傍にいてくれるから――。
灰色の世界は、幾千もの黒い腕に覆い尽くされた。
ヌルの身体から生える不規則で歪な腕。
掌には悪夢のような禍々しい黒い五線譜が溜められており、その掌は皆一様にアリアへと向けられていた。
そんな絶望色のスポットライトを一斉に浴びながら、アリアはその場に立ち尽くす。
怖くて足が震える。
手に力が入らなくなる。
意識が段々と遠のいていく感覚に陥る。
「…………ふぅ」
そんな中、アリアは自分を落ち着かせるために深く長い溜息を一つ吐いた。
自身の震える手をゆっくりと動かし指揮棒を額に添える。
そして、静かに瞼のカーテンを降ろした。
瞳を閉じたアリアの視界は真っ暗である。
何も見えない、ハ短調のように暗い、ひとりぼっちの孤独の世界。
――それでも、聴こえてくる音がある。
エルハーモニアの日常が。
幼い頃の思い出のメロディーが。
オルガン塔から聴こえてきたあの旋律が。
組曲のように編成されアリアの身体の中で奏でられていた。
アリアの力になれるように。
アリアを勇気づけられるように。
――アリアの傍にずっと一緒にいるよと、優しく語り掛けているように。
「…………うん、ありがとっ」
ゆっくりと瞳を開けたアリアは、姿は見えずとも確かに傍に居る音楽に向けてそう言った。
アリアの顔には希望も絶望も浮かんでいない。
ただ、大好きな音楽にお礼を言う、健気で素直な女の子の微笑みであった――。
そして――。
「はぁあああああああ!!!!」
目の前の巨大な運命に向かって、アリアは走り出した。
一歩一歩、段々強く。
己が運命を変えるために――。
「――ギィイイイイイイイイイイイイ!!!!!!」
覚悟を決めたアリアに向けて、ヌルが大絶叫を上げる。
そして、幾千もの禍々しい掌から、一斉に黒い五線譜を放った。
黒い五線譜が、螺旋階段を駆け下りるような速さでアリアを襲う。
「やぁあああ!!!」
そんな五線譜をアリアは指揮棒で弾く。
黒い雨のように降り注ぐ五線譜を弾く。
弾く。
弾く――。
弾く――――。
弾く――――――。
ただ、ひたすら弾く!!
――アリアは音楽が大好きだ。
聴いているだけでワクワクする。
聴いているだけで心が落ち着く。
聴いているだけで涙がこぼれる。
楽しい時、悲しい時、何時でも音楽が傍にあった――。
――そして、今も音楽が傍にいてくれた。
こんな絶望的な状況下においても、ずっと一緒にいてくれている。
背中を押してくれる。
勇気を分けてくれる。
音楽が一緒ならなんだって出来る!
音楽が一緒ならどんなことでも怖くない!!
音楽が一緒なら――。
私は――!
「――どんな運命だって、覆してみせる!!!!」
全身全霊、魂からの叫びをアリアは言い放つ。
そして、その叫びを受けて指揮棒も最大限の輝きを放ち始め……その姿を変えた。
その姿は大きな黄金色のト音記号だ。
中心の渦を巻いている部分が握り手となっており、そこから伸びる優雅な曲線が刃となっている。
アリアはソレを両手で握り、ヌルへと迫る。
一歩、前へ。
一歩、前へ!
――一歩、前へ!!
――そして。
「音符スラァァァッシュッ!!!」
アリアはそう叫びながら、音符ソードでヌルを思い切り振り抜いた。
その一撃はまさに、運命を拓く閃光一閃の一撃であった。




