終わりの別れ、始まりの汽笛
夕暮れ時、アリアは広場のベンチに座っていた。
大きな噴水の前で誰かがヴァイオリンを奏でている。
子供がかけっこをしながら、石畳の道を叩いていく。
誰かが微笑み、誰かが笑う。
エルハーモニアの日常は、今日も音楽で満ち溢れている。
――しかし。
――音楽に選ばれたのは貴方じゃない、私よ。
顔を俯かせて座るアリアの頭では、レイラの言葉だけが反響していた。
大好きな音楽に囲まれているのに。
いつもなら安らぐはずなのに。
――今はただ、心が虚しい。
「…………はぁ」
誰にも聞こえないほどの小さなため息が、アリアの口から零れる。
誰にも気に留められない、音にすらなれない小さなため息。
アリアはそんなため息が消えていった方向を目で追ってみる。
視線の先にあったのはエルハーモニアの守護神、【ミューゼ】の石像だった。
煌々と輝く夕日に向かって、高々と指揮棒を構えているミューゼ像。
その姿は美しかった。
その姿は凛々しかった。
その姿は自身に満ち溢れていた。
――その姿はアリアにとって、痛々しい程輝いて見えたのであった。
アリアはリュックからケースを取り出して、膝の上に置く。
指揮棒が入っているケースである。
ケースを開けて指揮棒を手に取ってみると、頭の中で様々な情景が思い浮かんできた。
初めてミューゼへと変身した時のこと。
死力を尽くしてヌルと戦い、勝ったこと。
勝った後に見た、小さく輝きながら天高く昇っていく音符達の光景。
そして、日常へ帰って来た時のエルハーモニアの情景。
つい先日の出来事なのに、何故だかそれら全てが古いアルバムの一ページのように思えて、昔を懐かしむかのようにアリアは優しく微笑みを浮かべた。
――そして。
「――ありがとう……。短い間だったけど、一緒に居てくれて嬉しかったよ」
そう言ってアリアは指揮棒をケースに戻す。
そして、良質な物語を読み終えた後のように、そっと優しく蓋を閉じたのであった。
「…………よしっ!」
アリアはケースをリュックに戻し、ベンチから立ち上がる。
リュックを背負い、ある決意を固めながら、もう一度凛々しいミューゼの石像を見つめる。
アリアの眼差しには、ミューゼ像への羨望や自分への失意の色などは無かった。
そんな物はもう必要無かった。
――何故なら、自分にはもう関係の無いことだったからだ。
「――ようやく見つけたぞ。お主がアリアじゃな?」
「ひゃあっ!?」
アリアが学園へ戻ろうと踵を返した時だった。
背後から聞こえてきた声に、驚いて振り返るアリア。
そこには一人の少女が仁王立ちしていた。
腰まで伸びた深紅の艶やかな髪。
モデル体型の美貌の持ち主。
黙っていれば誰もが見惚れるその顔には、悪戯じみた子供の笑みが浮かんでいた。
「は、はい……。私がアリアですけど……」
「うむ! やはりそうであろう! 金髪お下げにちんちくりんな身体! ヴァルに描かせた似顔絵通りじゃて!」
そう言って少女は肩に羽織っていたブレザーのポケットから紙を取り出し、アリアに見せる。
そこには色鉛筆で描かれた丁寧ながらもデフォルメされた可愛らしいアリアのイラストが描かれていた。
アリアは自分が可愛く描かれた嬉しさと、小さく描かれた悲しさ、そして唐突に現れた赤髪の女性への戸惑いから、思わず口を小さく開けて黙り込んでしまう。
そんなアリアを見て、赤髪の女性はまるで時代劇の豪傑のように高らかに笑うのであった。
「ぬっはっはっは!! アリアよ、お主中々面白い奴じゃのう! 面白いリアクションもするし、何より顔が面白い!!」
「ふぇ!? そ、そんなぁ……! 私、面白い顔なんかしてないですよ!」
「何を言っておる、十分に面白い顔をしておるではないか……。少なくとも、先程ベンチで座り込んでいた時よりかは、な?」
「…………え?」
予想していなかった赤髪の女性の言葉に、アリアは思わず彼女を見上げる。
赤髪の女性もアリアを見つめながら笑みを浮かべていた。
先程と同様の悪戯じみた子供の笑み。
しかし、夕日を背に立ち腕を組みながら浮かべるその笑みからは確かに温もりを感じた。
途方も無い暗闇を彷徨っている時に。
