、全軍の首が一瞬にして落ちました……!」
参謀の声は恐怖でガタガタと震えていた。魔王軍の総力の大部分が、抵抗すら許されずに消滅したのだ。
「空間ごと切り裂く概念切断……それも対象の数に比例して威力が跳ね上がるだと? クク、面白い。これほどの力を持つ人間が異世界から降臨したとはな」
バアルは冷笑を浮かべたが、その瞳の奥には冷静な分析の色が宿っていた。
「だが、どんな絶大な権能にも必ず『理』が存在する。参謀、その女の攻撃が発動した瞬間の条件を詳細に解析したか?」
「はっ! 過去の要塞戦、暴徒の粛清、そして今回の決戦の記録を照合いたしました結果……一つの明確な法則が浮き彫りとなりました。あの女の攻撃は、『自らに向けられた明確な害意・殺意・攻撃意思』をトリガーとして感知し、それを跳ね返す形で空間切断を生成しております!」
「なるほど」
魔王バアルは膝を打ち、暗く歪んだ笑みを深めた。
「相手の『殺意』に反応して発動するカウンター型の権能か。数が増えれば増えるほど、敵の狂気が強まれば強まるほど、跳ね返る威力が増す……なるほど、軍勢で押し潰そうとすればするほどドツボにハマるわけだ」
「はい……! ですので、我らがどれほどの軍勢を差し向けようと、殺意を持って近づく限り、全滅は免れません!」
「ならば、話は単純だ」
魔王バアルはゆったりと立ち上がり、漆黒の外套を翻した。
「『殺意』も『害意』も持たぬ存在を差し向ければよい。心を持たぬ人形、感情を廃した機械、あるいは――自らが攻撃していることすら自覚していない無垢なる兵器をな」
バアルの手元に、怪しい紫色の魔導書が浮かび上がる。
「古代魔導兵器『無心の自動人形』。感情も、魂も、意思すら存在しない。ただプログラムされた命令に従い、物体を破壊するだけの傀儡。これならば、あの女の『悪意感知』の網を易々とすり抜けられる」
参謀の顔に歓喜の色が浮かぶ。
「おお……! さすがは魔王様! 敵の能力の『理』を完璧に見抜き、無効化されるとは!」
「ククク……マリー・アントワネットと言ったか。その誇り高き首、無心の傀儡に刎ねさせてくれるわ」
魔王城の地下深く、眠っていた数千体の無機質な魔導兵器群が、静かにその紅い眼光を点灯させたのだった。
一方、王都ローゼンヘイム――離宮『白薔薇館』。
二十万の大軍を散らしたマリー・アントワネットは、王都中の人々から『神の化身』として崇め奉られていたが、本人は至って退屈そうに庭園の東屋で紅茶を嗜んでいた。
「……ふう。王都の菓子職人も、少しずつ私の好みを理解してきましたわね。このミルフィーユ、サクサクとしたパイ生地の層とカスタードの甘みが絶妙ですわ」
マリーは優雅にフォークを動かし、繊細な一口を味わう。
その傍らには、すっかりマリーの側近として定着したアルフレッドが、常に周囲を警戒しながら立っていた。
「マリー様、魔王軍本隊を滅ぼしてからというもの、周辺の魔物たちも完全に鳴りを潜めております。もはやこの大陸に、マリー様に立ち向かおうとする者など存在いたしません」
「そうだと良いのですけれど……」
マリーはそっと磁器のカップを置き、空を見上げた。
自らの権能『断頭台の威厳』。
その感知領域は相変わらず王都全体を網羅しており、人間たちの崇拝や畏怖の念、あるいは遠くの微かな感情の動きを捉え続けていた。
だが――マリーの胸中に、僅かな「違和感」が芽生えていた。
(不快な殺意や悪意がピタリと止んだ……。あの魔王という者、ただの野蛮な怪物ではないようですわね。私の能力の発動条件が『敵意の感知』にあることくらい、勘の鋭い者なら行き着く答え……)
マリーは扇を開き、口元を隠して微笑んだ。
(もしも……私に何の感情も向けずに襲いかかってくる『無機質な刃』が現れたとしたら……? ふふ、試してみるのも一興ですわね)
その時であった。
王都の北側の空から、一切の気配や咆哮、殺意の波動を伴わない「奇妙な影」が、音もなく降下してきた。
「な……なんだあれは!?」
見張りの近衛兵が叫ぶ。
現れたのは、全身が硬質の漆黒金属で覆われた、不気味な人型の魔導兵器群。その数、およそ三千。彼らには息遣いも、心音も、命の鼓動すら存在しない。ただ機械的な駆動音だけを響かせ、王都の防壁を易々と飛び越えて離宮へと一直線に飛来してくる。
アルフレッドが剣を抜き、青ざめた。
「殺気がない……!? 魔物特有の邪気も、殺意も一切感じられん! 一体なんなのだ、あの不気味な人形どもは!?」
「……やはり来ましたわね」
マリーは優雅に立ち上がり、飛来する自動人形たちの群れを見上げた。
彼女の脳内の『感知領域』は、何ひとつとして警告を発していなかった。目の前で三千の金属巨兵が腕を大剣に変形させ、自らに向かって振り下ろそうとしているにもかかわらず――そこには『悪意』も『殺意』も存在しないからだ。
ただの物理法則に従って落ちてくる巨石と同じ。感情なきプログラムによる機械攻撃。
『断頭台の威厳』の自動迎撃レーダーが、完全に沈黙していた。
「マリー様! お引き散りを! 能力が反応していない!」
アルフレッドが叫び、マリーの前に飛び出そうとする。
だが、マリー・アントワネットは、一歩も引かなかった。顔色ひとつ変えず、迫り来る三千の無機質な刃を前にして、どこまでも冷ややかに、美しく微笑んだのだ。
「私に向けられた殺意を感知して断ち切る……それが私の能力の『理』。ですが魔王様……貴方はひとつ、大きな勘違いをしていますわ」
三千の自動人形の大剣が、マリーの首元へ迫る――数十センチの距離。
マリーは優雅に扇をパチンと閉じた。
「『殺意がないなら、攻撃ではない』とでも思いましたの? 私を害しようとする現象そのものが、私にとっての非礼であり、敵意なのですわ」
マリーの瞳に、絶対的な王妃の威厳が宿る。
自動迎撃が働かないならば――自らの意志と理屈で、強制的に『概念』を適用させればよいだけの話。
「認識完了。……感情なき人形たちよ、礼節を学んでから出直してきなさい」
――ズババババババッ!!!
空中に一瞬にして現れた三千の光の断頭刃が、殺意の有無に関わらず、マリーの『絶対的な意思』によって強制的に振り下ろされた。
「ゴガッ……!?」
三千の魔導兵器が一瞬にして首元から真っ二つに切断され、機能停止の火花を散らしながら、一斉に地上へと撃ち落とされていく。
能力の仕様を逆手に取ろうとした魔王の深謀遠慮は、マリー・アントワネットという存在の『絶対的な尊厳』の前に、脆くも崩れ去った。
砕け散る金属の屑が舞い散る中、マリーは返り血ひとつないドレスを優雅に揺らし、扇で軽く風を起こした。
「さあ……そろそろ、私のお茶会を邪魔し続ける不躾な魔王様のもとへ、直接お邪魔して差し上げましょうか」




