断罪の進軍と偽りの平穏
三千の無心なる魔導兵器群が、王妃の足元で砕けた鉄屑と化してから三日。
王都ローゼンヘイムの空気は、これまでとは完全に異なる「畏怖の絶頂」に達していた。
「魔王の策すら通用しなかった……」
「殺意を抱けば首が飛び、無心で襲いかかっても細切れにされる……」
「あのお方は……神の化身か、あるいはこの世のすべての理を断ち切る絶対者だ……」
国王ヴィルヘルム三世をはじめとする貴族たちは、自らの無力さを痛感し、もはや陰謀を巡らせる気力すら喪失していた。マリー・アントワネットが足を踏み鳴らせば、王都中の人々が息を呑み、彼女が扇を開けば、死を覚悟して地面に平伏する。
だが、当のマリー自身は、そのような世俗の熱狂や平伏など、心底どうでもよかった。
「……ふう。アルフレッド、今日の紅茶は少し渋みが強くありませんかしら?」
白薔薇館の庭園。陽光が差し込む東屋で、マリーは細い指先で白磁のカップを傾けていた。
「申し訳ございません、マリー様! 直ちに給仕を注ぎ直させます!」
「構いませんわ。……ただ、少し落ち着かないだけですの」
マリーはそっとカップを置き、開いた扇で口元を隠しながら、はるか北の空を見つめた。
固有権能『断頭台の威厳』。
その圧倒的な権能を完全に掌握したマリーの魂には、いまや世界そのものの微小な歪みや、遠方に渦巻く膨大な悪意の波動が、まるで湖面に落ちた波紋のように鮮明に伝わっていた。
北の最果て――『魔王城』。
そこに鎮座する魔王バアル。そして、生き残った魔王軍の残党たちが放つ、焦躁と絶望、そして「何としてもあの女を消し去らねばならぬ」という狂執的な不快な殺意。
(私をまた大勢で囲み、策を巡らせて排除しようとする……。どこへ行っても、人間も怪物も同じことですわね)
マリーの胸に湧き上がるのは、激怒ではない。冷ややかな呆れと、自らの優雅なお茶会を妨害され続けることへの静かなる拒絶。
「アルフレッド」
「はっ! ここに!」
「馬車の手配をしなさい。私自ら、魔王城とやらへ赴きますわ」
「え……っ!?」
アルフレッドは思わず声を裏返した。
「ま、マリー様!? 魔王城へ……直接乗り込まれるとおっしゃるのですか!?」
「ええ。向こうから不躾な刺客や人形を送り込まれるたびに、美味しい紅茶が冷めてしまいますもの。それなら、私から出向いて、元凶の首を綺麗に生け花のように撥ね飛ばして差し上げた方が手っ取り早いですわ」
マリーは立ち上がり、ドレスの裾をふわりと翻した。
その一言には、まるで「隣町のカフェへ新しいケーキを食べに行く」かのような軽やかさと、逆らう者を一瞬で塵に変える圧倒的な威厳が同居していた。
「し、しかし! 王都の防衛や、国王陛下へのご報告は……」
「放っておきなさい。あの者たちに私の行動を制限する権利などありませんわ。……私に従うのは、貴方たち第三騎士団だけで十分です」
「――っ! 御意にございます! このアルフレッド、命に代えましてもマリー様の御供を果たします!」
アルフレッドは感涙にむせびながら膝をついた。
こうして、悲劇の王妃マリー・アントワネットによる、魔王城への『直接断罪の行軍』が決定したのだった。
翌朝。
王都を出発するマリーの馬車は、もはや遠征軍というよりは、一国の覇者が行幸するかのような神聖な雰囲気を纏っていた。
率いるのは、命を救われ、いまやマリーを狂信的に崇拝するアルフレッド以下、第三騎士団の精鋭百名のみ。対する相手は、未だ北の大地に蠢く数十万の魔物と、魔王城。普通であれば狂気の沙汰と言える戦力差であった。
だが、王都の住民の中に、マリーの敗北を危ぶむ者など誰一人としていなかった。
「マリー様……どうか我らに平和をお与えください!」
「絶対者様万歳! 救国の王妃様万歳!」
ひれ伏し、祈りを捧げる民衆の群れ。
マリーは馬車の窓からその光景を冷ややかに眺め、小さく息を吐いた。
