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第六章 1話 残された疑問

呼吸を見る。


胸とお腹に動きがある。


心臓は動いている。


鼻と口に近づいてみる。


さいわいなことに呼吸はしているようだ。


すぐに119番に電話する。


住所と容体を伝えると、5分後には救急車が到着してくれる事になった。


僕は電話を切った後、舌根沈下しないように頭を平にして、気道の確保に努めた。


口の中に血液や異物がある場合は、気道を塞ぐ可能性がある。


僕は口内に何か詰まる物がないかどうか調べようと、さくらさんの口を指で開こうとした。


―そのとき。


コンコン。


ガチャッ。


「こんばんは~。お久しぶりで~す」


勝手口の扉が開いて一人の女性が入ってきた。


「きゃ!シェフ、何やってるんですか!さくらさんを襲うなんて・・・」


「・・・優里ちゃん?いや、違う、違う!そんな訳ないだろ。突然倒れたんだよ。ついさっきまで普通に元気だったのに、突然倒れたんだ」


「・・・ちょっと診させて下さい。脳梗塞とかの恐れもありますから」


急いでさくらさんのもとへ駆け寄り、瞼を開いて様子をみる優里ちゃん。


「うん。心臓は動いているし、脈も動いて呼吸もしている。だけど・・・意識が無いね・・・」


「そうなんだよ。119番には連絡したから、もうすぐ救急車がくるはずなんだ」


ピーポーピーポーピーポー


サイレン音がこっちに近づいてくる。


救急車が来てくれた。


早い対応に助かる。


ドンドンドン!


激しくノックされたかと思うと、すぐに大きく扉が開かれて、救急隊員の男性が2名入ってきた。


「失礼します。どういった状況ですか?」


すぐにさくらさんのもとへ駆け寄る隊員。


僕と優里ちゃんは邪魔にならないように、部屋の隅へと移動した。


「大丈夫ですか?分かりますか?」


落ち着いた声で呼びながら、首元に手を添えて脈を確認する。


さらに胸元へ小型の測定器を当て、呼吸や心臓の動きを確認していく。


その様子を、僕は固唾を飲んで見守っていた。


隊員さんは、優里ちゃんがさっきやっていたのと同じように、そっと瞼を開いた。


ペン型のライトを取り出し、瞳に光を当てる。


白い光が静かに揺れる。


数秒後。


「・・・意識がとんでるな」


低い声で、そう呟やいた。


その一言に、胸がさらに重くなる。


隊員さんはすぐに左腕に装着されたアースウオッチへ視線を落とした。


搬送先を探すためだろう。


慣れた手つきで操作を始める。


その時だった。


「・・・あれ?田崎先輩?」


呼ばれた隊員さんが顔を上げる。


「え?」


一瞬だけ驚いた表情を見せる。


そして、その視線の先に立つ優里ちゃんを見た。


「・・・森?何やってんだお前。今日休みか?」


「はい。休みです」


優里ちゃんは少しだけ緊張したように背筋を伸ばした。


「ここ、私が学生の頃バイトしていたお店なんです」


さっきまでの張り詰めていた空気の中に、ほんの少しだけ人と人とのつながりが生まれる。


けれど、僕の視線はそこには向かなかった。


「そうなの?」


先輩隊員さんは、優里ちゃんと僕を見比べる。


「ああ・・・って事は、この人がお前の好きなパティシエさんかぁ・・・」


「ちょっと・・・!何言ってるんですか!?やめて下さいよ!」


優里ちゃんは顔を真っ赤にして声を上げる。


「・・・は?」


思わず声が漏れる。


「知り合いだったのかしれませんが、今はさくらさんに集中してください!」


気付けば、僕は先輩隊員さんに詰め寄っていた。


「落ち着いてください」


すぐ横から腕を掴まれる。


振り返ると、もう一人の若い隊員さんが僕の身体を支えていた。


「大丈夫です。安心してください」


穏やかな声だった。


ひとり焦る僕をよそに、先輩隊員さんは落ち着いた様子で優里ちゃんに尋ねる。


「森。ジャンプスターターは持っているか?」


「はい。予備として小型タイプを持っています」


優里ちゃんは迷うことなく答えた。


まるで、何を聞かれるかを分かっていたみたいに。


「予備の小型か・・・」


先輩隊員さんは少し考え込む。


「それは自分用に持っといて、これを使え」


そう言って救急バッグの中へ手を入れる。


取り出されたのは、手のひらに収まるほどの小さな四角い装置だった。


角の丸いその形は、どこか昔見た固形石鹸を思わせる。


「三回は使えるように、フル充電されてある」


そう言うと、その装置を優里ちゃんへ手渡した。


「あとは任せて大丈夫か?恐らくCOだ。」


「はい。大丈夫です。田崎さんの下で半年、散々鍛え上げられましたから」


優里ちゃんが少しだけ笑う。


「おお、さすがは本年度の最優秀新人看護師だ。病院の連中、みんな褒めてたぜ」


「いやいや。まだまだです。これからもご指導よろしくお願いします」


「返事まで優秀だな」


田崎さんは満足そうに頷いた。


そして立ち上がる。


「じゃあ、またな。松井、帰るぞ」


「はい」


後輩隊員さんが足元の救急バッグを持ち上げる。


僕は思わず目を見開く。


「え・・・帰るんですか?」


思わず声が大きくなる」


隊員さん達が振り返った。


「病院に搬送しなくても大丈夫なんですか?」


自分でも驚くほど必死な声だった。


返事を待つことも出来ず、僕は気付けば田崎さんの腕を掴んでいた。


田崎さんは驚いた様子もなく立ち止まる。


その拍子に長袖の袖口が少しだけ捲くれ上がった。


太く日に焼けた腕。


その内側に、何かの文字が刻まれているのが見えた。


――ECO。


黒く刻まれた三文字。


一瞬だけ目に入ったその文字の意味を考えるより早く、田崎さんはさりげなく袖を引き下ろした。


「大丈夫ですよ」


落ち着いた声だった。


「むしろ搬送しないほうが良い」


その言葉に思わず息を呑む。


(搬送しない方が良い?)


意識を失っている人に対して言う言葉じゃない。


言いかけた僕の肩に、そっと手が置かれた。


「後は優秀な看護師ちゃんにまかせますから、安心してください」


優里ちゃんも静かに頷いた。


「シェフ。後は私が引き継ぎますから大丈夫ですよ」


優しい声だった。


「田崎さん、松井さん、ありがとうございました」


優里ちゃんが頭を下げる。


「おう」


「またな」


二人は軽く手を上げ、そのまま出口へ向かって歩いていく。


扉が開いて、夜の冷たい空気が店内へ流れ込んだ。



救急隊員さん達が優里ちゃんの知り合いだったことは分かった。


優里ちゃんが看護師だということも知っている。


だけど、それ以外は何も分からない。


僕は焦る気持ちを抑えきれず、振り返った。


「優里ちゃん・・・」


ジャンプスターターと呼ばれていた装置を確認していた優里ちゃんが顔を上げる。


「さくらさん、ずっと意識ないままだよ・・・」


自分でも情けないくらい弱い声だった。


「・・・本当に大丈夫なの?」

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