魔王城の謁見と最後の断罪
最終絶対防衛線が一瞬にして沈黙し、数多の魔物や古竜の死骸が大地を埋め尽くした『黒き死の荒野』。
その惨劇の真っ只中を、マリー・アントワネットの乗る馬車は何の障害もなく進んでいった。車輪が泥を跳ね上げる音すらなく、ただ静寂と洗練された空気だけが、彼女の歩む道に広がっていく。
やがて馬車は、天空を突く漆黒の尖塔――『魔王城』の回廊へと到達した。
「マ、マリー様……ここが魔王城の正面玄関にございます」
アルフレッドが声の震えを抑えきれずに扉を開ける。
マリーは優雅に馬車から降り立つと、純白と青のドレスの裾を軽く整え、扇で口元を覆った。
「あら、ずいぶんと悪趣味で暗いお城ですこと。お庭の手入れもされていませんし、何より日当たりが悪すぎますわね」
彼女が足を踏み入れた瞬間、魔王城の巨大な黒銀の門が、重重しい音を立てて観音開きに弾け飛んだ。
そこには、漆黒の絨毯が一直線に伸び、その最奥の玉座に深く腰掛ける一人の存在がいた。
魔王バアル。
身の丈を優に越える巨躯、漆黒の甲冑、そして頭部から生えた禍々しい二本の角。その瞳は黄金色にギラギラと輝き、周囲の空間そのものを圧迫する圧倒的な魔力を放っていた。
だが、マリーは眉ひとつ動かさず、まるでヴェルサイユ宮殿の鏡の間を歩くかのように、静かに漆黒の絨毯の上を歩み進めていく。
「くくく……よくぞここまでたどり着いたな、異世界の王妃マリー・アントワネット」
魔王バアルの声が、城全体を揺らす重低音となって響き渡る。
「二十万の本隊を全滅させ、三千の無心なる傀儡を粉砕し、我が最終防衛線すら瞬時に切り刻んだその権能……見事と言わざるを得んな。貴様こそ、この世のあらゆる理を超越した絶対者だ」
マリーは玉座の十歩手前で足を止めた。扇をパチンと閉じ、冷ややかな瞳で魔王を見上げる。
「御高説は結構ですわ、魔王様。私がここへ参りましたのは、貴方の讃辞を聞くためではありませんの」
「ほう? ならば何のために我が城へ足を踏み入れ入れた?」
「決まっていますでしょう。……不躾な刺客や人形を送り込み、私の優雅なお茶会を何度も邪魔した無礼を清算させるためですわ」
マリーの言葉には、激怒も憎悪もなかった。ただ「不快なゴミを掃除する」という、あまりにも当然の理不尽なまでの威厳。
魔王バアルは一瞬あっけにとられたが、やがて腹の底から狂ったような爆笑を響かせた。
「ハハハハハ! お茶会だと!? この我を……魔王軍の頂点たるバアルを、お茶会の邪魔者として片付けに来ただと!?」
バアルが玉座から立ち上がった。その瞬間、城内に狂風が吹き荒れ、数十重の古代魔導結界が重なり合って彼を包み込む。
「面白い! ならば見せてみよ! 害意を感知して首を刎ねるその『断頭台』の威厳を! だがな、マリー・アントワネット……我はすでに貴様の能力のすべてを理解している!」
バアルの手元に、漆黒の大剣が形成された。
「我が放つのは『攻撃』ではない! この魔王城の空間そのものを崩壊させ、次元の歪みへと貴様を呑み込ませる『事象の消滅』! 貴様への害意ではなく、世界の理を書き換える改変術式だ! これならば貴様のカウンターは発動せん!」
魔王バアルの身体から、世界を砕くほどの膨大なエネルギーが溢れ出す。魔王城の天井が剥がれ落ち、空が紫色の亀裂で覆われていく。
絶対的な絶滅の力。
だが、マリー・アントワネットは、ただ静かに微笑んだ。
「次元の崩壊……理の書き換え……。まあ、ずいぶんと難しい言葉をお使いになりますのね。ですが魔王様……」
マリーの手が、そっと胸元に当てられる。
「貴方が何をしようと、私のお茶の時間を害しようとするその『不躾な存在』そのものが――私に対する最大の非礼なのですわ」
マリーの固有権能『断頭台の威厳』。
その本質は、単なる「害意へのカウンター」ではない。
『王妃マリー・アントワネットの絶対的な尊厳を侵すあらゆる事象・意志・概念を、強制的に罪と定義して裁きを下す』という、絶対無敵の王権概念。
「認識完了。……散りなさい、不調法な怪物」
マリーが扇の先を、魔王バアルへと向けた。
「な――結界が、術式が……消えていく……!? 馬鹿な、我はまだ攻撃の意思すら――」
バアルの顔が恐怖に歪んだ。彼を護る数十重の古代結界が、次元を崩壊させるはずだった魔力術式が、マリーが扇を掲げただけで「無礼な雑音」として綺麗に消滅していく。
そして、バアルの首元に現れたのは――太陽のごとく眩い光を放つ、巨大な黄金の断頭刃。
「知るがいい……王妃の前にひれ伏さぬ罪を」
マリーの指先が、スッと下へ振られた。
――ドスッ!!!!!
言葉すら残せなかった。
魔王バアルの巨大な首が、寸分の狂いもなく胴体から滑り落ちた。
空間を物理的に切断された断面から、魔王の強大な生命力が急速に霧散していく。魔王城を支えていた禍々しい魔力が一瞬にして途絶え、崩壊の音が響き渡り始めた。
「マリー様! 城が崩れます!」
アルフレッドが叫ぶ。
だが、マリーは崩れ去る魔王城の瓦礫の中で、返り血ひとつついていないドレスをそっと揺らし、静かに振り向いた。
「慌てないでちょうだい、アルフレッド。崩れ落ちる瓦礫など、私に触れることすらできませんもの」
マリーが歩き出すと同時に、彼女の周囲十メートルの空間に降り注ぐ瓦礫や粉塵は、すべて不可視の刃によって細切れに刻まれ、塵となって消えていった。
魔王の死によって、数千年間大陸を脅かし続けた魔王軍は完全に潰滅した。
崩壊する魔王城を背景に、ただ一人優雅に歩みを進める悲劇の王妃。
その圧倒的な美しさと絶対の威厳は、もはや一国の王妃という枠組みを超え、この異世界における『絶対不可侵の神話』として、永久に刻み込まれることとなったのであった。
「さあ……帰りましょう。王都で、とびきり美味しい紅茶を淹れさせなければなりませんわ」
マリー・アントワネットの優雅なお茶会は、いまや誰一人として邪魔することのできない、永遠の平和とともに続いていく。




