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黒の矜持  作者: 川端マレ
第三部 グローテハーフェン編
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第九十二話 時間稼ぎ

 一階で交わされていた会話が止まると、それは足音に変わり、ひとつの塊となって階段へ向かい始めた。

 先頭の一人が、階段に足を踏みだしたのを皮切りに、コツッ、トッ、ズシと踏み板の音が重なって上がってくる。

 その軋みに紛れ、私兵の機嫌を取るような女店主の声が、合いの手のように合わさった。


 人の気配の圧が近づく。

 今はゆっくりだ。だが、二階の異変を察知されれば急激に動く気配を孕んでいる。


 マーティン曹長は素早くドアの開閉方向、廊下の家具配置を確認したのち、隣にいるエルザへ小さく声をかけた。


「なるべく時間を稼ぐ」

「だが、一般人を巻き込むわけにはいかない。女店主を私兵から引き離せるか?」


「了解しました。引き離します」


 そのエルザの返事を聞くと、マーティンは足音を最小限に室外のバルコニーへ戻っていく。

 梯子に引っ掛けていたロープを回収すると、そのまましゃがみ込み、室内を警戒しつつ身を潜めた。


 廊下に残されたエルザは、上がってくる足音で距離を把握する。

 身をひるがえし、自身がとった部屋へ静かに入り、ドア越しに上がってくる人間の気配を探り始めた。


 階段の縁に女店主が到着したのだろう。階段の踏板を踏みしめるコツッという軽い足音から、廊下の床板のミシッという重い音に変わった。


 ドア越しに女店主の話し声が聞き取れる。

 まるで自分の宿にはやましいことは何もないと、釈明するような素振りだ。


「女性二人は珍しいなとは思ったんです。でも、うちも客商売ですからねぇ」

「普通に宿泊させただけなんです……」


 連なった鍵のぶつかる音がする。

 女店主が鍵束から、部屋の鍵を探っているに違いない。


 その瞬間、エルザは自分が待機していた部屋から勢いよく飛び出した。

 すぐさま周囲をきょろきょろと見渡し、誰かを探している素振りを見せつける。


 エルザのその行動に、女店主と私兵は動きを止めて凝視する。


 エルザは女店主の姿を捉えると、あからさまに一瞬ほっとしたような表情をつくる。

 だが、すぐさま切羽詰まった様子に切り替えて、女店主へ駆け寄った。


「おばさま、大変なのよ。部屋のランプが煙を出しているの」


 女店主はエルザのその声を聞くと、厄介事をまた持ち込んだというようにねめつけた。


「またあんたかい。見りゃ今忙しいのわかるだろ?」


 そんな言葉にはお構いなしに、エルザは困ったような顔を作り、引き下がらない。


「火事になったら大変だわ」


 女店主がため息をこぼした、その時だった。

 それまで二人のやり取りを黙って聞いていた私兵が、エルザへ鼻であしらうような目線を向けた。

 目的のドア前に一歩足を踏み出し、女店主を押しのけ低く告げる。


「案内は済んだ。ここから先は我々で対処する。ご苦労」


 役目を終えた女店主は、私兵へ愛想笑いを浮かべ「ご自由にお調べください」と丁寧に言葉を添え離れる。

 そうしてくるりと振り向くと、自身の腕を引っ張るエルザの手を見た後、じろりと顔を睨みつけた。


「あんたがランプを壊したんじゃないのかい? そうだったら弁償してもらうからね」


 エルザはそんな言葉を気にすることもなく、女店主の腕へ回した手に力を入れた。

 そうして引っ張るように、廊下奥の自分たちの部屋前へ急がせる。


「煙が出て怖かったのよ。はやく、おばさま」


 私兵たちは、カタリナたちが滞在していた部屋の扉へ手をかけ、今まさに入るところだ。

 入った所で数分もしないうちに彼女らがいない事は分かるだろう。


 エルザは女店主を自分の部屋に招き入れる。

 私兵がカタリナたちのいた部屋に入り、廊下に誰もいなくなった瞬間──身を潜めていたマーティンがバルコニーからさっと出てくる。


 足早に私兵が入っていったドアへ近づくと、手早くドアノブにロープを括りつけ始めた。

 一度ぐっと力を入れロープの弛みを均すと、廊下の手すりへ二重に回し、体重をかけて締め上げる。


 廊下でなされるその工作を、室内の私兵が気が付いたのだろう。

 室内からこちらへ、乱暴な足音が近づいてくる。

