第七章 1話 桜が散る音
リュミエールに穏やかな時間が戻った頃。
――神戸市民病院 AI総合再生科
「森。なんで報告書を出さない?前のパティスリーのAI、再起動できたんだろう?」
電子タバコをふかしながら、救急隊員の田崎が問い詰める。
「すみません。無事に再起動完了しました。データも消えてはおらず、現在は以前と変わらいように生活しています」
「そうか。なら良かった。だが、お前も知っているだろう。一度不具合を起こしたAIは危険物とみなされ回収命令が下る。さっさと回収してこい」
吐き捨てるような命令だった。
「ですが、あの型に関しては以前と全く同じように修復されています。何も問題ないかと思います」
森優里は、感情を挟まず事実だけを淡々と述べる。
「あほか!」
田崎隊員が机を叩き、声を荒げた。
「次にまたショートして、万が一人間に危害を加えたらどうするんだ!」
その怒声にも、森優里は一歩も引かない。
「その時は私が責任を取ります」
背筋を伸ばしたまま、視線を逸らさず言い切った。
冷静沈着な態度は、感情だけでなく覚悟でそこに立っている証だった。
「お前みたいな新人看護師に、何が出来る!笑わせるな!」
嘲うような声が投げつけられる。
わずかな沈黙の後、森優里は静かに息を吸い、
「それなりの代償を払わせていただきます」
そう答えた。
ジリリリリン、ジリリリリン。
厨房の壁に取り付けられた黒電話が鳴り響いた。
僕は苺のヘタを切り落としていた手を止める。
「はいはい、ちょっと待って下さいね~」
手を拭きながら電話へ向かい、受話器を耳に当てた。
「はい。パティスリー・リュミエールです」
「あ、シェフ。優里です」
聞き慣れた声に思わず頬が緩む。
「おお、優里ちゃん。この前は本当にありがとうね」
「いえいえ。あの・・・さくらさんの具合どうですか?」
「ああ、至って順調だよ」
僕は厨房の窓ガラスから、売り場を見渡した。
ショーケースにはハロウィンのケーキが並び、さくらさんが笑顔で接客している。
倒れた日のことが嘘みたいだった。
「何もなかったみたい、元気に働いてくれてるよ」
「そうですか・・・」
受話器の向こうで、優里ちゃんがほっと息を吐いた気がした。
「さくらさんに代ろうか?」
「あ、いえ・・・大丈夫です」
いつもなら、
お願いします!と即答するはずなのに。
今日は少し様子が違った。
「あの・・・シェフ。今夜時間ありますか?」
「え?」
思わず聞き返す。
「うん。大丈夫だよ」
「じゃあ、仕事が終わったら連絡しますね」
「分かった。後でね」
「はい」
ガチャン。
受話器を置いたあと、僕はしばらく黒電話を見つめる。
(珍しいな・・・いつもならアースウオッチに連絡してくるのに・・・)
僕は首を傾げながら手を洗い、再び苺へ手を伸ばした。
その日の夜。
営業を終えたリュミエールには、いつもの静けさが戻っていた。
「こんばんは。失礼します」
聞き慣れた声に振り返る。
「優里ちゃん、こんばんは。わざわざ来てもらってごめんね」
僕はタオルで作業台を拭きながら頭を下げる。
「三ノ宮くらいまで出ていければ良かったのに、ずっと忙しくてまだ厨房の掃除も終わってないんだ」
「相変わらず人気店ですね」
優里ちゃんは微笑んだ。
「忙しそうで何よりです」
そう言うと、手にしてた紙袋を差し出す。
「これ、差し入れ」
「え?」
中を覗き込んだ瞬間、思わず声が弾んだ。
「あ!やったー!」
紙袋から現れたのは、僕の大好きなムーンバックスのシナモンロールだった。
ふわりと漂う甘い香りに、思わず頬が緩む。
「これ大好きな事、覚えててくれたんだね」
「当たり前ですよ」
優里ちゃんが肩をすくめた。
「何年一緒に働いたと思っているんですか」
「ありがとう。嬉しい!」
「・・・もう」
優里ちゃんが小さく呟いた。
「そうやって無邪気な笑顔になるの・・・やめて下さい」
そう言って、優里ちゃんはぷいっと顔を背けた。
まるで拗ねた子どもみたいな仕草に思わず苦笑いする。
優里ちゃんは肩まで伸びた髪をかき上げながらコートを脱ぐと、僕の向かいの指定席へ腰を下ろした。
辞めて半年経った今でも、その席に座る姿は妙にしっくりくる。
「はい、どうぞ」
僕はトレーをテーブルに置く。
湯気の立つカフェオレ。
そして、ルビーチョコのガトーショコラ。
「これ、好きだったでしょ?売り切れる前に一つ残しておいたんだ」
「・・・もう」
小さく呟いたあと、ため息をついた。
「・・・だからそうやって優しくするの、やめてくださいってば」
少しムッとした顔のままフォークを手に取る。
「・・・いただきます」
そして一口。
次の瞬間、頬はふわりと緩んだ。
その変化がおかしくて、思わず笑いそうになる。
「美味しいです」
嬉しそうにガトーショコラを口にする優里ちゃん。
さっきまで静かだった休憩室が、少しだけ明るくなる。
春の野原にたんぽぽが一輪咲いたみたいに。
自然と空気が柔らかくなる。
「さくらさんは帰られましたか?」
ガトーショコラを食べながら優里ちゃんが尋ねた。
「うん。帰ったよ」
僕は珈琲を口に運ぶ。
「”優里さんにまた会えるかな?仕事で無理してないかな?”って言ってたよ」
「・・・そうですか」
優里ちゃんは小さく微笑んだ。
「さくらさん、すっかりリュミエールに馴染んだみたいですね」
「そうだね」
自然と頬が緩む。
「いつも楽しそうに働いてくれてるよ」
「・・・・・」
返事がない。
不思議に思って顔を上げる。
それまで柔らかく笑っていた優里ちゃんの表情が、ふっと消えた。
口元はそのままなのに、目だけが追い付かない。
哀しさと、呑み込めない感情が入り混じったような顔。
カフェオレのカップを静かにソーサーへ戻す。
陶器が触れ合う、かすかな音がやけに大きく聞こえた。
―そして。
いつになく真剣な眼差しで、真っ直ぐ僕の目を見ながら口を開いた。
「さくらさんは、AIです」
一瞬。
言葉の意味が理解できなかった。




