第八十四話 公私
薄い薬草の匂いが漂う部屋で、ジークフリートはベッドで背もたれに体を預けていた。
感染を警戒して面会は制限されていたが、容体が落ち着いてきた今は、落石現場の処理を任されている少尉が直接報告に来ている。
報告はほぼ終わりに差しかかっていた。
少尉の報告が途切れると、脇に置いていた封書へ視線を向けた。
「現場の件は分かった。これは元帥府へ上げる正式報告ね」
そう言って封書を指先で拾い上げ、穏やかな表情のまま少尉へ差し出す。
「ハインリヒ経由で、中枢の記録へ回しておいて」
少尉は封書を受け取り、表書きを一瞬だけ確かめると姿勢を正した。
中央へ送る文面は、すでに封書へしたためた。
結局この件を利用したがる輩は、属州の民に弱みを握られたという点を利用する。
(まぁ事実、俺の怪我が知られたのは弱み以外の何物でもない)
だからといって、事実を捻じ曲げてまで覆すのは、ジークフリートの信念に反する。
まずは、軍曹の独断に見える形を崩す。
今回の件は、特使という帝国の公務を狙った人為的な襲撃だ。
しかも規模が大きい。少人数の随伴者に残される選択肢など限られている。
軍曹はその中で、最善を探したにすぎない。
(事後承認は俺がした)
その筋で、まずは元帥府へ正式報告を上げる。
アウグストへの補足は、別途上げる必要があった。
この件は公文と私信は分けるべきだ。元帥の力で処理した形を残すのも得策ではない。
あとは事後承認した指揮官として自分が前に立つだけだ。
形式というものは、つつく側ほどひどく気にする。
(公的な方向で話を進めるのがベストだろう)
その内容が記された封書を少尉は内ポケットへ収める。
「承知しました。では、現場へ戻ります」
「うん。よろしくね」
少尉が退出し、扉が閉まる。
静けさの戻った室内で、ジークフリートは短く息をはいた。
帝国側への筋は、これで通した。
残るは、タラモン側の言質だけだ。
(タラモンの青年ダランか……彼の性格なら)
これまでのやり取りを思い返しながら、ジークフリートは扉の外に控えているであろう相手を待った。
少尉が去るのを見計らったように、扉がノックされる。
顔を覗かせたアンネリーゼが、静かに告げた。
「ダランさんがお待ちですが、いかがしますか?」
「通してくれるかな」
ほどなくして扉が開き、ダランが部屋へ入ってくる。
待たされたのが不満なのか、仏頂面をしている。
その様子を眺めながら、ジークフリートは気にした風もなく柔和な笑みで口を開く。
「部下からもきいてはいるんだけど、今日はあなたに、俺の搬送の経緯をききたくてね」
「呼び出しに応じてくれて助かるよ」
軽く肩をすくめ、それから続ける。
「それにしても、あなたが俺を好意的に見てくれていたなんて意外だな」
ずっと黙って聞いていたダランは、露骨に眉をひそめる。
「どこをどう勘違いしたら、俺がお前を好意的にみていると思えるんだ?」
ジークフリートはその言葉を笑って受け止めている。
「だってあなた。俺の命を助けるために頑張ってくれたんでしょう?」
「は?」ダランは呆れて声が出る。
あの時、確かにダランはジークフリートを助けようと動いた。
だがそれは、目の前で死にかけている人間がいて、自分に助ける手段があるのに何もしないのは気分が悪いからだ。
それに、ジークフリートが死んだら、タラモンの民達と帝国との緩衝役がいなくなる。
それも困るから行動したまでだ。
「お前は大きな勘違いをしている。利益になるからお前を助けた。それだけだ」
「好きとか気持ち悪いことを言うな」
ぴしゃりと言い放つダランをみてジークフリートは笑い出す。
「あはは、そう」
「あなたは自分の為に動いただけで、こっちに恩を売るつもりはない、と」
「それは失礼」
ひとしきり笑うと、すっと公的な顔に戻り、護衛として同室している軍曹へ視線を向けた。
「軍曹。あなたの判断以前に、彼は”自分の利益のため”に俺を助けたようだよ」
「施しを受けたとか、そういう話ではないみたい」
タラモン側の意向の言質は取れた。
ジークフリートは、何でもないことのように続けた。
「まぁ、この借りは公人としては返すことは出来ない。だから個人として返すよ」
