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第五章 4話 届いたはずの想い

「そう、さくらさんも。大好きなあの桜の木と、大好きなさくらさんをイメージして作ったんだ」


休憩室の窓の向こうでは、秋の夜が静かに更けていた。


営業を終えた店内からは、冷蔵庫の低い駆動音だけがかすかに聞こえてくる。


「・・・大好き?・・・私の事が・・・?」


少し震えた声。


その声を聞いた瞬間、胸の奥に閉じ込めていた気持ちが、一気にあふれ出した。


「うん。大好き。世界一好きだよ・・・って、あ・・・」


言った。


言ってしまった。


春から試作を重ね続けてきて


ようやく完成したケーキを食べてもらえて


さくらさんが笑ってくれて・・・それがとても嬉しくて。


その幸せな気持ちに押されるようにして、ずっと胸の奥底にしまい込んでいた言葉が、何の飾りもなく飛び出してしまった。


まるで、子どもの告白みたいに。


遠まわしな表現も。


大人らしい駆け引きも。


何ひとつないまま。


言い終えた瞬間、自分の顔に熱が集まっていくのがはっきりと分かった。


耳まで熱い。


心臓が痛いくらい速く脈打っている。


恥ずかしさに耐え切れず、僕は視線を落とした。


さくらさんの目を見る事が出来なかった。


静まり返った休憩室。


壁掛け時計の秒針の音だけが響き渡る。


数秒だったはずなのに、永遠みたいに長く感じる沈黙。


やっぱり、困らせてしまっただろうか。


急にこんな事を言われても、迷惑だったかもしれない。


そんな不安が胸の中をぐるぐると回り始めた。


その時だった。




「・・・私も・・・好きです。シェフの事・・・」


小さな声。


だけど、その言葉は驚くほどはっきりと耳に届いた。


思わず顔を上げる。


さくらさんは肩を小さく揺らしながら、頬を真っ赤に染めていた。


まるで、熱を隠そうとするみたいに、両手でそっと頬を押さえている。


いつも落ち着いていて品のあるさくらさん。


そんな彼女が今は、初めて見るくらい慌てていて。


その姿が、信じられないほど可愛く見えた。


「・・・え?・・・本当に・・・?」


思わず聞き返してしまう。


さくらさんは恥ずかしそうに視線を落としたまま、小さく頷いた。


―その瞬間


「やったぁ!」


気が付けば、僕は立ち上がりそうな勢いで喜んでいた。


嬉しさが全身から溢れて止まらない。


子どもみたいだと思う。


でも、抑えられなかった。


気付けばテーブル越しに身を乗り出し、さくらさんの両手を握っていた。


「あ・・・」


さくらさんの肩が、ぴくりと震える。


触れた手はひんやりしていて、とても柔らかかった。


さくらさんの頬は、さらに赤くなった。


桜色だった頬が、夕焼けみたい染まっていく。


長いまつ毛が伏せられ、握られた手を見つめるように視線を落としている。


しばらくの沈黙。


やがて、さくらさんはそっと唇を開いた。小さく呟くように口を開いた。


「あの・・・」


小さな声だった。


「これは・・・愛でしょうか・・・?」


窓の外では、秋の夜風が木々を揺らしている。


 愛――


その言葉を口にしたさくらさんは、本当に分からないという表情をしていた。


「・・・えっと・・・改めて聞かれると、恥ずかしいけど・・・」


僕は照れ隠しみたいに、頭をかいた。


頬の熱はまだ、全然引いていない。


「・・・僕は、さくらさんの全部が好きです」


言葉にした瞬間、胸の奥が熱くなった。


逃げ出したくなるほど恥ずかしい。


それでも、ちゃんと伝えたかった。


「出来ればこれからも、さくらさんを支えながら生きていきたいと思っています」


さくらさんは何も言わず、真っ直ぐに僕を見つめている。


その優しい瞳に背中を押されるように、僕は続けた。


「ずっと一緒にいたいんです」


少し震える声。


「さくらさんの事を大切にしたいと思っています」


握りしめた拳に力が入る。


そして、一番伝えたかった言葉を口にした。


「そんな気持ちを愛と呼ぶなら・・・」


一度だけ息を吸う。


「僕は、さくらさんを愛しています」


胸の鼓動が耳の奥で鳴り響く。


「世界中の誰よりも愛しています」


もう、後戻りは出来ない。


僕は、ありったけの想いを込めて伝えた。


「だから・・・これからも、ずっと側にいてください」


ずっと胸の奥に抱えていた想いを、ようやく伝えられた。


さくらさんは、静かに僕を見つめていた。


大きな瞳が揺れている。


驚いているようにも、戸惑っているようにも見えた。


やがて、その唇がゆっくりと開く。


「・・・そんな事を言ってくださるなんて・・・嬉しいです。ありがとうございます」


ほっと胸を撫で下ろす。


その声は優しくて、温かかった。


―けれど


次の瞬間。


さくらさんは少しだけ視線を落とした


「ただ・・・私・・・愛がまだ、よく分からなくて・・・」


申し訳なさそうな声だった。




「愛しています」


その言葉を受け止めた瞬間、さくらさんは息を止めたまま、こちらを見つめ返してきた。


瞳の奥に、しあわせを嚙みしめるような光が宿り、やがて滲んだ涙が薄く幕を張る。


けれど、その微笑みはどこか頼りなく、ほんの一瞬だけ揺らいだ。


喜びに満ちたいつもの桜の花のような笑みではない。


言葉に出来ない哀しさが、影のように重なっているように見えた。




「私もシェフの事、愛しています」


「ありがとう。じゃあ、ずっと一緒にいてくれる?」


そう言って微笑む。


けれど、さくらさんは僕の顔を見つめたまま、もう一度口を開いた。


「私もシェフの事、愛しています」


少し不思議に思いながらも、僕は小さく頷く。


「うん。嬉しい。伝わったよ」


休憩室の窓の外では、秋の夜風に揺れる街路樹の葉が、かすかに音を立てていた。


柔らかな照明に照らされたさくらさんは、相変わらず穏やかな笑みを浮かべている。


そう思った、次の瞬間だった。


「私もシェフの事、愛して・・・」


言葉が途切れる。


「私もシェフの事、愛して・・・。私もシェフの事、愛して・・・愛して・・・愛して・・・」


さくらさんの声が少しずつ不自然になっていく。


「・・・さくらさん?」


呼びかけても返事はない。


その表情から感情が薄れていく。


胸の奥がざわついた。


さくらさん・・・?


椅子から立ち上がりかけた、その時。


 バタン!


同じ言葉を途切れ途切れに繰り返し、焦点の合わない視線がふっと宙をさまよった次の瞬間、さくらさんの身体が力を失った。


椅子がきしむ音と同時に、まるで糸を切られた人形のように、彼女は床へと崩れ落ちた。


「さくらさん!」


呼びかけながら駆け寄ると、冷たい床の上に横たわったまま、さくらさんは微動だにしない。


肩に手をかけ、何度か強く揺さぶってみても、


閉じたままの瞼は開かず、返ってくるはずの声も無かった。





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