 すぐさま中から、扉を開こうとするドアノブのガチャガチャとした音が廊下に響いた。

 開閉の指示には従わない扉に、私兵は苛立ったのだろう。


「おい! 何をした!」という、怒号のような声を室内からあげる。


 それでも開くことのない扉に業を煮やしたのか、無遠慮に叩き付けだした。


 廊下で起きている騒動を察知した女店主は、エルザの部屋から出てくると、確認するように周囲を見渡した。

 先程まで居なかったマーティンの姿と、ドアに括られたロープのありさまに言葉を失い、その場に立ち尽くす。


 私兵が、閉じ込められた室内からドアを叩き付ける。

 その音で現実に引き戻された女店主は、かなぎり声をあげ、マーティンへ詰め寄っていった。

 

「あんた! 何やってんだい!」


 マーティンはもう既に、ドアを固く締め上げた後だ。

 手をぱぱっと払うと、女店主には目もくれず、エルザへ視線を合わせ「出るぞ」と声をかける。

 女店主が詰め寄るより早く、マーティンは身をひるがえすと一階へと降りていく。


 女店主にとってはマーティンがどうこうよりも、一刻も早くドアを開放し、私兵にあらぬ疑いを掛けられないようにする方が優先事項だ。


 女店主はロープへ手をかけ解き始めるが、きつく締め上げられたロープは、編み目を一ミリも動かさない。


「客の一人がロープで……」

「今すぐ解きますから」


 自分は無関係だと、必死に弁明しながらロープと格闘している。


 その女店主の後ろを、エルザは申し訳なさそうな表情を浮かべ、通り過ぎる。


「ごめんなさいね。おばさま。悪気はないのよ」


 室内の私兵にも届く声でその言葉を残し、ささっと一階へと降りて行った。

 そのエルザの背中を女店主は睨みつけると、声を張り上げた。


「あんたもグルだったのかい!」


 宿屋の玄関を出て、マーティンは玄関脇に繋がれた馬二頭を見た。

 これは先程まで居なかった。

 私兵二名が騎乗していた馬だろう。

 係留している綱を解くと「すまんな」と一声かけて、馬二頭の尻を弾いた。


 馬二頭はいななき、夜の交易路を駆け出した。


「これでしばらく時間を稼げるだろう」


 マーティンは野営をしていた場所に戻ると、荷物を手早くひとまとめにし、自分の馬に騎乗する。

 

 少し遅れて宿屋から出てきたエルザは、オットーたちが待つ馬車に乗り込んだ。

 荷台にカタリナが寝かされ、ブランケットがかけられている。そのすぐ隣に隊長の娘が心配そうに視線を落としていた。


 エルザが荷馬車に乗り込んだのを確認すると、オットーが振り向き声をかけた。


「少し飛ばす。落ちるなよ」

 

 手綱を握り、しならせる。馬は速度をあげて走りだす。

 その後ろをマーティンは、後方を警戒するように単騎でついていく。


 こうして、ジークフリートに任務を与えられた三名は、カタリナと隊長の娘を連れて目的の検問所へ走り出した──


 しばらく進んでも、後方から私兵が追ってきている気配はなかった。

 騒動から物理的な距離が取れると、安堵が滲んでくる。

 その心へもたらされた余裕は、不満を思い出すきっかけになった。


 オットーは不機嫌さを滲ませて、御者台からエルザの方へちらっと顔を向けた。


「おい、エルザ」


 その声は、”今まで我慢していたものを言わせてもらう”という覚悟が滲んでいる。

 それを軽く返すエルザ。


「なぁに?」


 エルザは自分が任務の役割をいいことに、好き勝手オットーを振り回した自覚があるはずだ。

 それなのにこの悪びれのなさである。

 オットーはこれ見よがしに盛大なため息を吐き出すと、苦情を申し出た。


「駆け落ちってなんだ」

「え? いい設定だったでしょ?」

「よくない」

「でも皆信じたわ」

「そこが問題なんだ」


 どこが問題か分かっている癖に、取り合うつもりのないエルザに余計腹を立てる。


「お前にメロメロで、駆け落ちまでした男として見られたんだぞ」

「そうそう。面白かったわよね」


 オットーは、むすっとした表情のまま御者台で手綱を握り、「馬の耳に念仏だな」と、深く息を吐いた。

 エルザはその横顔を見て、あっけらかんと笑っている。


 一行は、暗い交易路を北に進んでいく。

 向かう先の検問所には、夜明け過ぎには到着するだろう──

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