第2話 放逐と虚勢と
手枷を打たれた手が震える。
わずかに呼吸が乱れる。
しかしそれとは裏腹に、緩やかな振動がイリアスの背中越しに伝わる。
(ずいぶんと念入りですこと……)
イリアスは内心で思う。
この「環神の儀」は――体の良い「処刑」である、と。
「……イリアス様。申し訳ありません」
従者がイリアスに告げる。
その声には明確に苦しさと悔しさが滲んでいた。
しばしの沈黙。
イリアスは努めて明るい声で従者へと言葉を返す。
「王命ですので、仕方ないですわ。それより、お子さんを大切になさってくださいね」
「……明日で4ヶ月になります」
「そうなんですわね。てっきり3ヶ月と思っていましたが、時間が経つのは早いものね」
馬車の振動が強くなる。
王都の街道を外れ、舗装されていない道へと進んでいるようだとイリアスは考える。
とすると、この馬車の行き先は――。
「――禁足地。ですわね」
「……お答えできません。申し訳ありませんが、『環神の儀』の規則によりこれ以降は問いかけにお答えすることはできかねます」
「分かっておりますわ。ごめんなさいね」
それより後に会話は無く、馬車が進む音だけがイリアスの耳へ届く。
微かに。
しかし、確かに。
自らの腕が震えているのを自覚した。
「まもなく到着となります」
馬車の動きが徐々に遅くなり、やがて止まった。
戸が開かれ、馬車から手を引いて降ろされる。
「……イリアス様」
「あら、ここでは口をきいてはならない規則でしてよ? 規則に反するのはお止しなさいな」
従者はイリアスの手枷を外す。
本来であれば、してはならぬ事とされている。
しかし、その掟を従者は破った。
「……これを、せめてもの罪滅ぼしとさせてください」
「あら、ここに罪人は私一人ですわ。魔力が何よりも重視される世界で、魔力が無い異端者。笑えますわね」
イリアスは自嘲気味にそう呟く。
その一種の「自虐」を受けて従者は返す言葉が無くなる。
やっとの思いで一言だけ絞りだした。
「…………ご武運を」
馬車から僅かな荷物を下ろし、従者はイリアスを一人残し去って行く。
目隠しを外し、去って行く馬車を見送るイリアス。
微かに揺れ、時に速度を緩め、そしてまた早める。
それはまるで、二度と手に入らない宝石を自ら砕いてしまったかのような後悔に揺れているようにイリアスには思えた。
「……過ぎたことは仕方ありませんわ。まずは、今できることを致しましょう」
そう言いながら残された荷物をあさる。
震える自らの身体。
それを意図的に無視しながら……。
「とりあえずは、いくつかの薬品と短剣。それと、造った魔道具がいくつかですわね。――さて、どうやって生き延びましょうか」
呟いた声は静寂に溶け、消えた。
鳥の鳴く声、水のしたたる音、風のそよぎすら聞こえてこない。
一切の、無。
「禁足地は不気味ですわね。さすがに、何か話していないと――」
言いかけた言葉を飲み込む。
それを口に出してしまったら、本当になってしまう気がしたから。
故に、イリアスは言葉を紡ぐ。
「……この短剣は有り難いですわ。とてもよく斬れますもの」
だが、その言葉に応えるものは居ない。
これが『環神の儀』である。
誰も居ない場所に僅かな荷物を残し放逐する。
そして、何かに殺された場合に神の元へ還されたと見なす。
単に直接手を下すのを嫌がり、処刑を言い換えたのだとイリアスは思っているが……。
「……静かですわね。まるで、『前世で』研究をしていた時みたいですわね。いけませんわ。過去にふけっても何も解決致しませんわ。――それよりも、これからどう生きるかですわね」
再び、荷物を漁るイリアス。
しかし、その耳に「自身以外の音」が届く。
その瞬間にイリアスは警戒度を上げる。
(なにか、居ますわね)
木々を踏み折り、こちらに近づいてくる物音。
低いうなり声が明確に聞こえる。
そして、「獲物を見つけた」と言う意志が明確に伝わる音。
(図鑑で見た、狼に似ていますわね。この世界でしたかしら、日本でのことでしたかしら。まぁ、どちらでも良いですわ)
イリアスは荷物の中から灰色の粉が入った小瓶を取りだし、握りしめる。
この世界に、この場所に、いまここに頼れる人はいない。
頼れるものがあるとすれば、経験と知識だけであろうか。
「やらなければ、やられますわ! まだ死にたくありませんものっ! 私は生きますわっ!」
飛びかかる狼に似た獣の口にイリアスは小瓶を投げ入れ、即座に躱す。
ドレスの裾を獣の爪が少し引き裂く。
獣が「餌のくせに刃向かうな」と言外に思いを込め、イリアスを睨み付ける。
しかし突如として獣の口から煙が上がり、苦しみ出す。
「……単純な発熱反応ですわ。でも、これでっ!!」
イリアスは短剣を抜く。
そして、獣の身体を突き刺した。
何度も、何度も、何度も、何度も……。
やがて、獣の瞳から光が消えた。
「ははは……」
イリアスは力無く笑う。
返り血が顔を赤く染める。
生きるためと言う理由をつけ、他を害した。
その事実がイリアスの手を震えさせる。
「……これでは、いけませんわね」
荷物に収められていた「源書」のページを破り、短剣と自らに付いた血を拭う。
「……どうやら『環神の儀』で死ぬところでしたのに、まだ神は私のことを受け入れてくださらないようでして。でしたら、せいぜい生き延びて差し上げますわ! だから、私の生き様を、どうぞごらん遊ばせっ! まぁ、本当に神がいらっしゃるのでしたら! ですけどねっ!」
そしてイリアスは――嗤った。




