4. 本物を存じておりますもの
「第四計測会。週の平均、十三・0輪」
読み上げが終わるのを待って、侯爵家の方々が入ってこられた。
アデリナ・フォン・エッシュバッハ様。十九歳。
背筋の伸び方が、ものさしのようである。裾のさばき方も、目の伏せ方も、指の揃え方も、全部が同じ角度で止まる。わたしが三年練習しても、たぶんああはならない。
「はじめまして、聖女様」
声まで、揃っていた。高くも低くもなく、速くも遅くもない。
「わたくしは、本物を存じておりますもの」
侯爵家の使者の方が、巻いた紙をお開きになる。
「当家の娘は、幼少より本邦最上の品にのみ触れて育ちましてございます。真珠、絵画、香、音曲、いずれも一級のものを見分けます。灯環の求むるものが喜びでありますなら、最上の喜びを知る者こそ、その器にふさわしゅう存じます」
筋は、通っていた。少なくとも、この場の全員が一度はそう思ったはずである。
◇
「〈仮灯〉と申します」
シビュラ様が、小さな硝子の器を卓の中央にお置きになる。中で、髪の毛ほどの光が一本、ゆらゆらしている。
「灯環から借り受けた一片でございます。継承前の候補者に限り、一刻だけ測ることができます。この値は結界の維持には使えず、台帳にも載りません」
「では、参りましょう」
ギルベルト様が手を打たれた。
十二品が、順に運ばれてくる。
一品目は、海の底から採ったという真珠。
「よい艶でございますこと。南の海のものは、もう少し青みがございますから、これは西の湾でしょう」
「一品目、0輪」
二品目は、三代前の宮廷画家の絵。
「五十年ほど前のものと拝見いたします。空の青が、この画家の晩年の調合でございますわ」
「二品目、0輪」
三品目の王家の菓子については、口へ運ぶ前に材料を三つ挙げられる。四品目の遠国の香は、産地を三つに絞られた。北の氷で冷やした果実も、銀の櫛も、楽師の四人の曲目も、この方はすべて正しく言い当てられる。
器のなかの光は、一度も震えない。
「十一品目、0輪」
ユーリス様の声だけが、部屋を渡っていく。
読み上げの数が増えるごとに、ギルベルト様の指が一本ずつ、机の上で伸びていった。八品目でその指が全部開いて、九品目で、また握られる。
◇
「十二品目、0輪」
読み上げが終わって、ユーリス様が帳面を閉じられた。
誰も、何も言わない。
罵る人も、笑う人もいない。ただ、侍従の方が十二品目の盆を下げるとき、静けさに耐えかねたように、こほん、と咳をされた。
「……局長。仮灯の不調ということは」
「ございません。器は、正しく光っております」
シビュラ様が、硝子の器を持ち上げて、光にかざされる。髪の毛ほどの光は、そこできちんと生きている。
「理は、曲がりません」
ギルベルト様が、白い手袋を膝の上で揃えられた。
「では、次を用意いたしましょう」
アデリナ様の背筋は、最後まで伸びたままである。ものさしは、こういうときにも曲がらないらしい。
◇
「わたくし、驚いたことがございませんの」
帰り支度のあいだ、その方はそう仰った。
「幼い頃、はしゃいで叱られましたわ。驚くのは、それを知らなかったという証。無教養の証でございます、と」
「……贈り物も、ですか」
「贈り物には、目録が先に届きますでしょう」
当たり前のことのように、そう仰る。
目録。三日前に届く、絵入りの、あの紙。
「――目録が来ないことは、ございませんの」
「ございませんわ。無作法ですもの」
無作法。わたしは、その言い方を胸のなかで二度繰り返す。
灰通りでは、贈り物はいつも突然だった。誰かの家で煮すぎた豆が余れば、鍋ごと隣へ回っていく。爺さんのおまけの一本にも、目録などついていない。
「聖女様は、何をお召し上がりになって、針を振り切らせましたの」
「……パンです。冷めた、端のところ」
「まあ」
そこで初めて、この方は少しだけ首を傾げられる。分からない、という顔である。分からないという顔を、この方はきっと、人前でしたことがない。
わたしは息が浅くなるのを感じた。憐れんだのではない。似ていると思ったからである。
路地裏で、わたしたちは値踏みされないように目を伏せて生きる。この方は、驚かないように目を伏せて生きてこられた。
伏せ方が違うだけで、檻の形が、よく似ている。
◇
馬車の脇までお見送りしたとき、その方が手袋を直された。
白い、染みひとつない手袋である。
親指の付け根のところに、綻び糸が一本、跳ねていた。
――繕っていらっしゃる。
この方の家は、たぶん、思っているほど豊かではない。それでも十二品を並べて、真珠の艶を褒めて、ものさしみたいな背筋で立っていらっしゃる。
わたしの胸の奥で、何かがことりと動いた。理由はうまく言えない。ただ、あの糸を見た瞬間に、この方が急に、人になる。
半刻後の紙には、九輪と書いてあったそうである。
誰にも、なぜ九輪なのかは言わなかった。言えば、あの背筋を折ってしまう気がしたから。
◇
「聖女様」
馬車の窓から、アデリナ様がこちらをご覧になる。
初めて、目が伏せられていなかった。
「あなたは、いまはお強い。けれど四条は、あなたにも同じように効きます」
「……はい」
「では、あなたが驚けなくなったときに、また参ります」
車輪が回りだした。
わたしは、しばらくそこに立っている。夕方の風が、庭の砂を薄く運んでいく。石畳の継ぎ目に砂が細い線を引いていくのを、意味もなく目で追った。
この方は、たぶん、聖女になりたいわけではない。ならなければならない、と思っていらっしゃる。
そしてわたしも、いつのまにか、驚かなければならないと思いはじめている。
――ならない、と思った瞬間に、口のなかが少し乾いた。
◇
観測日誌 第四計測会 継承より二十九日
本日、九輪。仮灯による候補者の測定は台帳に載せず、別紙に留める。供したる十二品、いずれも0輪。候補者は十二品すべての来歴を正しく述べられた。二条により、正しく知る者ほど値は出ない。
原因、侯爵令嬢の手袋の綻び。公示なし。供する意図なし。
備考。聖女様は、九輪の理由を語られなかった。語られぬものを記録する欄も、この様式にはない。




