表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒の矜持  作者: 川端マレ
第三部 グローテハーフェン編
99/101

第九十一話 動き出す影

 交易路を挟んだ宿屋の向かい、背の高い草の奥にマーティン曹長は身を潜めていた。


 油で水を弾くように加工された大判の布を低く張り、三角に張った簡易天幕を設置し終えていた。

 小さな灯りも使わず、干し肉を少しずつ噛みながら、宿屋の様子を見ている。


 草が風に擦れる音だけの空間に、干し肉を奥歯で噛みしめる、ぎち……という小さな音が溶け込む。


 カラン……


 ドアベルの人工的なその音は、マーティンの聴覚を刺激した。

 干し肉を一旦しまい、宿屋を注視する。


 扉の隙間から漏れた灯りが、一瞬膨らむと地面に延び、玄関先が明るくなる。

 そこに、出てきた男の輪郭が浮かぶ。


(こんな夜更けに、なんだ……?)


 宿屋から出てきた男は、手にランプを持ち、警戒するように周囲を見渡している。

 そうして確認を終えると、交易路をそのまま北上するように歩き出した。


 服装は一般市民のように見える。

 だが、夜更けに宿を出て、ためらいなく道を進む足取りは、なにか目的を持っているようだ。

 

 マーティンは草陰に身を潜め、その不穏な男が見えなくなっても、消えた方角を警戒し続けた。


 それからほどなくして、北の方角から三つの灯りが近づいてきた。

 ひとつは人が手に持つ高さ、残る二つはそれよりも高い位置にあった。

 馬に乗った者がいる。馬上の灯りが高いのだろう。


(まさか……)


 ランプの灯りはゆらゆらと尾を引くように動き、黒い人影を映し出す。

 目を凝らしても、人影の輪郭と、ランプの近くに浮かぶ服の色が、ぼんやり滲んで見える程度だった。


(馬上の人間は、制服のような装い? 軍服か……?)


 その時──ランプの揺れに合わせ、馬上の人間の首元で何かがきらりと光った。


(襟元……留め具か? 何かの装飾品……?)


 装飾品にしては位置が高く、服の形もそろっている。

 ただの旅人が、夜更けに馬で連れ立って動くには不自然だった。


(これはまずいな)


 三つの灯りはこちらへ向かっている。

 マーティンは足元の荷物から(かぎ)のついたロープを取り出し、腰を低くして宿屋の裏手へ急いで回った。


 宿屋の裏手に着くと、二階のバルコニーを見上げる。

 バルコニー横には梯子が備え付けられているが、手を伸ばしても届かない位置で途切れている。

 

 ロープの先についた(かぎ)を手に持つと、角度を確かめ低く息を吐き、手首を返して投げ上げた。

 鉤は弧を描き、木の梯子に引っかかる。コンっと乾いた音が辺りに落ちた。

 ぐっと力を入れロープを二度引き、それが外れないかを確かめた。


 右太ももに沿わせたロープを右足の甲へ回し、左足の靴底で挟み込むように押さえた。


 両手でロープを掴み、身体を引き上げる。

 膝を引き寄せ、足元のロープを挟み直す。

 そこへ体重を預けると、腕だけに頼らず、足で立ち上がるように身体を持ち上げた。


 ロープの編み目に重みがかかるたび、ギュっと小さく軋む音がする。


 引き上げる。

 挟む。

 踏み上がる。


 その動作を繰り返し、マーティンは闇に紛れるように梯子の最下部を目指す。

 梯子に手が届くと横木に足をかけ、するすると上まで登り、バルコニーへ静かに降り立った。


 バルコニーのドア上部にある硝子から、宿屋の中の気配を探った。


(廊下には誰もいない)


 音を立てぬようにドアを開け、マーティンは廊下へ滑り込んだ。

 まずはオットー達が宿泊している部屋のドアに手をかける。

 ドアノブからは鍵のかかった硬い反応が返ってきた。


 オットーから報告を受けた女性二名の部屋の前へ足を進め、ドア前で耳をそばだてた。

 中からは複数人の話し声が、壁越しに低い振動となって伝わってきた。


(この低い振動は男の声の響きか、時々入る高い声はエルザだな)


 オットー達は恐らく対象の女性二名と接触したのだろう。


(話は進んでいるのか……?)

