第二章 2話 同じ景色を見る人
優里ちゃんは額に手を当て、小さくため息をつく。
「・・・さくらさん。こんなんだから心配になるんですよ。分かります?」
助けを求めるように視線を向けられたさくらさんは、紅茶の入ったカップを両手で包みながら、くすくすと笑っていた。
「あのね・・・本当に新しい人に来てほしいなら、ネット使えばいいでしょ」
優里ちゃんは呆れたような表情で話す。
「SNSとかでお知らせしたら、すごい数の人の目に留まるんです。今どき貼り紙だけって、あり得ないですよ」
その表情は、もはや心配を通り越して少し怒っているようにも見えた。
「俺だって、誰でもいいわけじゃないんだ・・・」
店内を見渡した。
磨き上げたカウンター。
窓から差し込む午後の陽射し。
焼菓子の甘い香り。
両親から受け継いで、守ってきた景色だった。
「この店が好きで・・・この空間が好きで働いてくれる人がいいんだ」
そう言って、手にした貼り紙を軽く揺らす。
「だったら、これが見られるように、一度でも店に来てくれた人がいい」
「・・・」
「やみくもにネットで募集したら、かえって大変なことになるだろ」
しばらく黙っていた優里ちゃんが、小さく息を吐いた。
「・・・まあ、確かにそうですけど」
さっきまでの勢いはない。
怒ったような表情は消え、今度は困ったように眉を下げている。
そして、そのまま視線を落とした。
「そういえば・・・」
さくらさんが紅茶のカップをソーサーに戻した。
小さく立ちのぼる湯気の向こうで、不思議そうな表情を浮かべる。
「シェフはSNSで情報を発信したり、ケーキのご予約をネット経由で受け付けたりは、していらっしゃらないんですね」
その問いに答える前に、優里ちゃんが身を乗り出した。
「そうなんです」
まるで、待ってましたと言わんばかりの勢いだった。
「シェフってそういうの、嫌いなんです」
「もう・・・また・・・」
思わず口を挟むが、優里ちゃんは止まらない。
「せっかく綺麗なケーキ作ってるのに、写真の一枚もSNSに投稿しないんです・・・」
呆れたように首を振る。
「それに、唯一の連絡手段である電話だって、今どき固定電話なんですよ。それも大昔の黒電話」
「黒電話・・・」
さくらさんは、きょとんとした表情で瞬きをした。
「そう、黒電話。番号をグルグル回してかけるんです。初めて見た時びっくりしました」
「元町を歩いてた時に偶然、骨董品屋さんで見つけたんだよ。可愛くて気に入ってるんだから良いだろ」
「確かに可愛いですけど、アースウオッチやPCにリンク出来ないから不便ですよ」
「不便さが良いんだよ。分かってないなぁ・・・」
そんな僕達のやり取りを、さくらさんは紅茶のカップを両手で包みながら楽しそうに眺めている。
そして、ふと微笑んだまま口を開く。
「ほんとに仲良しですね。お二人はいずれ、ご結婚されるんですか?」
「え?」
優里ちゃんが固まる。
次の瞬間、ぶんぶんと首を横に振った。
「いやいやいや・・・」
店内に響くほど大きな声だった。
「私はこんな小さな店のシェフと、結婚なんか無理です」
「おい」
思わず突っ込む。
「出来ればお医者さんとかが良いです。病院で働くから、出会いがいっぱいあるかもな~」
そう言って、わざとらしく未来を想像するように天井を見上げる。
「小さな店のシェフで悪かったな。俺は誇りを持ってやってるんだからな」
「それと、これとは別です」
そのやり取りに、さくらさんが堪えきれなくなってように吹き出す。
午後の日差しが差し込む店内に、三人の笑い声が広がった。
「お客様に変な所をお見せしちゃって、すみませんでした」
優里ちゃんが申し訳なさそうに頭を下げる。
「良ければ紅茶のおかわりをお持ちしましょうか?」
「ありがとうございます。楽しかったです」
席を立ちながら、さくらさんはくすりと笑った。
「紅茶もいただきたいのですが、今日は時間がなくて・・・お会計お願いします」
「かしこまりました」
優里ちゃんがレジへ向かう。
僕はカウンターから、その様子を眺めていた。
「いつも現金でのお支払いですみません・・・」
レジを打ちながら優里ちゃんが苦笑いする。
「うち、電話だけじゃなくて、レジもレトロなんで・・・」
「大丈夫ですよ」
さくらさんは柔らかく微笑んだ。
「私も現金主義なので」
そう言うと、両手を軽く広げる。
「アースウオッチも持ってないですから」
「え?」
優里ちゃんの目が丸くなる。
思わず身を乗り出しそうな勢いだった。
「本当だ・・・生活で不便な時無いですか?」
心底不思議そうな声だった。
どうやら、優里ちゃんの世代の人たちはみんなアースウオッチを持っているのが当たり前らしい。
「不便さも良いですよ。私もシェフと同じでオールドスタイルですから」
そう言ったさくらさんは、空になったティーカップの横で軽く頭を下げた。
「ごちそうさまでした」
柔らかな微笑みを残し、店の扉へ向かう。
カラン、とドアベルが鳴る。
午後の日差しの中へとけるように歩いていく後ろ姿を、僕はしばらく見送っていた。
「・・・アースウオッチつけてない人っているんですね・・・」
ぽつりと優里ちゃんが呟く。
「私、アースウオッチつけてない大人の人、初めて見ました。シェフでさえもつけてるのに・・・」
驚いた表情で扉の方を見つめている。
「まあ・・・俺の場合は、つけていても休日にはオフにするけどね」
「デジタルデトックスですか?気持ちは分かりますけどね・・・」
優里ちゃんが小さく呟いた。
便利なものを否定するつもりはない。
けれど、山を歩く時も、スイーツを考える時も、僕は少しだけ不便な時間が好きだった。
厨房へ戻り、ガレットブルトンヌの仕込みに取り掛かる。
ミキサーの中では、ビーターがゆっくりと回転しながらバターを混ぜ合わせていく。
その動きを眺めながら、僕はふと微笑んだ。
この時代に、僕以外にも、便利さよりも手触りや時間を大切にする人がいる。
それが少しだけ嬉しかった。
まるで、長い間ひとりで歩いていた道の先に、
同じ景色を見ている人を見つけたような気がした。




