王都への進軍と暴徒の街
フォルトナ要塞から王都ローゼンヘイムへと続く街道は、かつて大陸随一の貿易路として栄えた場所であった。しかし、魔王軍の侵攻と長引く戦争、そして王国の搾取によって、いまや荒廃の一途をたどっていた。
幾重もの鉄で補強された豪華な馬車の中。マリー・アントワネットは、フリルをあしらった座面の上に優雅に腰掛け、窓の外を流れる荒涼とした風景を眺めていた。
「マリー様、お寒くはございませんか? まもなく次の宿場町『ラグナ』に到着いたします」
馬車の脇を騎乗して並走する第三騎士団長・アルフレッドが、緊張を滲ませた声で声をかけてくる。
「ええ、問題ありませんわ、アルフレッド。それより……妙な気配がしますわね」
マリーは開いた扇をそっと口元に添え、細い目をさらに細めた。
彼女の内に秘められた固有権能『断頭台の威厳』。それは、マリー自身を中心とした半径数キロメートルにおよぶ広大な領域内で、自分に向けられるいかなる「明確な敵意・殺意・危害の意図」をも、恐ろしいほどの精度で完璧に捉え直すレーダーとしての側面も持っていた。
馬車が宿場町ラグナの大きな大門を潜り抜けた瞬間、マリーの脳裏に、数千、数万という「人間のドス黒い感情」が津波のように押し寄せてきた。
(……これは、魔王軍の怪物たちのものとは違いますわね。もっと粘着質で、歪んでいて、醜い……人間の悪意)
「止めろ! 止めろおぉぉっ!」
「王都の犬どもめ! 兵糧ばかり奪っていきながら、魔王軍から俺たちを守れなかったくせに!」
「そこの豪華な馬車に乗っているのは誰だ!? 貴族の女か! 引きずり下ろせ!」
突如として、街道の両脇から怒号が巻き起こった。
集まっていたのは、避難民と地元の貧困層で構成された、数千人にも及ぶ暴徒と化した民衆であった。手に手に鍬や竹槍、重い石ころ、時には火のついた松明を掲げ、目を血走らせて馬車へと群がってくる。
「ひっ……!? 暴民どもめ、退け! こちらにおわすお方をどなたと心得る!」
「陣形を組め! 馬車を守るのだ!」
護衛の騎士たちが一斉に剣を抜き、馬車を取り囲むように盾を構える。だが、飢えと絶望によって狂乱した民衆は、死をも恐れぬ勢いで押しかけてくる。
「殺せ! 貴族を殺して糧食を奪え!」
「俺たちがこんなに苦しんでいるのに、綺麗な服を着て馬車に乗るなど許されるか!」
飛来する無数の石。松明の火が馬車の屋根にかすり、黒煙を上げる。
その瞬間、マリーの心奥深くで、封印されていた凄惨な記憶の蓋が音を立てて弾け飛んだ。
――1793年、パリ。革命広場。
群がる無知な民衆。自分たちの生活の苦しさをすべて王妃ひとりの贅沢のせいに仕立て上げ、正義を振りかざして唾を吐きかけ、処刑台へと送り込んだあの熱狂と絶望。
「……ああ、そうですの」
マリーの呟きは、馬車の外の喧騒にかき消されるほど小さかった。しかし、彼女の周囲の空気は、絶対零度をも下回る冷気へと一変した。
「民衆(あなた方)は……どこへ行っても変わらないのですのね」
マリーの手が、ゆっくりと馬車の扉を開けた。
「マ、マリー様!? いけません、お引き散りを! 外は危険です!」
アルフレッドが叫ぶが、マリーはそれを一瞥すらすることなく、すんなりと馬車から降り立った。
血と泥に塗れた石畳。美しい金髪、一糸乱れぬ最高級の青と白のドレス。返り血ひとつない神聖なまでの美しさを誇る王妃の登場に、暴徒たちの罵声が一瞬だけ止まった。
「な、なんだあの女は……」
「貴族の女だ! 怯むな、囲め! 殺せ!」
再び巻き起こる殺意の波動。数千人の民衆から放たれる「多の暴力」の狂気が、一点に集中してマリーへと注がれる。
だが、今のマリーは、かつてパリで無抵抗のまま処刑台に登った儚き王妃ではない。
能力の全貌を完全に把握し、自らの意志で『断罪』を下す力を得た、絶対者。
(『敵の数』が増えれば増えるほど、狂気が膨れ上がるほど……私の『威厳』は果てなく高まる)
マリーは優雅に扇を開き、迫り来る数千の暴徒たちを見下ろした。その瞳には、恐怖も、同情も、哀れみすらも存在しない。ただ、圧倒的な「拒絶」だけが存在していた。
「お聞きなさい、品性を欠いた暴徒たち」
朗々と響き渡る、気品に満ちた声。その一言だけで、なぜか騒然としていた空間全体が凍りついたように静まり返る。
「私の前で暴力と無知を振りかざし、私を踏みにじろうとするその醜悪な意志……万死に値しますわ」
マリーがパチンと扇を閉じた。
「パンがないなら――ギロチンで散らせばいいじゃない」
能力の発動命令。
次の瞬間、空が割れた。
――ギィィィィィンッ!
