茜空に忍び寄る灰色の世界
「…………はぁ、またドジやっちゃったよ」
放課後。昨日と同じ茜色の空の下。アリアはトボトボと寮へ戻る。
自信無さげに丸まった背中。背負ったリュックの缶バッチがシャラン、シャランと寂しそうに音を鳴らした。
「結局あの後も皆に食いしん坊ってイジられるし、他の授業でも先生に怒られ放題だし……」
立ち止まったアリアはリュックを降ろし、黒革ケースを取り出す。
「…………これが、私の悲惨な運命なのかな」
ケースの蓋を開けて、ポツリと一言、指揮棒にそう問う。
勿論、指揮棒は何も答えてくれなかった。
――アリアは音楽が大好きだ。
しかし、こうも才能が無いなら。
こうも音楽に見放されているのなら。
――これが自分が一生背負わなくてはいけない運命なら。
「――あっ」
いけない事が頭の中を埋め尽くそうとした時、アリアの耳に音が届く。
昨日のオルガン塔の旋律ではない。
それは、ピアノの旋律。
それは、ヴァイオリンの音色。
それは、教会で歌われる賛美歌。
それは音楽を愛し、音楽に愛された街、エルハーモニアの日常……。
アリアの大好きな音楽だった。
「…………やっぱり良いなぁ、音楽って」
アリアは優しく瞼を閉じて、エルハーモニアが奏でるメロディーを聴く。
時折相槌を打ちながら、まるで対話しているように、街の音楽に浸っていた。
――そして。
「――ふりぁあああああ!!!」
気合の入った叫び声と共に、パァンッ!という音が鳴り響く。
アリアが自分の両頬をシンバルのように思い切り叩いた音だった。
「うん、決めた! 私頑張るよ! いっぱい、いーっぱい努力して、絶対に自分の運命を変えてみせる!!」
アリアは勢いよく指揮棒を取り出し、未だ音楽を奏で続ける街に向かって指揮棒を高々と掲げた。
「だって音楽が、ずっと私の傍に居てくれるんだもん!!」
そう言ってアリアは不格好ながらも指揮棒を振るう。
その姿は音楽に対して感謝の礼を示しているようにも見えた。
清々しい笑顔で指揮棒を振るい続けるアリア。
時折吹くそよ風が真っ赤になった頬をかすめていく。
ジンジンと痛むその感触で、まだ生きていることを実感出来た。
生きていていいんだと思わせてくれたのであった。
――そんな時だった。
「あれ?」
意気揚々と指揮棒を振るっていたアリアの手が止まる。
ピアノの美しい旋律が、アリアでも分かるくらいに大きく一音外れた。
それを皮切りに演奏が進むにつれて音が外れていき、聞くに堪えない旋律を奏でる。
ヴァイオリンの音色は、黒板を爪で引っ搔いたような音へと変わる。
教会の賛美歌は、スロー再生にしたような、酷く間延びした重低音へと変貌していく。
アリアの大好きな音楽が、段々と崩れていく。
「……なに、これ」
アリアの顔に不安と恐怖が浮かび上がってくる。
アリアの心情を体現するかのように、茜色の空が灰色で浸食されていく。
その浸食は空だけでは収まらず、地面も景色も全てを犯していく。
そして、辺り一面は殺風景なモノトーンの世界へと変わり果てていった。
人の声も、音も、崩れ去った音楽すらも聴こえなくなる。
完全な無音の世界で、アリアは独りぼっちになってしまった。
「…………ッ」
変わり果てた世界に怯えるアリア。
小さな両手で制服を胸元をキュっと握り、震えながら立ち尽くすことしか出来ない。
――そんなアリアの耳に音が届いてきた。
それは、不気味なノイズ音。
それは、断続的に途切れる唸り声。
――それは、アリアに向かって迫り寄ってくる、異形から鳴る音だった。