(崇め奉り、熱狂する人々……。かつて私を『赤字夫人』と呼んで罵倒し、掌を返して煽動されたパリの民衆と、根底では何も変わらない。……私を崇めるのは勝手ですが、一歩でも私に牙をむけば、その首が飛ぶだけですわ)
馬車は王都の防壁を抜け、魔王軍の領域である『黒き死の荒野』へと踏み込んでいく。
かつて数々の英雄や騎士団を呑み込み、死の山を築いてきた魔の領域。空は漆黒の暗雲に覆われ、地表からは有毒な魔気が立ち昇っている。
だが、マリーの乗る馬車が通過するだけで、その凄惨な環境すら変貌を遂げた。
マリーが発する絶対的な『威厳』の領域――それは、周囲の毒気や不快な魔気すらも「非礼な害意」として認識し、空間ごと切り裂いて消去してしまうのだ。
馬車の周囲だけが、まるでヴェルサイユの宮殿のように清涼な空気に満たされ、光が差し込む聖域と化していた。
「す、凄まじい……。魔気すらもマリー様の前にひれ伏している……!」
護衛の騎士たちが舌を巻く。
だが、荒野を進むにつれ、地平線の向こうから不気味な地鳴りが聞こえ始めた。
魔王軍の防衛線。
魔王バアルが、マリーの接近を察知し、残存する全戦力をかき集めて築いた最終絶対防衛陣形であった。
現れたのは、巨大な砦のようにそびえ立つ数千の岩石巨人、空を黒く染め上げる百頭以上の最古のドラゴン(古竜)、そして無数の魔導障壁を展開する数万の魔術師軍団。
「来ただと……!? たった一両の馬車で、この魔王軍の最終防衛線を突破する気か!?」
「ひるむな! 全軍、最大威力の複合極大魔術を叩き込め! 害意も殺意も関係ない、この空間ごとあの女を蒸発させるのだ!」
魔導師たちの怒号とともに、空が赤と黒の破壊光線で染まる。
古竜たちが吐き出す絶対零度のブレス、岩石巨人たちが投げつける山のような巨岩、そして空間を歪める極大攻撃魔術の嵐。それらが一斉に、マリーの馬車へと降り注いだ。
大地が爆砕し、空間が引き裂かれ、あらゆる物質を原子レベルで消滅させる破壊の濁流。
「マリー様――っ!?」
アルフレッドが悲鳴を上げた。
だが。
馬車の扉が、すんなりと開いた。
純白と青のドレスを身に纏い、一糸乱れぬ姿で降り立ったマリー・アントワネット。
彼女は押し寄せる破壊の濁流を前にして、退屈そうに扇をパチンと開いた。
「あら……ずいぶんと騒々しいお出迎えですのね」
マリーの瞳が、氷点下の威厳を放つ。
押し寄せる魔術の嵐、極大のブレス、巨大な質量――そのすべては、マリーに危害を加えようとする「明白な攻撃現象」。
『断頭台の威厳』が、全開で駆動する。
「私のお召し物を汚そうとするその無礼……万死に値しますわ」
マリーが扇を軽く一振りした。
――ズババババババッ!!!!!
空間そのものが、縦横無尽に裁断された。
降り注いでいた極大魔術の光線も、古竜のブレスも、投擲された巨岩すらも――マリーの数メートル手前で、まるで目に見えない豆腐のように数千の立方体にサイコロ状に切り刻まれ、そのまま虚無の空間へと消滅した。
物理攻撃も、概念魔術も、一切関係ない。
マリーに危害を加えようとしたすべての現象が、その「発生源」ごと切断される。
「な……なに……っ!?」
魔術師軍団が絶句した瞬間。
空中に現れたのは、古竜や岩石巨人、数万の魔物たちの頭上に配置された、数十万の光の断頭刃。
「逃げ場など……最初から与えておりませんわ」
マリーが冷ややかに指先を振り下ろす。
ドスッ!!!!!
一瞬。
天空を舞っていた百頭の古竜が、首を失ってボトボトと大地へ撃墜された。数千の岩石巨人が、首元から綺麗に両断されて崩れ去った。数万の魔術師たちが、叫び声を上げる暇もなく首を散らした。
たった一秒。
魔王軍が誇る最終絶対防衛線は、返り血一滴すら散ることなく、完全なる静寂へと変貌した。
地平線の果てまで広がる、首を失った死骸の山。
その惨劇の中心で、マリーは扇で軽く風を起こし、優雅に微笑んだ。
「さあ、行きましょうか。……お茶が冷める前に、魔王城へ」
悲劇の王妃による絶対の断罪。その歩みは、いかなる存在も止めることができぬまま、魔王の待つ最果ての城へと迫っていくのであった。




