3. 金剛石の湯浴み、0輪
「第三計測会。以下、七日分」
一日目、十八輪。二日目、十三輪。三日目、十二輪。四日目、十一輪。五日目、十三輪。六日目、十二輪。七日目、十一輪。
「週の平均、十二・九輪」
割れが二日。十二輪ぎりぎりの日が二日。
ギルベルト様の書き付けを覗くと、この七日で用意されたものが列になっている。
曲芸師が十三輪。南の果物が十二輪。白い仔馬が十一輪。翌日からまた、曲馬が十三輪、砂糖菓子が十二輪、絹の反物が十一輪。
三日で一巡りして、同じ形で下りていく。どれも一度ずつ、きちんと驚いた。きちんと驚いて、きちんと減っていく。仔馬はほんとうに可愛かったのに、可愛いと思ったその後ろから、四条の影が追いついてくる。
「聖女様。次はいかがなさいますか。次は、何がお好みで」
「……あの、好みを先に伺われますと」
「ああ。そうでございましたな」
若い官吏の方が、書きかけの綴りをお伏せになる。この七日で、宮廷はいくつも学んでいる。学ぶたびに、道が一本ずつ塞がっていく。
「本日は、違います」
ギルベルト様が、珍しく声を張られる。
「七日をかけて支度いたしました。国庫より、金剛石を」
◇
湯殿の湯が、白く光っている。
金剛石を溶かしたのだという。溶けるものなのか、わたしにはよく分からない。とにかく光っていて、湯気まで細かく光を弾いていて、侍女の方が三十人、壁際にずらりと並んで、固唾を呑んでこちらを見ている。
わたしは湯に肩まで浸かった。
あたたかい。ちょうどよい湯加減である。
「いかがでございますか」
「……あたたかい、です」
「はい」
「あの、ほんとうに、あたたかいです」
言えば言うほど、嘘をついているような気持ちになる。嘘ではないのに。
――ただ、それだけなのである。
匂いがしない。金剛石の湯には、匂いというものがまるでない。
灰通りの湯屋は、薪と石鹸と、隣の家の煮物の匂いが全部まざっていた。番台の婆さんの咳と、桶を落とす音と、誰かの子どもの泣き声がして、湯はいつも少しぬるい。
誰かが柄杓で湯を掻き回した。光の粒が、水面でいっせいに向きを変える。
きれいだと思う。きれいだと思うことと、あらたに嬉しいこととは別なのだと、わたしはもう教わっている。
半刻後、小姓が紙を持って走ってきた。
「0輪」
誰かが小さく呻く。
「……もう一度、湯を溶かせ」
「おやめください」
シビュラ様の声が、湯気を裂いた。
「二条でございます。七日前から触れ回った驚きは、七日かけて予期に育ちます。国庫を溶かしても、理は曲がりません」
湯気の向こうで、ギルベルト様が一度だけ目を閉じられる。
「では、次を用意いたしましょう」
◇
帰りの馬車が、王都の目抜き通りで詰まった。
夕暮れである。窓を細く開けると、風が入ってくる。荷車の軋み。呼び売りの声。炭の匂い。脂の焦げる匂い。
わたしは、思わず身を乗り出した。
通りの一本向こうに、灰通りの屋台の煙が上がっている。細い、白い、はぐれた雲みたいな煙。
この通りは、去年の冬に一度だけ歩いたことがある。荷運びの手伝いで、朝から晩まで往復して、日が暮れる頃に銅貨を三枚もらった。あのときも屋台の煙をずっと横目で見ていて、結局、買わずに帰っている。
馬車の窓は、そのときより、ずいぶん高いところにある。
ユーリス様が、御者台のほうへ声をおかけになった。
「回り道を」
「観測官殿、しかし刻限が」
「値の観測に資します」
この方は、わたしのほうをご覧にならない。ただ帳面の頁を繰って、そこに何かを書き足していらっしゃる。
◇
「おや」
屋台のシモン爺さんは、六十歳。串を返す手の甲が、炭の粉で真っ黒である。
「なんだい、えらく上等な馬車から降りてきたねえ」
「……こんばんは」
「一本でいいのかい」
「一本で」
銅貨を渡すと、爺さんは掌の上で釣りを二度数え直した。字が書けないので、勘定はいつも指と口でやる。それから炭の上から二本つかんで、片方をひょいと寄越す。
「おまけだよ」
脂が落ちて、白い煙がふわりと上がった。
「城の飯は、うまいかい」
「二百四十品、出ました」
「はっはっは! そりゃ、食いきれんな」
爺さんが、団扇で炭をあおぐ。火の粉が上がって、すぐ消える。それだけの返事である。うまいかどうかは、とうとう聞かれなかった。
わたしは、串を噛んだ。
熱い。塩辛い。舌が焼ける。ちっとも上品じゃない。
馬車のなかで、かん、と遠い音が鳴った気がする。半刻あとに届いた紙には、こう書いてあったそうである。針、右柱に接触。
◇
二本目を食べながら、わたしはふと思った。
――これも、数えられているのだ。
いま口のなかにあるこの味も、明日には数になって、灯の間で読み上げられて、どこかの帳面に載る。
そう思ったとたん、味が半分になった気がする。舌の上の塩気だけが残って、その奥にあったはずの何かが、すっと引いていく。
けれど、その日の値は落ちなかった。
五条なら、先の評定で局長様が読み上げていらっしゃる。聞いてはいた。ただ、条文を耳で聞くのと、それが自分の身の上で起きるのとは、別のことである。
五条が数えるのは、値を出すのを目当てにして、そこへ向かったときだけらしい。わたしはただ、煙が見えたから顔を出して、爺さんがおまけをくれたから食べただけである。
理は、そういうところだけは、やさしい。
◇
その夜、灯の間の灯りが遅くまで点いていた。
階段の下から見上げると、塔の窓に猫背の影がひとつ映っている。もう報せを出す刻限は過ぎているのに、影は帳面の上から動かない。
あとで、日誌の頁を覗かせていただいた。
原因の欄には、これまでずっと数と品名だけが並んでいる。朝の湯。寝台の敷布。二回目の食事。書簡一通。
その日から、そこに、数でないものが混じる。
字はきれいではない。急いで書いたらしく、最後の点が跳ねていた。
原因、串焼き、一本。
◇
翌朝、封蝋の色の違う書状が届く。
差出人は、エッシュバッハ侯爵家。
『聖女の座を、正しい者へ。本物を存じております娘を、一人、差し出しとう存じます』
◇
観測日誌 第三計測会 継承より二十二日
本日、計測不能。針、右柱に接触。日没前の刻みに、金剛石の湯浴み、0輪を含む。支度に七日、公示に七日。二条の予期は、支度の日数だけ育つものと見てよい。
原因、串焼き、一本。
備考。屋台の主人は、代金を受け取らぬまま二本目を渡した。この一本を何と呼ぶべきか、様式にその欄がない。次の計測会までに、欄の新設を局長へ上申する。




