第一章 3話 静かな席に、春が座った
翌日。
「はい。これお土産」
そう言いながら渡したのは、昨日拾ってきたどんぐり。
僕は制服に着替えたばかりの優里ちゃんに、どんぐりを渡した。
「・・・何ですか、これ?」
優里ちゃんが、手のひらの上のどんぐりをまじまじと見つめる。
「どんぐり?もう・・・私、子どもじゃないんですから・・・」
そして、少し呆れたように笑った。
「え・・・」
思わず声が漏れた。
市ケ原の山道で見つけたとき、真っ先に優里ちゃんの顔が浮かんだ。
ころんと丸くて、どこか愛嬌のある形をしていて。
これを見せたら、きっと笑ってくれると思ったのに。
「・・・喜んでくれると思って、持って帰ってきたんだ・・・」
すると、優里ちゃんがくすっと笑う。
「・・・また山の神様に呟いてから、持って帰ってきたんですか?」
「まあ、そうだけど・・・」
優里ちゃんは、どんぐりを指先でそっと転がした。
そして、やわらかく微笑む。
「ありがとうございます」
その声は、さっきまで呆れた調子とは少し違っていた。
「大事にしますね」
そう言うと、優里ちゃんはニコッと微笑んだ。
僕はこの、タンポポのような優しい笑顔が大好きだ。
優里ちゃんはここに入って四年目になる。
近くの看護大学に通う為に香川県から上京してきた子で、一人暮らしをしながら土日祝日と、販売スタッフとして働いてくれている。
入って間もなかった頃は声も小さく、ケーキを箱に入れる時も手が震えていた。
今ではすっかりベテランになって、丁寧ながらもスピーディーに接客をこなし、大きな声でお客様にお応えしている。
誰にでも愛想がよく、常にたんぽぽのような優しい笑顔で働いてくれるので、性別年齢関係なく幅広い層のお客様に人気がある。
ここは神戸市西区の伊川谷にあるケーキ屋さん。
パティスリー・リュミエール。
リュミエールはフランス語で光を表す意味で、僕の名前、中尾光のヒカルからつけた名前だ。
ここは以前、両親が違う店名でパティスリーを営んでいた場所だが、60歳を過ぎて引退すると同時に、僕が継がせてもらった。
ただ、父からはそのまま引き継ぐのではなく、”やるなら自分のスタイルを貫け”という言葉をいただいたので、生菓子も焼菓子も全て一新して、店名も変更して新たにリニューアルオープンした次第だ。
造作は、オーブンや冷蔵庫など、まだまだ使える什器をそのまま使用して、売り場には新たにイートイン出来るようにカウンター席を4席作った。
テイクアウトがあくまでも主流だが、ここでしか味わえない皿盛りデザートを提供できるようにしたかったからだ。
伊川谷は駅から数分も歩けば田畑が広がる農村地帯になる。
お米や野菜だけでなく、無花果や梨等の果実を主とした生産者さん達もいらっしゃる。
ケーキに必要不可欠な苺は、父の代からお世話になっている苺農家さんから、美味しくて有名な太山寺苺を使わせてもらっている。
僕と同じように親の代から家業を受け継いだり、新規就農されてきて弟子として数年働いた人を後継者としている所もある。
ただ、年々気候変動と共に環境は変わっていくので、これまでのやり方をそのまま引き継ぐのではなく、時代の変化と共にやり方もそれぞれの場所で変化させながら受け継がれているようだ。
カランコロン。
扉が開いて東澤さんがご来店された。
「いらっしゃいませ」
優里ちゃんと二人で元気にお迎えする。
「こんにちは~シェフ。急にごめんね。店に電話しても誰も出なくて困っていたところに、ばったり優里ちゃんに会ったから予約お願いしちゃってん」
「東澤さん、こんにちは。昨日は定休日だったので、電話に出られずにすみませんでした・・・」
「いやいや、休みなんだから仕方無いわよ。今日はね、いつもお世話になっている英会話の先生を連れてきちゃった」
と、紹介していただいた隣の女性は、目が合うなり深く会釈して下さった。
「はじめまして。春野さくらといいます」
「はじめまして。シェフの中尾 光といいます。噂は東澤さんから聞いています。会話も文法も、とても丁寧な教え方をして下さるので分かりやすいと」
「え?いえいえ、そんな事ないですよ・・・東澤さんがとても勉強熱心なんです」
そう言うと、春野さんは軽く微笑んだ。
艶やかでさらりと揺れる黒髪のロングヘア―。
整った目鼻立ちに白いワンピースが良く映え、まるで、モデルのような佇まいをした、とても美しい方だった。
「あ~、シェフ。今、お客様に見惚れてたでしょ?もう、綺麗な人を見るとすぐにデレデレするんだから」
隣りに立つ優里ちゃんが茶化すように言った後、頬を膨らます。
「そんな訳ないだろ。変な事言ってすみません。さ、どうぞこちらの席へ」
見惚れてた事を誤魔化すかのように、僕は二人を席に案内した。
「・・・あなたが、優里さんですか?」
席に座りながら、春野さんが訪ねる。
「え・・・?はい・・そうですけど・・・」




