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黒の矜持  作者: 川端マレ
第三部 グローテハーフェン編
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第八十三話 皮肉

 日が経つにつれ、ジークフリートの身体は少しずつ回復していた。

 推薦状を三通書いただけで冷や汗を流していた数日前とは違い、今はまとまった時間、書き物をしてもどうにか耐えられる。


(そろそろ歩いてもいいと思うのにな)


 ふとそう思い、同時に女性軍医のしかめっ面が目に浮かぶ。


『十日は歩行禁止です』


 女性軍医は過度なほど安全を選ぶ。


(まぁ彼女の立ち位置ならそうもなるか)


 頭では分かっている。

 だが、知らなければただ案じるだけで済んだ。

 報告を読むたび、確認したいことも、指示したいことも増えていく。

 そのたびに、動けない身体が忌々しかった。


 左腕を固めている包帯をひと撫ですると、落石現場の崖上の調査報告に目を通す。


 その報告書に書かれていた内容を精査すると、ジークフリートの予想通りだった。

 落石が自然に起きたものとは考えにくい。


 崩落箇所には、最大限の効力を狙った細工が施されていた。

 地理的に予めそんなことが出来るのは、エルデンシュトラのかつての統治者だった粛清された伯爵か、その伯爵と懇意にしていたユリウス侯爵だろう。


(どちらにしろ状況証拠も物的証拠も揃ってきている)

(やった事の責任はきちんととってもらわないと)


 報告書に記されている崖上の見取り図を、右手の指先でさらりと撫でた。

 現場には二か所、不発の火薬が残されていた。

 全部が爆破されていれば、その下を通っていた特使の一団は誰も生き残らなかっただろう。


(天はまだ俺を見限っていなかったのか)


 これまでジークフリートが幾多の判断を下すたび、誰かを見限ってきた。

 落石事故の時もそうだ。


 巨石に押しつぶされたあの光景が、今も脳裏から離れない。


 切り捨てられる側にとっては、ジークフリートのその判断で道が途絶える。

 当事者である彼らにとっては『仕方がなかった』などという言葉で括ることなどできない。

 それでも同じ場面なら、また同じ判断をするだろう。


 それが自分の中で正しい判断だったはずなのに、切り捨てた側への罪悪感が心を蝕む。


 自分は他の者の手によって、今を生かされている。

 タラモンの青年ダランの情報と、ハーゲン軍曹の判断がなければ、自分はここにはいないだろう。

 

(俺は多数を見限って生きている。皮肉だな)


 命があるうちは生きて、自分の役目を全うしたい。だから彼らに感謝はしている。

 だがその事実は、帝国の内側では『属州の民の施しを受けた』と好き勝手に使われかねなかった。


(それで軍曹の立場が悪くなるなら、見捨ててくれてもよかった)


 矛盾した感情を抱きながらも現実として今、自分は生きている。

 ならば立ち止まっている暇はない。役目を果たし、その上で対策を練るだけだ。


 平穏な時間が流れる室内に、ドアのノックが落される。

 短く返事を返すと、小ぶりの棚を抱えた軍曹が顔を出した。


 資料や報告書を手の届く範囲に置いておきたかったのだ。

 その棚の用意が出来たのだろう。


「失礼します。棚はこの大きさで問題ありませんか?」

「うん。十分だね」


 その返答を受け、ハーゲン軍曹はジークフリートのベッド脇へ棚を運び入れる。

 その様子を黙って見ていたジークフリートは、設置が終わるとすかさず次の指示を出した。


「助かるよ。ありがとう」

「あと、タラモンの青年ダランから事情を直接聞きたいから、こちらに顔を出すように手配してくれるかな?」


 予想しない人物の名前にハーゲン軍曹は一瞬眉根を寄せて考える。

 あの日、属州の民の手を借り、少佐の重傷を外へ晒した事実は、軍曹の胸に鈍いざらつきを残している。


 ハーゲン軍曹は短く息を整えると、表情を引き締めて返した。


「……承知しました」


 そのハーゲン軍曹の様子を見てジークフリートは、彼が何を気にしているのか理解できた。

 あの場面での判断は彼のものでも、その後に付いて回る責任は指揮官たる自分が引き受ければいい。

 重荷に感じる必要はないと軽い口調で軍曹へ告げる。


「じゃあよろしくね」


 その言葉を受けると、ハーゲン軍曹は敬礼をして部屋から出て行った。


 ジークフリートは用意された棚へ書類を丁寧にしまい始めた。

 秋は近づいているはずだった。

 だが窓の外の針葉樹は色を変えず、暖かい室内にいると季節の移ろいすら遠い。

 まるで外界の流れから、自分だけ取り残されているようだった。


 感情の起伏が起きそうになる時、いつも次やる事に思考を差し替え、情緒が入る隙間を許さない。

 今やるべきことのひとつであった、自分の搬送された件についての根回しは順調にことを進めている。


 そしてもうひとつ、州境にある検問所から気になる話が入ってきている。

 その件について脳内で整理をし始めた。


 一人の初老の行商人が検問所を通った。

 その荷物を検分した時、革の鞄にユリウス侯爵の手記と思われるものと、侯爵の紋が入ったものを数点持っていた。

 さらに荷車には、上等な馬具や馬装も積まれていた。到底行商人が持つような代物ではなさそうで、対応に困り、その行商人を検問所に保全のため差し止めしているという情報だ。


 検問所に拘束中の行商人の供述書に視線を落とす。


 道中若い女が二人、同行を頼み込んできた。

 ”検問所まで乗せてほしい”と。

 途中、馬の休憩のため荷車から離れ、戻った時には女二人は消えていた。

 しばらく探したが見当たらなく、自分も商売があるため出発した。

 そして検問所で荷を問われ、ようやく『女たちが荷物を置いたまま消えた』ことを理解したらしい。


(若い女二人……ユリウス侯爵の紋が入ったもの)

(ひとりはユリウス侯爵の娘の可能性が高い、じゃあもうひとりは……?)

 

 供述通りに読めば、行商人が持っていた分不相応な荷物は、途中に同行した女二人の荷物。

 途中で女二人は姿を消し、行商人自身も事情を把握していない。


(盗品であれば、隠しもせず検問所を通ろうなんて思わない)


 すなわち行商人の話は辻褄の合う部分が多い。


(なぜ女二人は荷物を置いて消えた?)


 消えた女二人のうち、一人がユリウス侯爵の娘のカタリナならば——


(鍵を握る人物だ)


 彼女がどこで消えたのか。何が目的だったのか。もう一人は誰なのか。情報ひとつで状況は裏返る。


 今回落石処理に関わっている名簿を捲りながら、ジークフリートは隠密行動に長けた者を三名選りすぐっていた。

 ペン先で、該当する名に小さく印を付けた。


 そして、まっさらの羊皮紙を一枚引き寄せる。


 左腕は動かせない。紙が滑るので硝子のインク壺を紙の上へ置いた。そして右手だけで文字を刻んでいく。

 

『検問所付近にて、若い女性二名の行方不明が発生。付近にて捜索せよ』


 必要事項を端的に記していく。


 消失地点の特定。

 周辺住民の聞き込み。

 足跡・遺留品の確認。

 発見時は保護。武装勢力との接触があれば回避。

 必要なら尾行のみ。


 最後に、短く署名する。


 窓の外では、属州の空がいつも通り青い。いつも通りであることが、時に残酷だ。

 ジークフリートは封を閉じ、まだ戻らない体力のせいか眠気を感じ身体を横にすると、浅い眠りへ沈んでいった。

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