5.少女の思い その1
殺意が消えた訳では決してなかった。
だが何もせずにあの場を去った自分の行動をどう捉えればいいか、イングヴァル自身も考え倦ねていた。
町外れにある枯れた噴水の傍に腰を下ろし、考え続けている間に気づけば辺りは暗くなっていた。
思考をこねくり回している間に一日が終わってしまっていた。
考えは整理がつかないままだが、一つだけ分かったことがある。
ヤネンに対する感情は恨みと言うより、嫉妬に近い。
朧気にそう感じ始めていたが、認めたくなかった。
自分が追い続ける男達と犯した罪は同等であると、思い続けていたかった。
「あの……」
届いた声に顔を上げれば、目の前に少女が立っている。その気配に気づかないほど集中力を欠いていたことをイングヴァルは今更のように知る。
「……私、リリーです。覚えてますよね……?」
「……ああ」
応えると、彼女はいつものように片足を引き摺りながら歩み寄ってきた。
隣に腰を下ろし、言葉を続けた。
「あの……大丈夫ですか?」
「えっ、大丈夫って……何が?」
しかしかけられたその言葉の意味が分からず、疑問を返す。
「あ、すみません。いきなり大丈夫かって言われても意味が分からないですよね……でも、こんなに暗くなっても一人でひと気のない場所にぽつんと座って、途方に暮れているようにしか見えなかったんです……この町、すごく小さいし、よその人もそんなに来ないから、宿屋と呼べるようなものはないんです。あそこの雑貨店が去年まで宿も兼ねてたんですけど、今はもうやってなくて……だからこの町にまだいるなら夜はどうするんだろうって、ちょっと心配になってたんです……」
リリーはそう言って、隣にいる〝よそ者〟に少しの笑みを見せた。
他人とはある程度の距離が必要だ。
もう一人の少女が言い放ったその忠告の意味合いは、この少女にも伝わっていたはずだ。
それにもかかわらず、彼女は敢えて〝他人との〟距離を詰めてきた。
生まれついての善人。
この少女、リリーがそんな類いの人間であるのは、イングヴァルにも嫌というほど伝わっていた。
自分に対して明らかに害を与えようとした相手にも彼女は寄り添って、情を向けようとしている。
「それでよければなんですが、また私達の家に来ませんか? もちろん今夜は床に寝ろだなんて言いませんよ。と言ってもあの家はデイジーの家なんですけどね。私、こんなだから小さい頃に親に捨てられて……でも三年前にデイジーと出会ってからは、毎日が幸せです。デイジーは私よりずっと大変な境遇だったのに、こんな私の傍にいてくれて、いつも守ってくれる。だから私も困ってる人がいたら、助けたい……そう思ってるんです。けどまだそんな偉そうなことを言える立場じゃないっていうのも、分かってるんですけどね。あっ、ごめんなさい、私、一人で喋ってて……それに……名前まだ訊いてなかったですね、えっと……」
「……連」
「それじゃあ、連。大したおもてなしはできないけど私達の家においでよ。この場所は夜はとても寒いですよ」
彼女は隣で優しく微笑むと、こちらの反応を待っている。
しかしイングヴァルは彼女に何も答えられず、自分の足元を見るしかなかった。
リリーの表情からは、純粋な親切心しか見えなかった。
でもその親切心を向けた相手が、自分の思い人に恨みと殺意を抱いていると知ったらどうするのだろう。
こんな慈愛に満ちた彼女でも、迷いを覚えるに違いなかった。
ふとイングヴァルは、妹のアンネッテを思い出す。
どんなことが起きても、彼女はいつも兄である自分を許した。
自分も彼女を愛し、彼女も自分を愛した。
だが自分の軽率な行動が元で、彼女は無残な死に方をした。
自分と関わると皆不幸になる。
イングヴァルはそう思った。
妹もケイシャも、そして連も、自分と関わった故に彼女達は望まない運命を辿ることになった。
いずれこの少女も同じ道を辿るのかもしれない。
そう思えば、返す言葉は何も浮かばなかった。
「ほら、行きましょう、連。早くしないと足元が見えなくなるほど暗くなっちゃう」
リリーは立ち上がると、こちらの腕を取る。
その手を振り払うことも彼女の誘いを断ることもできずに、イングヴァルは促されるように立ち上がった。
夕闇迫る森を抜けて、リリーと共に彼女達の家に到着する。
彼女を出迎えたデイジーは招かれざる客にあからさまな感情を露わにしたが、イングヴァルはそれに対して何かを考える気力さえ失っていた。
身体が酷く疲れていた。
そのことを察したリリーが奥の部屋に案内してくれたが、彼女に礼を言ったかどうかも覚えていないほど疲労に思考を奪われていた。
身体をベッドに横たえると、重い瞼が下りてくる。
ずぶずぶと何かに呑み込まれていくような眠気に襲われていた。
連の声は昼間以降聞こえていなかった。
その後すぐに泥のような眠りに落ちてしまったせいもあるのだが、この夜、彼女が姿を現すことはなかった。




