王都からの招集令状
ベルトラムの骸が静かに消滅した応接室の中、ギルバート将軍は床に膝をついたまま、全身の震えを止めることができずにいた。
(一瞬……! 剣を抜く暇すらなく、王都の監察官が……!)
魔王軍の怪物だろうと、自国の傲慢な高官だろうと関係ない。この王妃の尊厳を害しようとする者は、例外なく、等しく空間ごと裁かれる。その冷徹なまでの『理』を、要塞の誰もが完全に理解した瞬間だった。
「……ギルバート将軍。床を汚してしまってごめんなさいね。掃除の手配をお願いできますかしら?」
「は、ははっ! 直ちに! ただちに処理させまする、マリー様!」
ギルバートは声の限り叫び、恐怖と畏怖の混ざり合った手つきで退室の指示を出した。
それから数日。
要塞の兵士たちのマリーに対する扱いは、もはや「命を救ってくれた恩人」の域を超えていた。彼女が廊下を歩けば、屈強な騎士たちが左右に分かれて一斉に最敬礼を捧げ、彼女がお茶を求めれば、要塞で最も上質な茶葉と焼き菓子が即座に献上される。
誰一人として、マリーに悪意や害意を向けようとする者はいない。その結果として、要塞は不気味なほど平和で、静寂に満ちた平穏が保たれていた。
(ふふ……至福のひとときですわ。誰にも邪魔されず、静かに温かい紅茶をいただける……ヴェルサイユの離宮にいた頃のようです)
マリーが優雅に扇を揺らし、庭園を模して整えられた中庭を眺めていたその時、アルフレッドが青ざめた顔で駆け込んできた。
「マリー様! 大変なことが……! 王都より、国王陛下の直筆による『緊急招集状』が届きました!」
「王都……? 国王……?」
マリーは面倒そうに眉をひそめた。
「内容はどのようなものですの?」
アルフレッドは手に持った皮の筒から羊皮紙を取り出し、苦渋の表情で読み上げた。
「『砦において魔王軍を撃退せし者、その異能の力を認め、王都にて謁見を賜る。遅滞なく出頭せよ』……そして、もし命令に従わぬ場合は、この要塞への物資補給を全て停止すると書かれております……!」
つまりは脅迫だった。
ローゼンベルク王国の王権を背景に、マリーの持つ圧倒的な力を自国の兵器として利用しようという、薄汚い政治的な思惑。
マリーの脳裏に、かつてフランス王室を政治の道具として利用し、都合が悪くなれば掌を返した貴族や議員たちの醜悪な顔が浮かび上がる。
「……私を、また都合の良い道具として扱おうというのですのね?」
静かな声。だが、その背後に渦巻く冷気は、部屋全体の温度を急激に下げていった。
「マリー様、お怒りはごもっともです! 我ら第三騎士団は、たとえ国を敵に回そうともマリー様をお守りいたします!」
アルフレッドが力強く剣を抜こうとするが、マリーはそっと扇を差し出してそれを制した。
「いいのです、アルフレッド。貴方たちが背く必要はありませんわ」
マリーは優雅に立ち上がり、美しいドレスの裾を整えた。
「私を呼びつけ、力で屈服させようというのなら……行って差し上げましょう。王都とやらへ」
その瞳に宿るのは、絶対的な拒絶と、静かなる断罪の光。
「政治の道具にしようとする下品な野心家たちに、真の『王権』というものが何であるか……教えて差し上げる良い機会かもしれませんわ」
悲劇の王妃は、新たな『悪意』が渦巻く王都へと向けて、優雅に歩みを進めるのだった。




