第六章 3話 桜色に込めた想い
「良かった~・・・」
思わず声が漏れた。
「めちゃくちゃ焦った。優里ちゃんが来てくれて良かった~」
本心だった。
さっきまで何をしていいのか分からなかった。
救急隊員さんの言葉も、優里ちゃんの言葉も、ほとんど理解できなかった。
ただ、さくらさんが目を覚まさないことだけが怖かった。
だから。
「本当に良かった・・・」
安心した途端、全身から力が抜ける。
気付けば僕は、その場にへたり込むように床へ座り込でいた。
そんな僕を見て、優里ちゃんが小さく微笑む。
「でも、閉店後で良かったですね」
そう言いながら、さくらさんの寝顔へ視線を向けた。
「お客さんの前でこんな事になっていたら、店内中大騒ぎになってましたよ」
「確かに」
苦笑いしながら頷く。
「いやあ・・・まだ心臓がドキドキしてるよ」
優里ちゃんは肩をすくめた。
「不幸中の幸いって事で、良しとしましょう」
そして、いつもの優里ちゃんらしい笑顔を浮かべる。
「さくらさんの目が覚めるまで居ますね」
優里ちゃんが、そう言ってくれた。
「ありがとう。心強いよ」
張り詰めていた気持ちが少しだけ緩み、僕は小さく息を吐いた。
すると優里ちゃんが、いたずらっぽく笑う。
「シェフ。頑張った私にカフェオレ淹れてもらえませんか?」
「うん。もちろんだよ」
立ち上がりながら頷く。
「座って待ってて」
「は~い」
そう言って、優里ちゃんはいつも愛用していた指定席に腰掛けた。
さっきの緊迫した時の表情とは打って変わって、昔と変わらない優しい笑顔を見せてくれた。
僕は珈琲マシーンのスイッチを入れ、カップをセットしながらさっきの言葉を思い出していた。
(インプットとアウトプットが入れ替わってる?むしろ搬送しないほうが良い?・・・どういう事だ?)
コポコポコポ。
マシーンから抽出された珈琲がカップに注がれる。
湯気と共に豆の香りが広がって、ドキドキしていた鼓動が落ち着いていく。
「はい、どうぞ。ミルク多めだよ」
湯気の立つカフェオレを、優里ちゃんの前に置いた。
「覚えててくれたんですか?私がミルク多めって・・・」
少し驚いたように目を丸くする。
「当たり前だ。何年一緒にいたと思ってるんだよ」
そう言うと、優里ちゃんはふっと笑った。
「確かに」
カフェオレを両手で包みながら、懐かしそうに部屋中を見回す。
「いやぁ、懐かしいな、この休憩室」
壁に掛かった時計。
使い込まれたテーブル。
予定が書かれたホワイトボード。
「まだ半年しか経ってないのに、ここで働いていたのが遥か昔に感じます」
そう言って、優里ちゃんは小さく笑った。
僕もつられて周囲を見渡す。
たしかに、たった半年。
それなのに、
優里ちゃんが毎日のようにこの休憩室で笑っていた頃が、ずいぶん昔のことのように思えた。
あのころは、まさかこんな夜がくるなんて想像もしなかった。
僕の視線はさくらさんへ向かう。
足裏につけた装置のランプは小さく点滅を繰り返していた。
「・・・ところで、優里ちゃん。何で半年も連絡くれなかったんだ?俺も、さくらさんも待ってたのに・・・」
思っていたことを口にすると、優里ちゃんは申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめんなさい。私、研修期間を終えたらAI総合再生科って部署に配属になって、そこがすごくキツイ現場で・・・」
「・・・AI総合再生科?」
「ほら、さっき来てた田崎先輩」
「ああ、大きい隊員の人?」
「そうです」
優里ちゃんは苦笑いを浮かべた。
「あの人の下で、みっちりしごかれていたんです」
その言葉に、さっきの大柄隊員の姿が頭に浮かぶ。
確かに優しそうな人ではあったけれど、部下を甘やかすタイプには見えなかった。
「疲れが溜まって・・・休みの日も気が付けば夕方まで寝てたりして・・・毎日必死でした」
そう言いながら、カフェオレをひと口飲む。
白い湯気が、ふわりと立ち上った。
「・・・で、半年経ってようやく体も慣れてきて」
カップを両手で持ったまま、優里ちゃんは売り場の方へ視線を向ける。
「そういえばハロウィンの季節だなって思って」
そして、少し照れくさそうに笑う。
「飾り付けのお手伝いに来たんです」
その笑顔を見ていると、ようやく理由が分かった気がした。
「そうだったんだ・・・大変だったね・・・」
そう言うと、優里ちゃんは嬉しそうに笑った。
あの頃と変わらない笑顔だった。
「・・・で、何?そのAI再生科って?病院って普通、内科とか外科とかじゃないの?」
「はい。まあ、そうなんですけどね・・・って、シェフ。このケーキ、何ですか?」
優里ちゃんの目がぱっと開かれた。
そこには、さくらさんが食べかけていたケーキ。
話の途中にも関わらず、ケーキを見るとキラキラと目を輝かしてテンションを上げる。
こういう所も全然変わっていない。
なんだか少しほっとする。
「ああ、それ新作のケーキ。もう一つあるから食べる?」
「はい!やったー!」
優里ちゃんは両手を上げて喜んだ。
さっきまで緊迫していたとは思えない。
勢いよく立ち上がると、引き出しからナイフとフォークを取り出して、鼻歌をうたう優里ちゃん。
無邪気で、明るくて、甘いものに目がない。
相変わらず可愛らしい妹キャラだ。
「はい、どうぞ。新作のサクラ。桜風味のチーズケーキだよ」
「・・・サクラ?」
「うん。そこの公園の桜と、さくらさんをイメージして作ったんだ」
「・・・さくらさんをイメージ・・・」
その言葉を聞いた瞬間、さっきまでのたんぽぽみたいな優里ちゃんの笑顔が、すっと引いた。