その言葉に、ダランはわずかに眉を寄せ、低く返す。
「俺は借りを返せとか言う小さい男じゃない」
「そんなこと言っていいんだ? そうある事じゃないのに」
そう返されると、断るのも惜しい気がしているのか、ダランはグッと喉を鳴らした。
だが、個人としてできる範囲のお願いを、ジークフリートに聞いてもらえると言っても、ダランはすぐには思いつかない。
しばし熟考のあと、神妙な顔つきになってジークフリートを見た。
ダランの中で、何か施しを受け取るのは矜持が許さない。
でも、普段関わることの無いような相手、聞いてみたい事ならある。
「……なんでもいいのか?」
ダランの疑心暗鬼な様子に、ジークフリートは過去のやり取りを思い出した。
(疑り深くなったな。まぁ俺のせいか)
ジークフリートは心の中で苦く笑い、口元だけを和らげた。
「内容にもよるなぁ、叶えられるように善処するよ」
どんな要求をしてくるのか。
少しばかり楽しむように、ジークフリートはふふっと笑って待った。
公の立場で頼めることなら、いくらでも思いつく。
「うーん」と腕を組み、しばらく悩んだ末に口を開いた。
「人工硝石の工場のことはダメか……?」
「環境を整えるには何が必要だとお前は思う?」
ジークフリートはすぐには答えなかった。
今エルデンシュトラの監査を担っているのはブロイアー大佐だ。ここで自分が方針めいたものを口にするのは筋が違う。
何より、タラモンが”自分たちの手で立て直した”という実感を持たねば、自治など根づかない。
「それは俺が口を挟む話じゃない。個人の願いの範疇も越えている」
見るからに肩を落とすダランを見て、ジークフリートは小さく笑った。
「俺のひとりごととして言うなら——」
「あの場所へ行く道が悪すぎる。あと、廃液処理が滞って不衛生だ。労働内容に対して作業時間が長すぎる」
「これくらいかな? これだと普通過ぎるか。あはは」
ダランは指を折りながら、今の三つをぶつぶつと復唱して覚え込もうとしている。
したり顔でその様子を見ていたジークフリートの視線に気づいたのか、ダランはさっと指を隠した。
そのダランの仕草でジークフリートは意図をよみ、含んだ笑みをこぼす。
ダランは眉間に皺を寄せると、誤魔化すように鼻先を指でこすり、ふいと顔をそむけた。
「それくらい俺だって分かる。今の質問はノーカウントだ」
ジークフリートは小さく肩を揺らし、すっと目を細めた。顔をそむけたダランの小鼻がわずかに膨らんだのを見て、軽く頷く。
「そういう事にしておいてあげるよ」
その余裕ぶった態度が、ダランの癇に障る。
(まるで俺をガキみたいな扱いしやがって)
むっとしたままジークフリートの顔を見た、その時だった。
余裕綽々といったその笑みに、ふと別の疑問が頭をもたげる。
次の瞬間、ダランは椅子をガタタとベッドへ寄せた。
右手を口元に添え、ジークフリートへ小声で聞いてくる。
「……やっぱり、エリートはもてるのか?」
予想の斜め上をいく問いに、ジークフリートは一瞬だけ目を丸くした。
だが次の瞬間には、堪えきれず吹き出す。
「あはは……ふっ……あははは」
「ほんとに? 一回だけのお願いがその質問でいいの? あはは」
ダランは耳のあたりをうっすら赤くする。
むっと眉を寄せると、ぶっきらぼうに言い返した。
「なんだよ、これは答えられないのかよ」
「お前個人に聞いてもいいと思えるのなんて、これくらいしかないだろ」
ジークフリートは肩が揺れるほど笑ってから、呼吸を整え、真面目に答える。
「いや? きちんと答えるよ」
目元に残る笑みを引っ込め、少しだけ含みを持たせた口調で言う。
「俺が社交界でどう呼ばれているか、あなたは知らないだろうからね」
そこまで言うとふっと大人の悪い顔をする。
それを見たダランは、ごくりと唾を飲み込んだ。
「俺は社交界で——」
「社交界クラッシャーって呼ばれているんだ」
ジークフリートはニコニコと人好きのする笑顔をたずさえているが、対照的に空気が凍る。
ダランは一瞬固まり、そして顔にあからさまな絶句が走る。
(浮名を轟かせているのか……?)
(こいつ、社交界でなにしてんだ……)
その心の声が、ほぼ表情にそのまま出ていた。
ジークフリートは、それを見てまた笑った。