道はここだと強く示してくれている灯りの様な。
そんな、温かく頼り甲斐のある笑みだった。
「あのぅ、貴方は一体……?」
「むっ? そういえば自己紹介がまだじゃったのう!」
赤髪の女性は思い出したかのようにポンと手を叩き、再び笑みを浮かべた。
――そして。
「――儂の名前はノゾミ! エルハーモニア学園生徒会の副会長!! とっても強くてとーっても可愛い!! 純情派美少女じゃッ!!! 気軽に“ノゾみん”と呼んでも構わんッ!!!」
そう高々と告げたノゾミは、決まったと言わんばかりのドヤ顔を披露する。
力強く銅鑼を叩いた後の余韻のような空気が漂い、遠くで鳴いているカラスの声が良く聞こえる。
「むぅ? どうしたアリアよ。また呆けた顔をしておるぞ?」
「……へっ!? え、えっと……。すいません、なんて言えばいいのか分からなくてぇ……。アハハ……。」
何とも言い難い空気に、堪らず笑って誤魔化すアリア。
当然誤魔化せられる筈が無く、ノゾミはそんな反応に唇を尖らせムっとした表情でアリアを見つめる。
「なんじゃ、ノリの悪い奴よのう……。よいかアリア、こういう時は拍手じゃ! 儂のパーフェクトな自己紹介を拍手で褒めるのじゃ!!」
「……は、はぃ」
アリアはノゾミの言う通り拍手を送る。
炭酸が抜けていくような、小さくまばらな音が鳴った。
「良いぞ! その調子じゃ! 次は儂を讃える歓声を上げるのじゃ!」
「……わ、わぁー、ノゾミさん格好いい……!」
アリアは再び言う通りに歓声を上げる。
恥じらいと戸惑いを併せ持った、小さな声で言った。
「うむうむ! では最後に万歳じゃ! 両手を目一杯広げて儂を褒め称えるのじゃ!!」
「ば、ばんざーいっ! ノゾミさんばんざーい!!」
アリアは三度、言う通りに万歳をする。
茜色の空へ向かって腕を伸ばすアリア。
何故こんなことをやっているのか良く分からなくたっていたが、とにかくアリアは言われたことを一生懸命にやっていた。
そして――。
「――ぬっふっふ……! 掛かったなアリアよッ!!」
「ばんざーい……って、ふぇっ!?」
アリアが十度目の万歳をしていたその時だった。
ノゾミが何処からか取り出したのは大きな輪になっている麻縄、それをアリアに投げつけた。
輪投げの棒のように突っ立ってるアリアはいとも簡単に捕らえられてしまったのだ。
「ちょ、ちょっと! 何するんですかっ!?」
「うむ、実はお主を生徒会室に連れてくるようヴァルに頼まれていてのう……」
そう言いながらノゾミも輪の中に入り、手綱を握るように縄を手に取る。
二人の今の姿は正しく、子ども電車ごっこそのものである。
「ま、待って下さい! 生徒会室なら今から行こうとしてたんです! だからその――!」
「――アリアよ。お主が進もうとしていた線路は、本当に正しい目的地にたどり着くのかのう?」
「――え?」
アリアの方へは振り返らずに、ノゾミがそう言った。
「まぁ、詳しい話はヴァルにでもするとよい……。儂はただ運ぶだけじゃ。迷える者、立ち止まった者を正しい未来へと運んでいく――」
「――それが、儂の魂の旋律。【旋律の運命】なのじゃから……!」
西日が今一度ノゾミの背中を照らす。
腰まで真直ぐに伸びた美しい深紅の髪。
肩に羽織ったブレザー、そして生徒会の腕章。
アリアから見えるノゾミの背中は、とても偉大で大きく見えたのであった。
「――さて、お喋りはこの辺にして、そろそろ出発するとするかのう……。アリアよ、しっかり捕まっておれよ?」
「……は、はい! 分かりました!」
アリアは腰に巻かれた縄を手に取り、ギュッと掴む。
そんな様子を肩越しに見たノゾミは小さく笑みを浮かべた後、進むべき道がある前へと顔を向けた。
――そして。
「――では往くぞ!! 生徒会室へ向かって【特急アントニン号】出発進行じゃああああああ!!!!」
「しゅ、しゅっぱーつ……! って、ふぇええ!?」
アリアのことを強引に引っ張りながら、ノゾミは全速力で走り出す。
アリアの絶叫。
ノゾミの高笑い。
二人の声が蒸気機関車の汽笛のように、エルハーモニアの茜空に木霊するのであった。




