表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
17/31

第五章 3話 あの日の景色の作り方

蝉の声が聞こえなくなった。


ほんの数週間前まで、伊川谷に響いていた賑やかな鳴き声は姿を消し、代わりに窓の外からは虫たちの穏やかな音色が聞こえてくる。


季節はいつの間にか、秋へ向かい始めていた。


 閉店後のリュミエール。


最後のお客様を見送り、片付けを終えた店内には静かな時間が流れている。


柔らかな照明に照らされた店内で、僕は脚立に上りながら天井へ飾りを取り付けていた。


秋のイベント、ハロウィン。


毎年この時期になると、店内はかぼちゃやお化け達で少し賑やかになる。


カウンター上には可愛い魔女や黒猫の紙飾りが並び、さくらさんはそれを一つひとつ手にとっては楽しそうに配置を考えている。


つま先立ちになってガーランドを吊るそうとする後ろ姿は、まるで背伸びをしている子供のようでとても可愛い。


「さくらさん。今日はこの辺で終わりましょう」


僕の声に、さくらさんはくるりと振り返りにっこりと微笑む。


「はい。お疲れ様でした」


そのままエプロンを外し、着替えようとするさくらさんに、僕は


「少しだけ時間ありますか?」


と尋ねた。


「え?はい。大丈夫ですよ」


きょとんとした表情になるさくらさん。


その愛らしい顔を見ながら、僕は続けて


「いつも頑張って働いてくれているお礼に、ケーキ食べていって下さい」


と言った。


「え?ケーキ?やった!」


そう声を弾ませて、さくらさんは目をキラキラと輝かせた。


ご褒美を前にした小さな子供のように、隠しきれない喜びを全身で表して。




「じゃーん。こちら、桜のチーズケーキです。名前は“サクラ”。新作です」


休憩室へ移動した後。


僕は冷蔵庫から大切に取り出したケーキを白いお皿にのせ、さくらさんの目の前にそっと置いた。


淡い桜色のクリーム。


花びらを思わせる繊細な飾り付け。


春の景色を閉じ込めたような一品だ。


何度も試作を繰り返し、ようやく納得のいく形になった。


そんな特別なケーキだった。


「わあ・・・綺麗ですね」


さくらさんの瞳がぱっと輝く。


テーブルへ身を乗り出しながら、まるで宝物を見つけた子どものような表情を浮かべている。


「サクラっていう名前ですか?」


「はい、そうです」


僕は少し照れながら頷く。


「季節外れで申し訳ありませんが、春先に一緒に桜を見たあの時の情景をテーマに作りました」


窓の外では虫の音が聞こえている。


季節はもう秋へ向かっているのに、僕の頭の中には満開の桜が咲いていた。


「一番に、さくらさんに食べて欲しくてお時間いただいちゃいました。帰る時間にすみません・・・」


言いながら、少し申し訳なくなって視線を落とす。


けれど、


「嬉しいです」


柔らかな声が耳に届いた。


顔を上げると、さくらさんはチーズケーキを見つめながら優しく微笑んでいる。


「とっても嬉しいです」


その笑顔は、春の陽射しのように温かかった。


「私もあの時の情景は、心に焼き付いていますので」


そう言って微笑むさくらさんの瞳には、満開の桜並木が映っているような気がした。


「良かった。では、どうぞお召し上がりください。」


そう言うと、さくらさんは小さく頷き、フォークを手に取った。


淡い薄紅色のドーム型のケーキをひと口分切り分け、ゆっくりと口に運ぶ。


唇に触れた瞬間、彼女は小さく息を吸い、そのまま目を閉じた。


舌の上でほどけていく甘さを確かめるように、しばらく黙って噛みしめる。


その後、そっと目を開いて頬を綻ばせ、少しだけ弾んだ声で言った。


「すっごく・・・美味しいです。」


胸の奥に張りつめていたものが、ふっとほどける。


その一言は、どんな言葉よりも嬉しく聞こえた。


思わず顔がほころび、気付けば僕は子どものように身を乗り出していた。


「このピンク色の部分が桜のレアチーズなんだ。桜の花びらから抽出したエキスをクリームチーズに合わせてるんだよ」


さくらさんは興味深そうにケーキを見つめる。


「中の緑色のクリームは抹茶。新緑の時期に採れた新鮮な茶葉と、マスカルポーネを使って作ったんだ」


説明しながら、自分でも少し熱くなっているのが分かった。


でも、止まらなかった。


「ほら、さくらさん。前に、うちのチーズケーキを指さして“これ大好き”って言ってたでしょ?あのチーズケーキをベースにしてるんだ」


そう言うと、さくらさんが少し驚いたように目を輝かせる。


「緑とピンク。あの日見た桜をイメージしたんだ」


そこまで言ってから、少し照れくさくなりながら続ける。


「・・・それを眺めていた・・・さくらさんの美しさも」


―その瞬間。


さくらさんのフォークがぴたりと止まった。


「・・・え?」


大きな瞳がこっちを向く。


「桜だけじゃなくて・・・私も?」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