(事情の見えていない俺が乱入するよりは、正体不明の三人を見張っていたほうが良いだろう)


 一階の様子を確かめるため、マーティンは階段脇まで進むとそこで待機し、様子を探り始めた──


 カラン……


 宿のドアを押し開けて入ってきたのは、先ほど宿から出て行った男。

 そして後方から二つの人影が入ってきた。


 宿の明かりに照らされ、後ろから入ってきた二人の姿がはっきりと見えた。

 ユリウス侯爵の私兵の制服を着ている。


 その姿に驚いた女店主は、うわずった声をかける。

 

「こんな夜更けに、何故、侯爵様の私兵の方が……?」

「小さな田舎の宿屋へ、どのようなご用件で」


 女店主は、つけていた帳簿をそっと閉じると、揉み手をしながら私兵へ猫なで声を向ける。


 その様子をじろりとねめつけた私兵の一人は、低く答えた。


「捜索中の人間が、この宿に滞在しているという情報を得た」

「女性二名が宿泊しているはずだ。宿泊客の部屋を確認する」


 その一階のやり取りをマーティン曹長は確認すると、オットー達が接触しているだろう女性二名の部屋へ急いだ。


(まずいな……対象者を穏便に確保は無理だ)


 ドアをそっと開けている余裕などない。バンッと開かれたドアに、室内にいた四名の視線が一気に入口に集まる。


「ユリウス侯爵の私兵が女性二名を探しに来ている。正面は使えない。裏へ出る」


 オットーはその言葉で確信する。

 カタリナがユリウス侯爵の差し金で動いていたなら、私兵が探しに来るはずがない。


 彼女らは侯爵から逃げている。

 そして、検問所へ届いた荷物が彼女たちのものなら──彼女らは帝国軍に何かを託そうとしていた。


 マーティン曹長が部屋に入ったことで、エルザ達はもう、ただの旅商人ではいられなくなった。


 オットーはカタリナを見た。

 彼女は動揺していたが、握っていたブランケットから手を離し、ベッドから降りようとしている。

 オットーは、振りほどけない。けれど痛くもない。そんな適切な力加減でカタリナの腕を掴んだ。


「君たちの荷物が行商人の荷車によって、帝国軍管理の検問所に届いた」


 この内容で意味が分かるなら間違いないだろう。


 カタリナはその言葉を聞くと、ほっと息を漏らし、目の縁にじわっと涙を浮かべだす。

 安心したようなその反応で、オットーは、彼女は帝国軍に保護を求めているだろうと推察する。


「俺たちは、君たちを保護するために動いている」

「一緒に行けるか?」


 カタリナはゆっくりとうなずき、目の縁を拭う。


「……お願いします」


 オットーはベッドからブランケットを急いで引っ張り出すと、それを小脇に抱えた。


「バルコニー側から出る」


 カタリナと隊長の娘へ視線を合わせ、彼女らが部屋を出るのを急がせた。

 その間に、一階にいた者達が階段脇に向かう足音が近づく。


「急げ」


 そう低くマーティン曹長は告げ、四人の背中を押しやった。


 オットーを先頭に、カタリナ、隊長の娘と続き、最後尾にエルザとマーティンがついた。

 オットーがバルコニーのドアを開き、壁に備え付けられている梯子へ目をやった。


「これで降りる。俺が下で受け止める」


 そう告げるとスルスルと梯子を下って行き、途切れた箇所で手を離すと、トスン……と静かに地面に着地する。

 そうしてオットーは壁沿いにある樽へブランケットを置くと、バルコニーに向けて腕を広げ、待っている。


 隊長の娘がまず梯子へ手をかけ降りはじめた。

 オットーはそれを下から見守っている。そうして最下部まで隊長の娘が降りてくると、補助し、地面へおろす。


 続いてカタリナが梯子へ身を預けた。

 咳が大きく出るたびに肩が揺れ、踏み板を踏み外しそうになる。

 そうしながらゆっくりと梯子の先端まで降りてきた。

 カタリナは振り向くような仕草を数回挟む。地面との距離を確かめているようだ。

 オットーは声をかけた。


「俺が受け止める」


 オットーはカタリナの下を支えるように手を伸ばし、カタリナが落ちてくると身体を支え地面へ降ろした。

 カタリナの息は荒い。

 高熱で呼吸も苦しいのだろう。大きく肩を揺らしている。


 オットーはブランケットを樽から拾い上げると、隊長の娘に視線をやり「これをお願いできるか?」と差し出した。

 こくりと頷く隊長の娘。


 オットーはカタリナの傍に来ると背中を向け、膝をついた。


「走るのは無理だろう。背中に」


 躊躇うカタリナにオットーは強い口調で「早く」と声をかけた。


 カタリナはオットーの背に身を預けた。

 オットーは彼女を背負うと、バルコニーを振り返り、見上げた。


 エルザとマーティン曹長はまだバルコニーだ。

 追っ手はもうすぐにでも二階へたどり着くだろう。


 マーティン曹長は、バルコニーの手摺から顔を出すと「早く行け!」と地面にいる三人へ声をかけた。

 そうして返事も待たず身をひるがえし、室内へ戻っていく。

 それを援護するように、エルザも室内へ戻っていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