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第八章 2話 インプット出来なかった感情

時間が経ち、ようやく身体に力が戻ってきた.


僕は、優里ちゃんと向かい合って休憩室の椅子に座っていた。


静かな部屋に壁時計の秒針だけが、規則正しく時を刻んでいる。


カチ,カチ、カチ――。


その音だけ妙に大きく聞こえる


「・・・ありがとう、優里ちゃん」


掠れた声が漏れる。


「いつも助けてもらってばっかりだね・・・」


そう言うと、彼女は首を横に振り、少し照れたように笑った。


「そんな事ないですよ。学生の頃は、シェフのケーキに私の方が助けてもらってましたから」


「・・・そうなの?」


「そうですよ」


優しく微笑むその表情に、張り詰めていた心が、ほんの少し緩んだ。


けれど、次の言葉で空気が変わる。


「・・・連絡が入ったんです。管理部から回収の件で」


膝の上で組んだ手に、わずかに力が入る。


優里ちゃんは唇を噛みしめるようにして続けた。


「手は出さないでって・・・あれほどお願いしたのに・・・」


悔しそうな表情だった。


僕は優里ちゃんを見つめる。


ずっと気になっていたことがあった。


「・・・優里ちゃんって、新人の看護師だろ?」


優里ちゃんの肩が小さく揺れる。


「どうして、そんなに色んな情報を知ってるんだ?」


回収のこと。


さくらさんのこと。


まるで最初から全てを知っていたみたいだった。


優里ちゃんはしばらく黙っていた。


時計の針が何度か時を刻む。


やがて、小さく息を吐いた。


そして、静かに語り始める。


「一人でも多くの人に元気になってほしくて・・・入った時から、人一倍頑張って働いたんです」


視線は真っ直ぐ前を向いたまま。


「そしたら、いつの間にか周りに認められて・・・どんどん重要な仕事も任せてもらえるようになって」


優里ちゃんは窓の外へ視線を向けた。


街灯の灯りが横顔を淡く照らしていた。


「気付いたら・・・選ばれた人材しか入れないって言われてる、AI総合再生科に配属されていました」


そう言って、小さく肩をすくめた。


「・・・優里ちゃん、頑張り屋だし、仕事出来るもんね」


そう言うと優里ちゃんは困ったように笑う。


「それで・・・上司や先輩に可愛がられて、色んな飲み会にも同行する立場になって・・・」


声が、ほんの少し低くなる。


「そうしたら、嫌でもいろんな裏の話が耳に入ってきたんです」


休憩室の静けさが、その言葉の重さを、より際立たせていた。




「辛かったな・・・頑張ったな・・・」


気付けば、そう口にしていた。


そっと手を伸ばし、優里ちゃんの頭を優しく撫でる。


優里ちゃんは驚いたように目を瞬かせる。


そして、困ったように笑った。


「・・・もう」


小さく肩をすくめる。


「だから・・・優しくしないでって、言ってるじゃないですか」


優里ちゃんの声は、少しだけ照れているようにも聞こえた。


僕は苦笑いする。


けれど、その笑顔は長く続かなかった。


さくらさんの顔が頭をよぎる。


胸の奥が重く沈んでいく。


気付けば視界はテーブルの上へ落ちていた。


「・・・・・」


「・・・シェフ?」


「・・・俺が、悪いんだ・・・」


優里ちゃんの表情が変わる。


「・・・え?」


戸惑った声。


ぽつりと落とした言葉に、優里ちゃんが驚いたように目を開く。


僕はゆっくりと言葉を続けた。


「ほら、前にさくらさんが倒れた原因は、キャパオーバーって言ってただろ」


「・・・はい」


「俺の言葉が・・・」


喉の奥が詰まる。


「俺の言葉がキャパを超えさせたのかもしれない・・・」


優里ちゃんの瞳が揺れた。


「・・・どういう事ですか?」


少しだけ視線を落とし、言葉を探す。




「優里ちゃんがいなくなってからさ・・・」


ようやく口を開く。


「心に穴が開いたみたいで、何をしても埋まらなくて・・・」


あの春のことは今でも鮮明に覚えている。


毎日、店を開けて。


毎日、ケーキを作って。


毎日、笑顔で接客して。


―そんな日々の中、隣にいるはずの優里ちゃんがいなかった。


分かっていたはずなのに、心の穴は想像以上に大きかった。


「・・・でもそんな事、お客様には関係ないだろ」


小さく息を吐く。


「だから、毎日必死で働いたんだ。一人でも多くのお客様に笑顔になってもらえるケーキを作ろうって・・・ほんと、必死だったんだ」


少し間を置いてから続けた。


「そんな俺に・・・さくらさんはいつも微笑んでくれた」


声が少し和らぐ。


疲れている時も。


落ち込んでいる時も。


さくらさんは変わらなかった。


「押しつけがましくもなくて」


思わず小さく笑う。


「・・・ただ、さり気なく・・・包み込むみたいに」


優里ちゃんは相槌も打たず、ただ黙って聞いている。


「気付いたら、一緒にランニングに行くようになっててさ。店の外に出ると、普段とは違う一面が見えたりして」


遠くを見るように、息を吐く。


「・・・・いつの間にか、好きになってた。かけがえのない人になっていたんだ」


覚悟を決めるように、顔を上げる。


「だから・・・直接その気持ちを伝えた」


短い沈黙。


「・・・その後だよ。おかしくなっちゃったのは」


「・・・さくらさん、何か言ってた?」


「それは恋ですか?とか、愛がまだ良く分からないって・・・」


「・・・それです」


小さく呟く。


「愛って広大な感情でしょ」


静かな声が休憩室に響く。


「AIには全てを理解できなかったのかもしれません」


僕は黙って聞いていた。


優里ちゃんは続ける。


「ただ・・・」


その瞳がゆっくりと僕を見た。


「さくらさんの場合は理解しようとしていたんだと思います」


優しい声だった。


「理解して、受け止めたいっていう気持ちが、誰よりも強かったのかもしれません」



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