第3話 残る想い
(そうは言っても、この返り血は洗い流したいですわね……)
獣を害した際の返り血に染まった身体。
未だに手は震えていた。
しかし、その震えの理由は――。
「……修士論文を書いていた時は、お風呂に入らなくても平気でしたのに。ずいぶんと綺麗好きになってしまいましたわ」
かつては、自分の研究が人々の役に立つと思っていた。
研究に必要な実験動物ではなく、死にたくないと言う思いから野生動物を手にかけた。
――未だに手は震えている。
「……せめて、水を飲みたい、ですわ」
イリアスは呟きながら森をあてども無く進む。
一切の案内は無く、不気味なほどに静まりかえっている。
「……ここは」
森が開け、大きな泉が目に飛び込む。
イリアスは泉に駆け寄り、その水に手を触れようとした瞬間に手を止める。
「……この水が安全という確証はありませんわ。――でしたら」
イリアスは荷物を漁り、カトラリーケースから銀色のスプーンを取り出す。
魔力が無い事に気がついたとき、国王から不要と判断され毒により暗殺される事を恐れた。
故に銀を用いて自作したカトラリーを常に携帯するようにしていた。
そのスプーンを水に浸す。
身体に害があれば、色が濁る。
しかし、スプーンの色は――変わらない。
「……水っ! 水っ! 水、ですわっ!!」
イリアスは服を脱ぎ捨て、泉に飛び込む。
腕に付いた返り血を洗い流し、顔を洗い、思う存分に水を飲む。
水中に潜り、髪の毛を洗う。
「……は、は、はぁっ!! 私は、生きていますわっ!!」
水面から顔を出し、実感を込めて叫ぶ。
先の「命のやりとり」で感じていた緊張が、水中に溶けていくように感じる。
イリアスはそのまま水面に身体を預け、木漏れ日を全身で受ける。
「服も、洗わないとですわね……」
泉からあがり、衣服を洗う。
完全ではないが、血のシミは洗い流される。
「……さて、これを乾かす場所は? ――あら、あれは何かしら?」
イリアスが服を乾かすのにちょうど良さそうな枝を探して居る時に、偶然目に入った泉の中央部。
その小島のようになっているところに、「それ」は突き刺さっていた。
(あれは、『聖剣』ですの? ですが、『聖剣』は謁見の間に飾られているはずですわ。何しろ、昨日まで私が手入れを行っていましたから)
訝しがりながら、イリアスは「聖剣」と思われるものに近づく。
本物の聖剣は勇者と共に神の元に還り、その栄光を称えるために複製品が造られた。
謁見の間に飾れているものが「それ」であると「源書」ではされている。
だが、「源書」の読み解き方次第では「聖剣は残された」ともされている。
(……確かめなければ、なりませんわ)
イリアスは泉を泳ぎ、小島に上陸する。
聖剣の周囲には草一本生えておらず、天から降り注ぐ陽光がその刀身に反射する。
(まずは、『呪い』の類いがかけられていないか確認しないといけませんわね)
イリアスはカトラリーセットからフォークを取り出し、近づける。
その色は濁らず、通常通りに輝く。
「……柄や鍔の装飾は謁見の間のものと同じですわね。ただ、刀身はこちらの方がキレイですわ。上手く言葉にできませんが」
観察を開始するイリアス。
刀身の反りは浅く、重ねは薄い。
切先は小切先、身幅は普通。
刃長は70cmくらいであろうか。
「……間違いなく『聖剣』ですわね」
鍔は蜻蛉の透かし彫り。
柄頭は萩に月。
目貫は鯉。
いずれも材質は金であろうか?
「『源書』の記載でも、謁見の間に飾れているものでも同じですわ。――日本で言う江戸初期の刀に近い特徴を持っていますわ」
イリアスは周囲を改めて見渡す。
そして気がついた。
「……ここは、勇者が神の元へ還られたとされる場所ですのね」
勇者は魔王を滅した後、その呪いを受け徐々に精神が蝕まれていった。
それをイリアスの祖先である2代目ヴァルハライト王が討ち滅ぼしたと「源書」には記載されている。
確かめる術はないが……。
「……歴史というものも、『あやふや』なものですわね」
イリアスは「聖剣」に手を合わせる。
霊と言ったものは信じていないが、無意識にそうしていた。
「……勇者の残されたものでしたら、ここに置き捨てられているのはあまりよろしくありませんわ」
自分の遺体を回収しに来る者。
その人物にせめてこの「聖剣」を託すことができれば。
せめて、王家の元に戻すことができれば。
イリアスはその思いから、聖剣の柄を握り地面から引き抜いた。
「ずいぶんと、アッサリ抜けるものですわね」
勇者がこの世を去ってから400年以上が過ぎていると言われる。
しかし、その刀身には一点の曇りもない。
一筋の風が吹き、水面が揺れる。
「鞘はどこか、し、ら?」
納刀のために鞘を探そうとしたイリアスの眼前に、一人の鎧武者が立っている。
その姿は肖像画に描かれた勇者。
「あなたは?」
イリアスが問いかける。
『我が名の名乗りは不要。我が刀を貴様に託す。銘を『凱旋丸』。我が同胞よ。我が成し遂げられなかった日の本への帰還。貴様が成し遂げられることを願っておる』
イリアスの脳内に声が響く。
もう一度そのあたりを見ると、その姿はすでに無い。
極度の疲労が見せた幻覚かもしれない。
しかし、その手の中にある刀は確かな重さを伝える。
イリアスは「勇者」に託された刀の柄をしっかりと握った。
「……大切に使わせていただきますわ」
一礼し、少し離れた場所にあった黒鞘に聖剣を納める。
腰に差そうしたところで、服を乾かすために脱いでいたことに気がつく。
「……そろそろ、服を乾かさないとですわね」
気恥ずかしさを隠すためか、イリアスは一人呟いた。
いつしか、その手の震えはおさまっていた。