言葉にならぬ高周波の空間破壊音が、ラグナの街全体に響き渡った。
上空数千メートル。雲を切り裂いて出現したのは、黄金と白銀の光で形成された、巨大な十数基の光の断頭台。そしてそれだけにとどまらず、マリーに明確な殺意を向けた数千の暴徒たちの首元に、寸分の狂いもなく「不可視の断頭刃」が配置された。
暴徒たちの威勢のいい顔が、一瞬にして絶望と恐怖に染まる。
「ひっ……! な、なんだこれは、首に冷たいものが――」
「助け――」
マリーの指先が、スッと下へと振られた。
ドスッ! ドスッ! ドスッ! ドスッ!
一瞬。いや、刹那。
数千の断頭刃が同時に振り下ろされた。
叫び声すら許されなかった。マリーへ石を投げようとした者、槍を向けた者、下品な罵声を浴びせた者――そのすべての人間の首が、寸分の狂いもなく胴体から滑り落ちた。
ポロポロと、石畳の上に転がる数千の首。
胴体が一斉に崩れ落ち、血の海が街道を埋め尽くす。だが、その血飛沫は、マリーを中心に展開された不可視の力場によって完全に遮断され、彼女の純白のドレスには一滴の汚れすら付着しない。
ほんの数秒前まで、狂乱する数千の人間で溢れていた街道は、一瞬にして見渡す限りの死体安置所へと変貌していた。
生き残ったのは――マリーに殺意を持たず、ただ恐怖で遠巻きに見ていた僅かな町民と、馬車を守っていた騎士たちだけであった。
静寂。風が血の臭いを運んでいく。
「ひ……ヒィィィィィッ!?」
「あ、悪魔……! 悪魔だぁぁぁっ!」
生き残った町民たちが、腰を抜かしながらガタガタと震え、逃げ惑う。
アルフレッドを含む第三騎士団の面々も、剣を構えたまま石化していた。あまりにも容赦のない、あまりにも圧倒的な殺戮。魔王軍相手ならともかく、同じ人間、それも数千の暴徒を一瞬で首切りによって全滅させたのだ。
マリーは、足元に転がってきた一つの首を、冷ややかに見下ろした。
(群がり、暴走し、正義を気取って他人を害する……。そのような愚か者たちに、私が情けをかけるとでも思いましたの?)
マリーは呆れたように息を吐き、扇で軽く風を起こした。
「アルフレッド」
「は、はいっ! マリー様!」
アルフレッドが弾かれたように直立不動の姿勢をとる。その全身は冷や汗でぐっしょりと濡れていた。
「街の清掃と、道の確保をお願いできますかしら? 血の匂いは、お茶の香りを台無しにしてしまいますの」
「は、直ちに! 直ちに処理させまする!」
マリーは再び馬車の中へと静かに乗り込んだ。
ドアが閉まる音。
豪華なシートに深く腰掛けたマリーは、優雅に脚を組み、自らの完璧な権能に満足の笑みを浮かべた。
(敵の数が増えれば増えるほど、私の刃は鋭く、広く、容赦なく落ちる。……王都で私を待ち受ける者たちが、どれほどの悪意を用意しているのか、少しだけ楽しみになってきましたわ)
暴徒の街を赤く染め上げた悲劇の王妃は、さらなる絶望と断罪を携えて、王都ローゼンヘイムへと向けて進軍を続けるのであった。




